最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2011-03-31

最終日・青春のフォークソングを聞く

先ほどまで、NHKの「大集合!青春のフォークソング」にハマリ、70年代の懐かしい歌を一緒に口ずさんでいました。

ぼそぼそ相槌をうつだけの司会?泉谷しげるの歌、職場の先輩たちが私の結婚式で歌ってくれた曲、南こうせつの「妹よ」、イルカの「なごり雪」は定番ですがやはりいいです。

樋口了一の「手紙~親愛なる子供たちへ」は、ラジオでは聞いていましたが、本人が歌うのをテレビで初めて見ました。
2009年2/24の毎日新聞夕刊でこの詩を知り、早速ポエムの歓送会で朗読したことを思い出します。
参加していた次男が、面と向かって読まれるとな…。とぼやいていましたっけ。

杉田二郎とばんばひろふみがカバーした、亡き河島英伍の「酒と泪と男と女」、山崎ハコの「ざんげの値打もない」幻の
4番バージョン、夏川りみが歌った「アメージンググレース」の沖縄方言バージョンもなかなかでした。

このブログのスタート時に紹介した、西岡たかしと五つの赤い風船の「遠い世界」でフィナーレとなりました。
ボーカルはもちろん西岡たかし+青木まり子、バックで河合徹三さんがベースで入っていたように見えたのですが?

何はともあれ、司会の南こうせつとイルカが「還暦」「還暦」を連発していました。出演者も観客も同世代が目立って
いましたし、退職日の夜にふさわしい番組でした!よくぞこの日に再放送してくれました。

ところで最終日の今日は、フランスのマシュマロ?とやらの菓子折を持ち職場に挨拶してきました。
3月から休み、後片付けに1、2度顔を出したまま、送別会も流れてしまったので、自分で締めくくって来たという訳です。
その道中にちゃま2からメールが届きました。
そしてブログを書こうとPCに向かうと、久しぶりに北海道のkatumiさんから嬉しいメールが届いていました。

<ちゃま2>
永い間 お仕事 お疲れ様でした
今日で 晴れて「定年退職」ですね。ほんとうに お疲れ様でした。
u-koさんと知り合ってからも、お互いの事、職場の事、生協全体の事、社会の出来事などなど、
実に色々な出来事がありましたね。
それらを乗り越え、喜びを共有し、お互いを心配しつつ過ぎた年月…。
あっという間であり、永かったなーであり。
ともかく 明日からは 自由人 。好きな事 やりたい事をu-koさんらしく 一生懸命やってください。
時々は会って 近況や社会情勢など、心おきなく 語りましょうね。定年おめでとうございます。

<katumiさん>
いよいよですね。長い間ご苦労様でした。
いろんな事があり喜び、悲しみなどの詰まった思い出が一杯のことでしょう。 
新しい人生設計はばっちりでしょうか。健康に留意されて充実した人生を歩まれるよう祈ります。
世の中、大変なことになっていますがお宅はいかがでしたか。
被害をこうむっていなければいいのですが。東京・川崎・千葉・埼玉までは影響しないかな、と
思っていたのですが、親戚などに聞くと大変なようです。大震災の上に原発までですから。
パソコンが壊れたので買い替えてからメールが上手くいかず四苦八苦。
NTTリモートサービスに依頼して漸く修復できたばかりです。
まだちゃんと届くかどうか自信がありません。うまく届くといいのですが。
とりあえずご無沙汰のお詫びとご機嫌伺いまで。

PS
女手一つで私たち姉弟を育ててくれた母が退職する時、弟と二人で腕時計をプレゼントしました。
私たちとしてはお洒落なブレスレットを選んだのですが、老眼が進んだ母には時刻が見えなかったのでしょう。
使っているのをあまり見かけたことがないまま、今も私の手元に新品のような状態で残っています。
今日、私の退職日には、息子達から「ご苦労様でした」の一言もありませんでしたね。

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