最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2011-04-30

ベランダの花々

ボケの花





シクラメンとラベンダー












今年もボケの花が咲きました。
昨年はベランダに小鳥が訪れ、赤くなった蕾を木の実と勘違いしてか啄ばんでしまうので網を被せて防ぎましたが、今年は難を逃れて可愛く咲き出しました。

黄色の薔薇の蕾が膨らみかけたベランダでは、シクラメンとラベンダーも綺麗に咲いています。
白いスノーポールも盛りです。ジャスミンは強風で鉢ごと倒されてしまいましたが、まだ蕾をたくさんつけています。

昨年は外壁工事の関係で、長いことベランダにシートが張られていたため、私の好きな薔薇の花は3種を残して枯れてしまいました。
そろそろ薔薇園で苗木を買って来たいのですが、今年は開花が遅くGWには見ごろとならない予想です。

PS
昨夜は新宿へ出掛け、赤阪さんに卒業祝いでごちそうになりました。
そこで話題になったのが、「赤阪治績」をGoogleで検索すると、今年出版した「広重の富士」関連で、私のSAORIKO日記のコメントが上位にランキングされていると言うのです。ビックリしていました。

2011-04-29

1月遅れの歓送迎会


昨夜は大震災のため予定より1カ月遅れて、総務部の歓送迎会が開催されました。
SAORI教室を早めに切り上げ、プラザに17:00到着。
11階でKさんにPPNホームページのマニュアルを渡し、kuriちゃんと立ち話をして10階へ集合し、会場のマクドナルド2階までゾロゾロ行進です。

定年退職と異動で送られる3人、歓迎される3人で主賓6人の歓送迎会となりました。
本部長曰く、「誰が元中央支所のメンバーばかり集めたのか?そうか自分か!」のとおり、お馴染の顔ぶれが集まったようです。


この日、せっかく派遣さんも来てくれていたのですが、主賓指定席に座ったため、女性陣は煙を避けてか、
もう一つのテーブルに集中し、全然会話ができずに終わりました。
でも、3月から年休消化の続きで退職へ流れてしまったような気分は、一応区切りがつきました。
最後に薔薇の花束と春らしい薔薇模様のバックのプレゼント。私が薔薇が好きなのをよくご存知で嬉しい!
異動する2年生は、前回カレーハウスで送別会を企画したのを祟られてか、レトルトカレーとお米券のプレゼント、
幹事の独断と偏見が許されていました。

PS
kuriちゃんからのソックスとidekoさんから送られてきたチョコと紅茶も並べてプレゼントの記念撮影。
kuriちゃんがソックスを買うのが趣味とは初耳でした!素敵なソックスありがとう!
michikoさんのお一人様ティーセットでお茶しますね!idekoさんありがとう
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長い間お疲れ様でした。3月11日はみなさんと語り合えるのを楽しみにしていました。
(友の会、これからもよろしく。)
これからも生協の絆を大切に、そしてお身体をいたわりながら、定年後の人生をお互いに楽しみましょう。
遅くなりましたが、ティータイムでも楽しんでください。これからもよろしくお願いします。ideko
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2011-04-28

ベランダの黒ゆり


ベランダで可愛い黒ゆりが一輪咲きました。
朝、起きると食卓に「黒ゆりが咲きましたよ!!」というメモが置いてありました。
見ると、ベランダの小さな白い鉢植に濃紫色の可憐な花が一輪咲いています。

薄曇りの空から太陽が顔を出すのを待って、明るくなったところで、
iphoneで激写!
iphoneのカメラは優れものですが、今までズームのやり方を知らないでいたのです。
退職者友の会で、maeさんに教えられ、早速ズームイン。
逆光を避け、ベランダのテーブルの上で、あちらに向けたり、こちらに向けたり。でもこのアングルが一番!満足した一枚が撮れました。

午後から、SAORI東京に向かいました。
水曜日夜の教室で今年定年を迎えた3人は、木曜日の昼間に通うこととしたのですが、先々週はKさん一人、先週は私一人で、なかなか全員集合となりませんでした。
今日は図らずも3人が顔を合わすことができました。

自由時間ができたので、絵馬展を見て、浅草寺のお庭を散策してきたというEさん、お池には五重塔とスカイツリーが写り込んで素敵だったそうです。
お互い優雅な生活になりましたね!と笑い合ってしまいました。おみやげに桜園の「くるみ羊羹」をいただきました。

2011-04-27

「ボストン美術館展」カタログが到着

ボストン美術館展カタログ

山種美術館で開催された「ボストン美術館 浮世絵名品展」では、カタログが完売で予約をしていましたが、やっと昨日到着しました。

今回の展覧会では、錦絵の黄金時代(1781~1801年)に登場した
清長、歌麿、写楽の三大絵師を中心に版画、肉筆画、版本144点が展示されていました。

カタログによると、日本初公開となるこれらの作品は、保存状態が良いものを厳選したとのことで、会場で色彩が本当に素晴らしいと感じたことに納得しました。

アメリカ建国100周年の1876年に開館したボストン美術館は、世界各国の美術品45万点が収蔵されているそうです。
日本美術のコレクションの中心は、版画5万点、肉筆画700点、版本数千点という膨大なものです。
日本の美術品が母国ではなく、海を渡って米国でコレクションされている現実に、少々さびしさを覚えます。



ところで今回の展覧会の音声ガイドを担当している、歌舞伎役者であり、浮世絵のコレクターでもある市川亀治郎が、
あるテレビ番組で、東洲斎写楽の役者絵について面白いコメントをしていました。
「写楽の作品は、他の絵師と異なり、歌舞伎の女形が男であることを意識して描かれている。」
「役者としては女として美しく描いて欲しいのが心情。」
「男であることを意識させられる写楽の絵は、役者としては一歩引いてしまう。」と言うのです。
なるほと、当事者としては複雑なものがあるのだと興味深く聞きました。
浮世絵との出会いが、高祖父の初代市川猿之助の役者絵が発端というのも歌舞伎の歴史を感じさせます。

2011-04-26

「ボクの満州」

先週見に行った「中国引き揚げ65周年記念企画・漫画展」で、「漫画家たちの敗戦体験・ボクの満州」を購入しました。
見慣れた人気まんがのキャラクターを連想させる、漫画家自身の少年時代の姿に、「これ山口六平太!」「ハマちゃん!」「バカボン」と、つい手に取りました。
この本は1995年、戦後50年の節目に漫画家・森田拳次氏の発案で、「中国引き揚げ漫画家の会」の9名の漫画家が体験を持ち寄り出版したものです。
漫画家たちは上田トシコ氏は90才を過ぎ、他の方もすでに70代になっており、「自分たちの引き揚げ体験を、二度と繰り返さないために、若い人びとに伝えたい」という思いが、先日の「漫画展」でもあふれていました。
90才になった義母は、上田トシコ氏に近い年齢、この本を読み終わったら九州に送ってあげようかと考えています。
漫画家たちの敗戦体験
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上田トシコ  :28才・ハルピン
赤塚不二夫 :  9才・奉天
古谷三敏   : 9才・奉天
高井研一郎 : 8才・上海
横山孝雄   : 8才・北京
ちばてつや  : 6才・奉天
森田拳次   : 6才・奉天
北見けんいち: 4才・新京
山内ジョージ : 4才・大連
(敗戦当時の年齢)
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中国残留孤児問題を語るとき、他人事ではないと感じる。ボクたちの運命は紙一重であった……。
ボクたちは生かされた命に感謝し、漫画家として、自分たちの引き揚げ体験を絵で残したいと思い、この絵本を出版した。
あのような体験は、ボクたちの世代だけで終わりにしてほしい、と祈りをこめて。(本書座談会要旨)
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2011-04-25

女優 田中好子さんの葬儀

青山葬儀所で営まれた、女優・田中好子さんの葬儀の模様がTVニュースで放映されました。
キャンデーズ時代のピチピチしたステージから、最後のドラマ出演となった「手のひらのメモ」までの映像が写され、
最後に彼女の肉声が流れた時には涙がこぼれました。
私たち朗読サークル・ポエムの指導者である、大原穣子先生の著書「ローカル色のパレット」の出版記念の会に、
「黒い雨」で方言指導を受けたスーちゃんが、ひそやかに参加されていたことをちゃま2から聞きました。
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こんにちは。田中好子です。
今日は3月29日。東日本大震災から2週間がたちました。被災された皆さまのことを思うと、心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。
私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。
その時は必ず天国で、被災された方々のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています。   
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PS
花粉症のような症状が続いたので血液検査を受けていたのですが、今日は結果を聞きに行ってきました。
案の定、杉の花粉の反応が大きく、ひのきも少々反応していました。
ダニやダストの反応は微々たるものなので一安心です。
同時に血液検査の結果では、悪玉コレステロールが基準値をオーバーしているとのことで、
運動を勧められて帰ってきました。
前回上がり気味だった血圧はどうにか落ち着いてきています。
地元の知り合いと会う予定にしていましたが、彼女も血圧が上がって体調を崩し延期になりました。
私も節制して気を付けなければなりません。

セカンドライフ最初のひと月の家計簿を締めました。
健康保険税の1年分前納、住民税6月までの前納、諸々で信じられない支出となっています。
交通費も予算を大きくオーバーしてしまいました。特別出費がない今月からは引きしめていきましょう。
今朝、義妹から電話があり、落選の報がありました。残念!!

2011-04-24

群虎図(水呑の虎)  南禅寺

今回の京都お花見旅行で訪れた南禅寺。底冷えのする廊下を渡り「虎の間」へ、狩野探幽の筆なる「水呑の虎」。
その襖絵の色紙を定年退職記念に自分へのお土産に買いました。
旅先での思い出に絵や小物を買い、部屋を飾るのが私流です。
虎年の私は、昨年は干支の虎の木彫りを旅先で手に入れました。今回の色紙は私の雛飾の屏風代わりです。
ちなみにこの雛人形は笠間焼です。
何年も昔のことになりますが、会のグリーンライフ発祥の地、笠間の里へ中年組で訪れた時に購入しました。
雛人形は3月3日を過ぎて飾っておくと、お嫁に行けなくなると嫌いますが、お年頃の私は一年中飾っています。
大震災では笠間の里は窯や作品が壊れ、多大な損害を受けたそうで、大好きな笠間焼にエールを送ります。
以前の尾形光琳の「紅白梅図屏風」に代わり、当分は狩野探幽の「水呑の虎」の衝立を屏風にしたいと思います。
雛人形の下に敷いている金毛せん?は、笠間焼のイメージに合わせて私の織ったSAORI織です。
旅の最終日に二条城を訪れましたが、こちらにも探幽の襖絵がありました。
今、内田康夫の浅見光彦「しまなみ幻想」を読んでいますが、偶然にも狩野探幽の襖絵の話が出てきました。












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重要文化財 襖絵  狩野探幽筆
南禅寺・大方丈に接続する建物を小方丈と呼んでいるが、そのうちの連続した三部屋が虎の間である。
名の通り、三部屋を通じて大部分が竹林と豹虎を描き、盛んな装飾意欲を誇示して有名である。
総数十三匹の豹虎は、狷介に単独で咆哮するもの、竹林にひそんで耽々と虎視するもの、あたりに注意を払いながら水を呑むもの、睦み合い戯れ走るものなど、さまざまな虎の生態を描いて変化に富む。
なかでももっとも知られているのは襖四面の、通称「水呑の虎」である。
竹林から現れた二匹の猛虎の一匹が、渓流に面を近づけて水を呑む図であって、竹林の緑、岩の墨と褐色、虎の黄と墨の縞、水流の青などの強い対比のなかに、真っ赤な舌が鮮やかな焦点を結んでいる。
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2011-04-23

退職者友の会

今日は風雨の中、午前中はちゃま2と美容院へ出向き、マリドラ宅で合流し四ッ谷に向かいました。
駅の階段では、滑って体を打ち動けなくなっている男性が、駅員に介助されている場面に出くわしました。
傘の柄が折れて散乱し、転げ落ちなかったことが不幸中の幸いと感じました。明日は我が身、気を付けましょう。

私は今年から「退職者友の会」にデビューしました。
諸先輩方の他に、中途退職された懐かしい顔ぶれに会えました。お互いに歳月を感じます。
「友の会会報」には、会員の近況や各支部の活動報告が掲載されていますが、東北支部では
息子さんを津波で亡くされた方もいらっしゃいました。ご冥福をお祈りします。

今回の震災支援について報告がありました。支援物資は阪神淡路の3倍(10tトラック630台)、
会員の見舞金も3倍(6億5千万円)、被災したメーカーは148工場という数字です。
震災ボランティアについて、友の会として関われる可能性はないかとの打診が会からあったようですが、
役員会では直接コーディネイトするという形はとらないという結論を出したそうです。
ただし、東京連の募金活動への部分的な参加や、さいたまコープ友の会との連携の報告があり、
関われる場面ではそれぞれ積極的に参加していく方向が示されました。

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総会終了後、私の卒業を祝う会を用意してくれていたので、他のメンバーと別れ、ある飲み屋に入りましたが、インターネットの電波状況が悪く却下。
さまよった挙句、入った店では、お茶すると言っていた他のメンバーと鉢合わせの茶番劇となりました。

PPNホームページを生協に関わった仲間の交流の場として、今日会った友の会メンバーにも活用してもらってはどうだろうか?
まずは、懇親会で見せてもらったKさんの被災地の動画や映像を投稿してもらうことからチャレンジしようと話しました。


☜ 卒業祝いのプレゼント
Nさん手作りの深皿、maeさんからのチョコ、ハーブさんからのカードケース。ありがとうございます。

2011-04-22

中国引き揚げ65周年記念企画 「漫画展」

「漫画展 中国からの引き揚げ~少年たちの記憶」が日本中国友好協会さいたま支部の主催で開催されています。
1945年8月9日ソ連参戦。敗戦後も戦闘が続き、日本兵士や民間人60万人以上がシベリアに抑留されました。
満州からの在留日本人の引き揚げはソ連軍が撤退した1946年5月から始まり、漫画展に参加した漫画家は、その引き揚げ体験者です。
<漫画家>
森田拳次、ちばてつや、赤塚不二夫、バロン吉元、古谷三敏、上田トシコ、横山孝雄、北見けんいち、林静一、
高井研一郎、山内ジョージ、山口太一

埼玉会館第2展示場 4/21~4/24
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いまでも「しっかり手を握って、放してはだめよ」という母の声が耳に残っています。
私は7歳で瀋陽から帰ってきました。
長春、ハルピン、大連、営口、北京、上海などから子どもの頃日本に引き揚げてきた漫画家たちが、引き揚げの記憶を漫画に描いたのは、忘れないため、二度と繰り返さないため、若い人びとに伝えたいためでした。
描きあげたこれらの作品が今回、日本中国友好協会の手で、全国で展示されることには嬉しいことです。
この漫画展が全国の親子、兄弟姉妹、夫婦、友人、未知の者同士が、戦争と平和について、引き揚げについて、語り合うきっかけになれば幸いです。<森田拳次>
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漫画は一目でわかります。
ユーモアと辛辣な風刺、記録の芸術です。
漫画家になった引き揚げっ子たちが、やむにやまれぬ思いでその記憶を漫画に描きました。
その作品がここに並びます。全国を巡回します。
つらいこと、食べること、きびしいこと、楽しい思い出、こわい思い出、引き揚げの瞬間、がここにあります。
中国の大地で育ち、そこに生きた感謝と、生き抜いた喜びがありました。そして帰国を果たせずその大地に眠っている人びとの魂がここに描き込められています。
この引き揚げ漫画を全国の人びとに広げたいのです。
過去を知り、現実を見つめ、未来を考え、日本と中国と平和のために、この「生命」の漫画展を成功させたいものです。 <石子順>
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PS
九州の義母から、アメリカの妹さんから贈られてきたというチョコレートが届きました。
90歳になる義母は、2月末に長女を亡くし49日を済ませたところですが、1人で市営住宅で頑張って暮らしています。
彼女も、満鉄の職員となった義父と共に長女を抱え満州に渡り、あちらで次女を生み、義父がシベリアに抑留されたため、敗戦1年後に2人の幼子を連れて博多港に着いた引き揚げ者です。
お礼の電話をすると、「旅行中ではないかしらと迷ったのよ」と言われました。鋭い!京都旅行中でした。
「いつも長電話になって悪いわね」と言いながら、案の定1時間ぐらいおしゃべりをしました。
「私が生きていたら、もう一度ぐらい会いたいわね、東京は遠いけど京都位なら行けるかも」と。

2011-04-21

幻の近況報告

生涯忘れることのできない「東日本大震災」が、定年直前の311日に日本を襲いました。
この日は「サークル合同追い出しコンパ(卒業を祝う会)」が予定されていました。
主催してくれるサークルは、私が仕事以外で最も多くの時間を関わり、そのメンバーはこれからも
永くつきあっていきたい仲間たちです。

①子どもへの読み聞かせをきっかけに30年近く関わった労組朗読サークルポエム。
10年前にセカンドライフを考えようと50代の女性が集まって始めた女性部グループ活動のPPN(プラチナ・プラザ・ネットワーク)
この活動はオブザーバーとして参加していた男性、生協以外の仲間、定年退職したOBを含めた活動として発展し、
  女性部のグループ活動を卒業しました。
PPNの活動の中で生まれた里親活動「NCF」を支える女性部のグループ活動「ネパールの子ども達を支援する会」

以上3つのグループが合同で、今年卒業する4人の女性の祝う会を予定していたのです。
このイベントを筆頭にすべての送別会が流れ、40年近く働いた職場の仲間とのお別れの区切りのないまま退職を迎えてしまい、心の内では寂しい気持ちで一杯です。


私の近況としては、4月は退職の手続きに明け暮れる傍ら、被災地支援に出かけたメンバーの現地報告レポートをPPNのホームページで紹介するなど、HP管理人の役割をコツコツ果たしています。
これは年頭に日本機関紙協会の「2011年新年号機関紙誌コンクール」のホームページ部門に応募し、優秀賞を受賞できたことが大きな励みとなりました。

メインとなるのは10年目を迎えた「SAORI織」です。
私のライフワークですが、卒業したのをきっかけに、
「さをり・リーダーズ・コミティ」に挑戦したいと考えています。


旅行は自粛ムードをはねのけ、東北でハナサケ(東北の花と地酒)にチャレンジしたい!と思いますが、
まずは先週訪れた京都の、ライトアップした「二条城の枝垂れ桜」をご紹介して終わります。

PS
友の会会報に掲載する近況報告の原稿依頼があったのですが、そのボリュームをわきまえず送った原稿がこれです。みなさん23行の報告を見て、唖然ととして取り下げました。

2011-04-20

京都みやげ


京都花見旅行で、哲学の道を歩いている時、「うるしの常三郎」のお店にぶらりと入り、漆器の盆が気に入り購入しました。
ランチョマットのようにテーブル置き、食事用に使いたいと思います。

このお店は哲学の道の他、京都には曼殊院道工房をはじめ、銀閣寺、先斗町、神宮道、高台寺に店舗を持ち、軽井沢銀座にも出店しているそうです。



今日は京都みやげである、黒豆の「甘納豆」を長男宅へ届けました。
これは下賀茂茶寮で懐石料理を満喫した折、おみやげコーナーで買ってきたものです。
お料理が美味しかったので、つい手が出て、「笹がきゴボウとまぐろのキンピラ」と一緒に買いました。
最初は和菓子好きな次男に甘納豆をと考えましたが、キンピラは次男へ、甘納豆は孫たちにと思い直しました。
案の定正解でしたね!ママが器に出した大粒の甘納豆を小さい手が次々にお口に運び、あっという間になくなって
しまい、また催促です。

PS
ひょんなことから午前中は、義理妹の市議選の候補者カーに乗りウグイスをやってしまいました。
道を走りながらアナウンスを流し、ポイントで立候補の訴えをします。
彼女は桶屋という町の和菓子屋さんの娘ですが、被災地石巻は高校時代を過ごした思い出の地だそうです。
支援金、原発・エネルギー問題、耐震強化、介護・医療のネットワーク、国民健康保険税、保育所・学童保育、住宅リフォーム助成制度などについて、丁寧に話をしていました。

2011-04-19

那須・きじさとひろば 近況メール

昨年の麦殻取りの様子

SAORI 「水曜日・夜の教室」で仲良しの三人組。
毎年那須の別荘にお邪魔して、自然の中で援農の真似ごとをして楽しんでいます。
写真は昨年、畑で収穫した麦の殻を取る作業を手伝っているところです。

家主は定年後に終の住みかとして引越をされ、離れを作って母上も三重県から来られて一緒に住んでいます。

東日本大震災当日は、建物にひびが入ったり、物が落下して被害が出たそうですが、その後の余震でも被害が続いているとのメールが届きましたので、ご紹介します。

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<2011.4.12>
ありがとうございます。地震の後Kさんからメールがあったので被害の様子は聞いて貰っていると思います。
昨日の余震は震度5強で片づけた食器がまた落ちて少し割れました。
水道の復帰は10日位かかり、今も不安なのでタンクに水をためています。
2階に寝るのは怖いので、まだ婆ちゃんの離れに居候しています。
壁のひび割れが多いのでなおして貰う予定ですが、大工さんも被害の強い処を先にやってるのでまだこれからです。
連休に皆さんが遊びに来てくれたら嬉しいけど、原発や余震の不安もあるので夏頃の方がいいかもね。
u-koさんは帰宅困難者にはならなかったですか?
水仙が咲き始め、春は着実に来ているんだけどね。
さをりのレポートに織物でのボランティアを始めると書いてありましたが、参加される予定があれば誘って下さい。
放射能はもう開き直って畑の野菜も多少汚染されてるかもだけど洗って食べてます。
一番大変なのがガソリン不足でしたが、やっと落ち着きました。
福島、いわきナンバーで4号線が大渋滞になったこともあります。
食料が品薄の時は生協の宅配に助けられました。皆さんに宜しく、お元気で。
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<2011.4.16>
ありがとうございます。何か震度4くらいは慣れてしまった感じです。
棚の糸コーンがよく落ちるので床においてます。こちらは桜はこれからです。
雨降りりんどうや片栗も咲いて春爛漫ですよ。
壊れたホームセンターがやっと再開したので、野菜の苗を買って沢山植えました。
8月にしばらく中断していた「きじのさとひろばまつり」を再開しようと思ってます。是非手伝って下さい。
バーベキュー、かき氷、ますつかみなどをやっていましたが、今年は織物体験を加えようかと思っています。
また相談に乗って下さい。Kさんに宜しく。
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2011-04-18

ハローワーク説明会


保育士が2人で、赤い帽子を被った園児数人の手を引いてお散歩です。

思い出しますね。もうオジサン?になった息子の保育園時代。
保母さんに連れられてサツマイモ掘りに行った畑で、青っ洟を垂らしながら誇らしげにお芋をぶら下げて写っていた赤い帽子の写真を!

つい、可愛くなってi-phoneで写して追い越し、しばらく行くと誰かが大泣きをはじめました。どうしたのかな?
これからハローワークの「雇用保険説明会」のため、後ろ髪を引かれる思いで駅に向かいました。


税務署の前でバスを降り、ハローワーク・プレハブの別棟で、「雇用保険説明会」に参加しました。
「ハローワーク活用ガイド」を配布され、担当者から仕事の探し方、雇用保険についての説明を受け、ビデオを見ました。
その間、乳飲み子を抱えた女性が、赤ん坊が泣き出すたびに外に出て、また入り説明を聞くという具合で苦労されていました。
一時、ママ友(新米ばあちゃん)の娘さんも産休明けで自宅待機を言い渡され、その後雇い止めとなり、自分で就職活動をしていたことを思い出しました。
参加者は女性と中高年者が多いのに、やはりと納得しました。
みなさん大変な思いで職を求めているのに、定年とはいえ、雇用保険の手続きのみで来ているわが身に少々気後れしてしまいました。

2011-04-17

ボストン美術館浮世絵名品展


さて、私はママ友たちとの美術鑑賞の待ち合わせの時間に間に合わない事態となり、「ごめんなさい!30分遅らせて」
とあわてて二人にメールしたところ、「今日でしたか?」との返信で、昨日土曜日であることに気がつきました。
もう一人の新米ばあちゃんからは、「よかった置いて行かれたと思った!」と、上越新幹線の中からメールがきました。
京都旅行から帰り、金曜日にゆっくり休んだため、てっきり日曜日と思い込んでしまったのです。
私はまだ毎日サンデーの生活に慣れていないのですね。連休の2日目は日曜日という感覚が抜けきれないでいます。

本日そんなドタバタを乗り越えて、渋谷の山種美術館で開催されているボストン展の最終日に出掛けました。
和光市駅ではエスカレーターとエレベーターを勘違いして別々の場所で待っていたり、池袋駅では改札口ではぐれ、
山手線のホームでは一人が先に乗ってしまい、目白でやっと三人が合流する珍事も発生しました。
やっとのことでたどり着いた山種美術館は長蛇の列。
先月の東京国立博物館平成館の「仏教伝来の道~平山郁夫と文化財保護~」の最終日は思ったよりすいていましたが、こちらは狭いこともありすれ違うのも大変な有様です。

今、ちょうど藤沢周平の「闇の傀儡師」を読んでいますが、旗本の御曹司が城勤めより錦絵にハマる話が出てきます。
浮世絵作家の経歴に「旗本の家督を息子に早々に譲り絵師になった」とあり、なるほど!と納得してしまいました。
作品は保存が良いのか、今でも鮮やかな色彩を残しています。
しかし、これだけの日本の作品がボストン美術館にあること自体に驚きを感じざるをえません。

PS
夜はマンションの管理組合の総会で、一緒にボストン展を観に行った友人が次期理事となりました。
昨年の理事は、大規模修繕工事があったので大変な時期に当たっていたようですが、工事の監査を専門家に委託したため、スムーズな運びとなったとの総括でした。
また、東日本大震災前に耐震調査を終え、耐震強化工事を行ったため建物に損傷はなかったとの報告で一安心。
各家庭の震災時の揺れに伴う実態をアンケート調査して、次期理事会への申し送りを求める会場発言があり承認。
今回の震災でも一人暮らしのお年寄りへのフォローが必要との話は出ますが、個人情報の問題で遅々として進んでおらず、マンション住民の高齢化に伴い、本腰を入れて対処が申し送り事項となっていました。

2011-04-16

めいみのペン立て

先日、SAORIの教室の「定年を祝う会」で、スタッフの方から卒業生3人にペン立てとケーキのプレゼントがありました。ケーキ美味しかった!ペン立てはPCコーナーで重宝して使っています。


この「ペン立て」は、NPO法人「MEIMI・CLUB」の
めいみさんが作っているものです。
その中にお母さんからのメッセージが入っていました。

昔、めいみさんが作業所で想像もできないショ ックを受け、傷つき引きこもり、織ることをやめてしまった経過が以下のように語られています。

私は申し訳ないのですが、作品一つひとつに、当事者に対する個人的な思いが強い文章を入れること自体に疑問を持ってしまいました。
作品を買った人たちに、お母さん?NPO法人?は何を求めて、このメッセージを入れているでしょうか。

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このペン立てを制作したのは、34歳の新田めいみです。高校卒業時、IQ19でした。
数人のサポーターと共に、ペン立てを制作しています。

作業所の通所を拒否し始めてから約5年が経過しています。
現在は農作業や家事の手伝い、クロネコヤマトのメール便のアルバイトをしています。
毎週木曜日はさをりの教室でペン立てを作って過ごしています。

筬通しや整経はサポートを受けながら行いますが、織機に向かう事はありません。
それは、15年ほど前に通所していた場所での出来事にショックを受け、寝たきりになってしまった時からのことです。
その当時の職員と一年後に遭遇した際、恐怖の表情で失禁してしまったことで、通所当時に何かがあったのだと
感じました。

私たちはさをりに関する多くの活動の中で城みさを氏の言葉を心から実感し、重度の障害を持っていても何かが
できるということを学びました。
「重度だからできない」ではなく、どうすればできるかを考えればいいということや、「時間がない」と言わずじっくり
すり合わせすれば何かを掴めるということに自信を持ちました。
城みさを氏の「心を溶かすのは愛情と時間」という心強い言葉も、私達の支えとなっています。

重度の娘と共に歩んでいると、社会の中ではこの人たちは「何も分からない人」という位置づけなのだと感じることが
たびたびあります。
文章や言葉では「ニーズに応えて」「本人の意思確認」などと言っているものの、心や体はそんな風に動いていない
現実に出合います。
そのたびに娘は絶望し、それを立て直すのに苦労しています。
彼女は感じていることを表現する未熟さがあるにせよ、対応する側もそれを受け取る未熟さを自覚し、どうしたら
理解しあえるかを考えてみる必要があると思います。

私達は皆、年を重ね障害を持つのだから、今こそ生きやすい社会を作っておきたい。
そこは、誰かが弱い立場に立った時、誰にも優しい社会なのだと信じているから。
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2011-04-15

下賀茂茶寮 卯月懐石

京都花見旅行の2日目、京懐石料理の「下賀茂茶寮」で卯月の懐石を満喫しました。

帆立貝、筍、車海老、生雲丹の若草仕立
春の珍味物、季節のお魚色々、筍直火煮、蕗、木の芽
海老桜寄せ、清汁仕立
春の口取り色々
牛肉の網焼き
眼張の包み揚げ、たらの芽、こごみ
筍ご飯、京漬物、合わせ味噌仕立
グレープフルーツと苺のゼリー&苺デザート

2011-04-14

京都桜 <大松清流亭、二条城、上賀茂神社、平野神社>

南禅寺裏の大松清流亭の枝垂れ桜



















二条城の枝垂れ桜



















二条城天守閣跡から眺める桜



上賀茂神社の枝垂れ桜


















平野神社の白・紅色枝垂れ桜

2011-04-13

京都桜 <琵琶湖疏水、南禅寺、哲学の道、平安神宮>


琵琶湖疏水インクラインの桜
琵琶湖疏水の設計監督責任者
田辺朔郎博士像


















南禅寺の桜

花びらが敷き詰められた哲学の道












哲学の道で食べた「花見2段弁当」


平安神宮の紅・白枝垂れ桜

平安神宮・神苑の池の枝垂れ桜

2011-04-12

京都桜 <醍醐寺、毘沙門堂、琵琶湖疏水、二条城>

醍醐寺の八重紅枝垂れ桜























毘沙門堂の枝垂れ桜


















琵琶湖疏水の桜と菜の花


















二条城の枝垂れ桜のライトアップ

2011-04-11

桜花煙る石神井川

ソメイヨシノと白桜

石神井川の桜の噂を聞き、まだ間に合うと友人と駆けつけました。
まだ薄日が射す川べりを歩くうちに、どこからかお腹の底に響く落雷の音が聞こえてくると、しっとりとした雨が降り出しました。
先ほどまでの日差しから想像もつかない空模様となり、風で舞う花吹雪と本降りの雨となりました。

雨を凌ぐために飛び込んだ煎餅店は老舗らしく手焼きの煎餅がずらりと並んでいました。
海苔巻きとおかき、胡椒煎餅を購入したものの、まだ雨は止まず、ますます勢いを増してくる有様です。

桜の枝と水面の花びら

途方にくれた私たちを気の毒に思ったのか、店の奥から傘を持って現れた奥さんが、ブルーの水玉模様の折り畳み傘を「使ってください」と差し出してくださいました。

感謝して店を出たのですが、とても一つの傘で間に合う降りではないので、喫茶店に入り小降りになるのを待っていると、またもや大きな余震が訪れました。
窓の傍の席に座っていた私たちに、店主は危険なのでガラス窓から離れた席に移動するように言われました。
あの3月11日から1カ月、あの日一緒にいた友人と今日もまた福島を震源とする震度6.0の地震を体験してしまいました。

この日の夜は、銀座でSAORI水曜日夜教室の「退職を祝う会」が予定されていました。
あの日以来、自粛ムードで全てのイベントがキャンセルされ、私は区切りのないまま定年退職を迎え、職場から消えてしまったようで少々落ち込んでいました。
唯一実施される懇親会は、余震の中でも9人全員が集まり、スパーリングワインから始まり、白・赤のワインを堪能し、筍や菜の花など旬の素材の美味な料理で盛り上がりました。

2011-04-10

歌川広重の「名所江戸百景」を歩く

「広重の富士」の著者である赤坂治績さんから、三越カルチャーサロン定期講座の案内が届きました。

今までカルチャーセンターでの講座は、歌舞伎を専門にやられていましたが、これからは少し視点を広げて、歌舞伎・浮世絵を含む江戸時代の文化全体について話をされるそうです。

浮世絵と言えば、山種美術館で、ボストン美術館で保管されている浮世絵作品を展示中です。
先週、友人と行く予定でしたが、私が風邪を引いたため流れてしまいました。是非実現させたいものです。

PS
一斉地方選挙の開票が始まりました。
最近の選挙は出口調査とやらで、投票箱が閉まった途端に当選確実が出て、候補者のいない選挙事務所が
映し出されています。
乱立の東京都知事選は、この程の震災を天罰とのたまった人が当確となっていて都民の良識が疑われます。
70代の有権者の50%が支持しているとか?!信じられない限りです。

2011-04-09

花曇りの我が家のお花見


窓下の土手の桜を眺めつつ、ご近所の蔵元から買ってきた旭正宗「まったくの生」を飲みました。
東北の地酒を飲んでの支援とはならず、タラの芽とふきのとうの天ぷらに菜の花の漬物をツマミに、埼玉の地酒で地元完結のお花見となりました。ご勘弁ください。
二羽の鳥が飛んできて、桜花の蜜をついばんでいます。

窓下の川には、近くの神社の桜の老木が川側に枝を張り、散る頃には川面は桜の花びらで真っ白になります。
通勤の帰り道に、橋の袂から白い川面に見とれたことが幾度もあります。
桜が残っているうちに土手沿いに少し遠出して、別所沼公園まで行ってみたいと思っています。

ちなみにさいたま市桜区は、桜ではなく桜草公園に因んで桜区と地名が付けられたそうです。
明日は一斉地方選挙の投票日です。宣伝カーから最後のお願いの声が聞こえてきます。
彼の地では、誰かさんが頑張ってウグイス嬢をしているそうです。

2011-04-08

ayayaの引越

念願だった、ayayaの終の棲家?への引越です!
年度末の忙しさに加え震災支援の緊急体制の中、住宅の売り買いを一人でこなし、今日の日を迎えました。
あれこれ沢山の物件を見て回ったそうですが、結局同じマンションで広い3LDKを見つけました。
ですから居住スペースが増えただけで、生活エリアも建物の基本的な構造も変わりません。
5年前に2LDKに移った後も、同じ敷地内で3LDKに移りたいと漏らしていたのですから、落ち着くところに落ち着いた
ということなのでしょう。
9時から引越だったので、荷物出しが終わった頃を見計らい、旧住まいの掃除に行くことなっていました。
ところが、すでに通販のSさんとそのお友だちが到着し掃除をされていましたので、次男と私は直接新居にお邪魔し荷物の運び込まれるのを待ちました。
カラの冷蔵庫が到着すると、ボックスや棚を抜き出して水洗いし、冷凍・冷蔵品をランダムに詰め込みました。
次男はayayaの号令のもと、食器片付けを手伝ったり、リビングのライト取り付けの電気屋さんの助手を務めたり、
旧居と新居を往復したりと猫の手になっていました。
私は猫の手にもならないので、寸法の合わない出窓のカーテンの裾上げに終始しました。
ミシンがあれば容易なことなのですが、えらく時間を掛けて固いカーテン地を手縫いしました。
新しい台所は対面式キッチンの上部をオープン仕様にしているため、収納スペースが減少し台所用品が入りきれずayayaが四苦八苦していましたが、その他は引越おまかせパックで当日中に開梱収納まで完了しました。
愛犬の散歩のため、第一陣で次男が帰り、10時近くにayaya親子に車で送られて新宿まで出て帰り着きました。

2011-04-07

わが家の桜でハナサケ!


ベランダのすぐ下にある土手に咲く桜は、2階の我が部屋の真正面に花を咲かせています。
窓から根元めがけて油粕を投げ続けて10年、最初はか弱そうな細枝が、今では立派な木に育っています。

今日は暖かな日和で、土手の桜も一斉に綻び始めました。
この週末にはベランダでお花見ができそうです。
そうです!東北の地酒を買ってきて「ハナサケ」、私流の支援をしなくてはなりません。
そのうち東北の温泉旅館に泊まって、本物の「ハナサケ」支援をしますからお待ちください。


月曜日、SAORIクリエーター会議の後、埼京線の開かずの踏切を越え、懐かしい生協会館新館を眺めながら、12:30ギリギリにフェニックスへ飛び込み風邪薬を貰って来ましたが…。強烈に喉が痛んで2日間ゴロゴロ状態です。おかげで万歩計は300歩と情けない数字です。うがいをしてトローチを舐めて、やっと今日から復活しました。


PS
午後ハローワークに行ってきました。離職票が送られてきたら、すぐ提出しようと意気込んでいたのに、
そんなこんなで出遅れてしまいました。
ハローワークは大変な混雑で、PCでの検索の順番を待つ人が長蛇の列です。
1階で待ち、2階で待つこと3時間。分厚い「受給資格者のしおり」を貰ってきました。
4/18雇用保険説明会。5/6最初の失業認定日です。退職した!という実感が湧いてきました。

2011-04-06

インターネット・モバイルバンキング

以前、労金の担当者に勧められ、インターネットバンキングの手続きをしていましたが、何しろプラザ1階に
ATMがあり、いつでも操作できたので、その必要性を感じませんでした。
ところが退職すると不便この上なしです。自宅近辺には労金がなく、さらに震災以降は節電のため、
店舗併設のATM以外は使えなくなりました。
出金はコンビニでも可能なのですが(月10回まで手数料がキャッシュバック)、記帳したり、振込するには、
わざわざ電車に乗って出掛けなければなりません。
そこで思い出したのがインタ-ネットバンキング。やっと見つけ出したログインPWで入ってみました。
すると長いこと使っていなかったため、ID、PWを変更するようにコメントが出てしまいました。
ID、PWの変更と同時に、以前maeさんに案内が送信されるアドレスを1本化するように言われていたので、
登録メールアドレスを携帯アドレスからinfoに変更しました。
ここで、お試しに、虹の費用を振り込んでみました。OK!
記帳していない期間を指定すれば、通帳の入出金、振込の状況一覧が表示されます。OK!
早速、虹への振り込み金額を、「e-家計簿」に入力しておきました。通帳残高も合っていますOK!
iphoneからの入力もできるので、出先で買い物したらすぐ入力しておくと忘れません。OK!

2011-04-05

e-家計簿にチャレンジ!

セカンドライフに入り年金収入で生活するために、家計を縮小するには数字を把握しなければなりません。
元家計活動担当者のちゃま2は何十年と家計簿を付け続けていますし、ライフプランアドバイザーのマリドラさんからも
エクセルで家計簿付けてみたら?というアドバイスをいただきました。
今まで家計簿に何度チャレンジしても長続きしない私でしたが、そんなことを言っている場合ではありません。
追いつめられればやるしかない! そこで見つけたのが、「e-家計簿」です。
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  「家計簿のホームページ 「e-家計簿」 へようこそ。
  このホームページでは、WWWサーバーで稼動する家計簿システムを提供しています。
  家計簿を通じて、家計のやりくりを振り返るきっかけができたらと思います。
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という訳で、本日はその設定で半日四苦八苦しておりましたが、それさえ終われば後は金額入力だけでOKです。
そうすれば、①収入/借入、②支払/返済、③預入/引出、④予算、⑤科目別実績、グラフ、⑥科目別収入支出明細、
⑦月別実績推移と年別実績推移、⑧出納一覧、⑨現金・預金・貯蓄の残高証明、⑩自分が設定したコメント一覧
以上の証票がすぐ見ることができる優れ物です。うれしくなってしまいました。


PS
本日、メールボックスを開くと、
「フェイスブックで一緒​にあの頃の思い出を語​ろう」 
というタイトルのメールが届いていました。
内容は、
「こんにちは、u-koさん
Yoshiko AritaさんからFacebookへの招待が届きました。
Facebookに登録して、友達の近況や写真をチェックしたり、
自分の最新ニュースを友達に知らせませしょう。」
と、あります。

2011-04-04

SAORIクリエーター会議


「さをり・リーダーズ・コミティ」とは異なる、もう一つの選択肢に、「SAORIクリエーター」があります。
SAORIクリエーターは、自分の作った作品を通じて表現し、作品を通じてさをりを広める人たちです。

毎月第一月曜日 朝10:00~12:00 はクリエーター会議の日です。
集まったクリエーターは、一人づつ自分の作品を人体に着せて、着かたや素材、特徴などを説明していきます。

この日は、特別作品も多く、来週からSAORI東京教室で始まる ①「クリエーター展」の出品作品、②他の地方の教室を回り販売される作品、③三越デパートで販売される作品を、それぞれまとめる作業が進んでいました。

毎月、1人2~3点の作品をつくるのはたいへんな労力が
必要です。
見学している私としては、「出来るかな?」と正直なところ、だんだん心細くなってきてしまいました。

終了後、フェニックスへ直行し、花粉症の血液検査と風邪薬と血圧の薬を出してもらい、駅前でsayokoさんとお茶して帰りました。

PS
昨晩、20周年を迎える「生活文化・地域協同研究会」の事務局長から電話が入り、時間に余裕が出来たのだから、
そろそろ運営委員を引き受けないかとお誘いがありました。
10数人の運営委員ですが、毎月の定例会の前に半数ぐらいの方がが集まり、準備しているそうです。
体調の悪い方もいらっしゃるので、世代交代も視野に入れ補充の意味で声がかかりました。
4月12日PM2:00から「岐路に立つ日本の生協を考える」と題して、2020ビジョンに関してootomoさんがお話されます。
私は残念ながら旅行中で参加できませんが、5月14日に開催される総会には参加したいと思っています。
「事務局は貴女が来るのを手ぐすね引いて待っているから!」と、この前もハーブさんからメールが入りました。
彼女も運営委員でがんばっておられる模様。
震災後の計画停電で、電気系統のトラブル騒ぎで管理人の仕事も影響を受け、大変な思いをされているそうです。

2011-04-03

必然の国から自由の国へ

ネパールのJUKUさんからエールが届きました。ありがとうございます!

u-koさん  退職おめでとうございます。いよいよ本当の自由人ですねよ。
ある政治学者が、土地や身分にしばられた封建時代から、自由に仕事ができる近代民主主義社会、さらにその先
の社会について「必然の国から自由の国への人類の偉大な飛躍である」と述べていたことを記憶しています。
これからは本当に自由な時間を楽しめますよね!
私はとりあえず半分自由なシニア海外ボランティアを経験し、また一部必然の国といいますか、JICAの契約所員
として、現在働いています。
この間、感じたことは、時間は限られたものであり、その時間を自分の考えでつかえる楽しさを味わっていような
気がします。この時間というの本当にすばらしいです。
そして今回の大震災から、やはり人間、常に自分の思いを大切にしないと悔いが残る事も感じました。
多くの被災者の方々が本当に悔しい思いをされていると感じます。
被災者の方々の冥福を心からお祈りするとともに、今、生きている私達がその人生を精一杯生きなければならない
と感じました。
u-koさん、自由な時間、お互いに悔いのないように生きたいですね。
u-koさんの新らしい人生の門出に乾杯!いつもまでも素敵な笑顔を持ち続けて下さい!
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JUKUさんからのエールで、こころに残ったことばにをつけてみました。
自由の国への第一歩を踏み出した私は、自分の考えで使う時間の楽しさを満喫したいと思います。
私のセカンドライフとしてどのくらい残されているかかわからない、限られた時間なのですから。
井上ひさしの「父と暮らせば」の中で、生き残った娘が原爆で死んでいった人たちに申し訳ないと、生かされている
自分が幸せになることを拒む場面があります。
作者は、生かされている人は亡くなった人たちの思いも含めて、幸せに精一杯生きなければならないと父親(幽霊)
に言わせています。
まさにJUKUさんの言うとおりだと思いました。自由の国を大切に生きていきたいと思います。


PS
朝、7時過ぎにメールの着信音。そうtantanからの現地報告です。
きっと支援に出かける前に送信してくれているのでしょう。前回の報告の送信と同じ時刻です。
今回は、早く切りあがった支援活動の後に、体育館で念願のマジックが実現した模様です。
SAORI教室へ出掛ける前にアップしておこうと、iphoneから写メールをPCへ転送しておき、いざアップしようと
PCに向かうと、何ともうPPNのホームページにアップしているではありませんか!
そうです。とまとカキさんがアップしてくれたのです。
みんながホームページに関わるという事はこういうことなのですね!うれしい!長続きの秘訣です。

ところで、maeさんが配信してくれている地震関連のML[earthquak​e :167] に、面白いつぶやきが載っていました。
<計画停電になったら>
アメリカ人:損害補償のため弁護士をよぶ。 フランス人:バカンスへ直行。 イタリア人:シエスタに割りあてる。
ドイツ人:停電のなか仕事続行。 ロシア人:ウォッカ飲みまくり。 中国人:計画的であることにパニック。
日本人:計画通りに停電しないことに怒る。

ちなみにシエスタの意味がわからず検索したら、Wikipedia に以下の説明がありました。
シエスタ(Siesta)は、スペイン語で昼寝(午睡)のことである。または、スペイン語圏を中心に生活習慣として
社会的に認められている昼寝を含む長時間の昼休憩(13:00~16: 00が目安)を指す言葉である。
なるほど!民族性ですかね。日本人としては少々恥ずかしくなりました。

2011-04-02

さをり・リーダーズ・コミティー会員にチャレンジ!

3月は地震の影響のダイヤの乱れからSAORI東京の水曜日夜の教室はお休み状態でした。
来週からやっと復活する模様です。
職場関連の退職を祝う会は、部署もグループもプロジェクトも、個人的な集まりまで、自粛と余震の関係ですべて
キャンセルとなっていましたが、さをりの夜教室の送別会は4/11に開催されます。
教室の参加者はいつも少ないのですが、夜の飲み会は多数参加するのが、水曜夜組の特徴と言えます。
今年の定年退職者は私を含め3人、ここでも当事者から祝う会をやって?と持ちかけて実行の運びとなりました。
場所は銀座の博品館の傍で、ワインのアンテナショップ「ローゼンタール」です。

今日は久しぶりに土曜日の教室に顔を出し、”さをり・リーダーズ・コミティー会員”の募集要項を貰ってきました。
8月末までに10点の指定された作品とレポートを用意して応募しようと決心しました。
セカンドライフのスタート時から、計画的に作品を作っていかなければなりません。
また、作品の販売を目指すクリエーターの道もあり、来週4日は第1月曜日の定例会に当たるので、クリエーター会議を見学に行く予定です。

PS
昨日から万歩計を付け、目標1万歩を目標にしているのですが、本日は12,303歩、昨日に続き1万歩をクリアしました。
通勤がなくて1日1万歩は結構厳しいものがあります。
昨日は和光、大久保経由、赤阪見附と3カ所、今日も朝霞台、代々木、新宿、和光(郵便局)を4カ所出歩いています。
今はいろいろ手続きがあり出歩きますが、家で織り物を始めたら1歩も外に出ない生活が続きそうです。
定期的に体を動かすことをスケジュール化する必要があります。
スポーツクラブでのスイミングが長年の夢なのですが、駅前のクラブに再度チャレンジするか?悩んでいます。
まずは、夜の間食を控え、この間のウエイトオーバーをセーブしましょう。

2011-04-01

瀬奈じゅんコンサート 「ALiveⅡ」

昨晩の「青春のフォークソング」の次は、元宝塚月組男役トップスター瀬奈じゅんのコンサートです。
午前中は、まさか赤阪ACTシアターまで出掛けるとは思ってもみなかった、今夜の『ALiveⅡ~Handsome Woman~』
以前、月組公演を3人で観に行ったことがありましたが、その後、マリドラさんとayayaが瀬奈じゅんにハマっているとは露ほどにも知らずにいました。
急に行けなくなったayayaから、今日から自由人の私に白羽の矢がたちました。
当然のことながら女性ばかり、ライトを振る人の多いこと、みなさんファンクラブのようで1曲終わるごとに喝采!です。
舞台で37歳の誕生日を祝い、阪神大震災を経験した彼女から、震災支援募金と支援Tシャツの販売をアナウンス。
私たちも募金とパープルのTシャツを長蛇の列に並んで購入しました。
ピンクも綺麗な色目だったのですが、さすが年を考えて…トホホ。


ネパールのtoyoさんからメールが届きましたので紹介します。

御無沙汰しています。
日本は大変なことになっていますが、u-koさんはお元気ですか?
PPNのホームページはみせて頂いているのですが、2月中ごろに送信した風のナマステ通信は届いていたのか
心配になり、メールしました。
 ⇒ すいません!PPNホームページで紹介するのがモレていました。すぐアップしておきます!
https://docs.google.com/a/yuukoharada.com/viewer?a=v&pid=explorer&chrome=true&srcid=0B0wvqrutwklDYWU1MDQ0MWItZDc4OS00OWQ3LWI3ZmItZjQ1ZmM1OTgwMGE0&hl=ja&authkey=CJW0xtUK

こちらでも、日本人会・JICA・大使館の他に、日本人が関わっている組織でも、チャリティー活動がすすんでいます。
私もネパール語の学校の友人と(日本人とネパール人)千羽鶴を送って励まそう!の活動を
キャンパスと中央郵便局前で行いました。
集まってくれた人に千羽鶴の折り方を教えながら、折ってもらい、ネパール語で書いた地震災害時の心得を配りました。
折り紙は1000枚もないので、ネパール語の新聞紙を切って折り紙を作りました。
皆さん興味を示してくれて、一生懸命折ってくれました。
今月一時帰国する友人が、千羽鶴とネパール人の暖かい気持ちを(ドネーションもわずかですが集まりました)被災地に届くよう運んでくれる予定になっています。
こちらでは何もできないと思っていたので、良かったと思っています。
生協でも、支援の輪が広まっていると思います。  

PS
宮城から帰ってきたとまとカキさんから自宅に電話が入り、元気な声が聞けました。 
早速、みやぎ報告の原稿をワードで作ったそうで、アップの仕方の問合せでした。
コンサートから帰り、PPNのホームページを確認すると、まだアップされていません。
どうしたのかと管理画面に入ってみると、「とまとカキさんが下書きを編集中」というコメントが出ました。
そして、しばらくすると素晴らしい報告がアップしました。
「メンバーみんなが関わることが、ホームページを持続させるポイント」と、新年号紙誌コンクールの
書評をもらいましたが、徐々に投稿する人が増えて賑わってきています。嬉しい限りです。