晴れ渡った日曜日、「首都圏反原発連合」「さよなら原発1000万人アクション」「原発をなくす全国連絡会」の共同行動に参加しました。
福島原発事故から3年、全国の原発ゼロの想いをつなぐ日です。
会場到着が1時を少々過ぎてしまいました。入場制限に合い日比谷野外音楽堂には入れませんでした。
公園の外でおにぎりを食べ待機。
残念ながら坂本龍一さんのトークは聞こえません。
埼玉土建の戦列に入れさせてもらい友人と2人で歩きだすと、彼女の夫さんが探し当てて到着。
参院会館請願窓口に着くと、秘密保護法反対の国会包囲の時に見かけた真っ赤なコートを着て、吉良よし子さんが笑顔で迎えてくれました。
最近、おもうこと
50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。
定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。
大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。
もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、
2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。
里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。
そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。
2014-03-09
2013-12-22
STOP!! NUKES 1222再稼働反対・国会大包囲
晴れ渡った日曜日、ママ友と日比谷野外音楽堂へ。
首都圏反原発連合が主催した
「1222再稼働反対★国会大包囲」集会に参加してきました。
スピーチする「さよなら原発1000万人アクション」呼びかけ人の鎌田慧さん。
女優の木内みどりさんと元参院議員の水野誠一さん夫妻も登場。
この集会は金曜日の反原発官邸前抗議行動の巨大版と。
主催者からのカンパ要請、大きなカンパ袋を持ったスタッフが訴えながら会場を回っています。
野音のベンチは冷たい!
ところがミニ座布団を持っている用意の良い人がいます。
マフラーや衣類を急遽座布団代わりに敷いている人も。
飲み物、食べ物持参で、早速おにぎりやパンを頬張っている人。
みなさん心得て寒さ対策も万全のようです。
集会が終わると、国会を包囲するため、それぞれ旗やプラカードを持って思い思いの方向へ移動。
これが自然発生的に、指揮する人がいないのに流れていくのです。
渡されたチラシのマップにはコンビニのトイレの場所も親切に入っています。
主催事務局から「只今、国会を包囲しました」とのアナウンスが流れると、
「オー!」という歓声が上がります。
行進中に人はどんどん膨れ上がり、
この寒空にショートパンツにプラチナブロンドの女性が加わりました。彼女の要求が書かれたタスキ?の文字が読めなかったのが残念。
国会正門前の交差点で、連れのママ友の夫さんと巡り合え、知り合いの小学校の先生ともバッタリ遭遇しました。
首都圏反原発連合が主催した
「1222再稼働反対★国会大包囲」集会に参加してきました。
スピーチする「さよなら原発1000万人アクション」呼びかけ人の鎌田慧さん。
女優の木内みどりさんと元参院議員の水野誠一さん夫妻も登場。
この集会は金曜日の反原発官邸前抗議行動の巨大版と。
主催者からのカンパ要請、大きなカンパ袋を持ったスタッフが訴えながら会場を回っています。
野音のベンチは冷たい!
ところがミニ座布団を持っている用意の良い人がいます。
マフラーや衣類を急遽座布団代わりに敷いている人も。
飲み物、食べ物持参で、早速おにぎりやパンを頬張っている人。
みなさん心得て寒さ対策も万全のようです。
集会が終わると、国会を包囲するため、それぞれ旗やプラカードを持って思い思いの方向へ移動。
これが自然発生的に、指揮する人がいないのに流れていくのです。
渡されたチラシのマップにはコンビニのトイレの場所も親切に入っています。
主催事務局から「只今、国会を包囲しました」とのアナウンスが流れると、
「オー!」という歓声が上がります。
行進中に人はどんどん膨れ上がり、
この寒空にショートパンツにプラチナブロンドの女性が加わりました。彼女の要求が書かれたタスキ?の文字が読めなかったのが残念。
国会正門前の交差点で、連れのママ友の夫さんと巡り合え、知り合いの小学校の先生ともバッタリ遭遇しました。
2013-03-01
「原発・原爆に関する情報サイト」
「コラボ・コープOB」のブログで紹介のあった「原発・原爆に関する情報サイト」に見に行くと、現職時代にお世話になった全国の生協のトップの方々が推薦人として名を連ねていました。
昨年末に開設されたばかりのサイトですが、続々とコメントがアップしています。
被曝二世の福岡・エフコープにいらした南嘉久さんの著書「被曝二世として生きる」が紹介されていました。
南さんには仕事でお世話になった他に、女性部のグループ活動・PPN(プラチナ・プラザ・ネットワーク)の平和を考える企画で講師を引き受けていただきました。
もちろん、元会長で被爆者である竹本成徳さんの「わが心の自叙伝」も紹介されています。


昨年末に開設されたばかりのサイトですが、続々とコメントがアップしています。
被曝二世の福岡・エフコープにいらした南嘉久さんの著書「被曝二世として生きる」が紹介されていました。
南さんには仕事でお世話になった他に、女性部のグループ活動・PPN(プラチナ・プラザ・ネットワーク)の平和を考える企画で講師を引き受けていただきました。
もちろん、元会長で被爆者である竹本成徳さんの「わが心の自叙伝」も紹介されています。


原発・原爆に関する情報サイト
〜ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを繋ぐ〜
〜ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを繋ぐ〜
古来、楽したい隠居が年寄りの望みでした。しかしそれぞれにヒロシマ・ナガサキ・ビキニの惨禍に向き合いながら、協同組合の仕事に永年携わってきた私たちは、ふたたび3.11東日本大震災とともに発生した福島原発過酷事故と放射能被爆に心を痛める日々を余儀なくされています。
国民の圧倒的多数が戦争と原爆を情報としても実感としても持ち得ないなかで、3.11福島原発事故により、あらためて原発事故に被爆惨禍という現実が呼び覚まされました。これからを担う世代への期待をこめて、戦後私たち自らがそれぞれの体験と伝聞で知り得たことを伝えあい、発信しあうことが何よりも求められていると思いますが、いかがでしょうか。
まずは、協同組合を通じて得た友情と顔の見える仲間どうしという関係を生かして、当事者、当該地の事実を捉えて、伝え会い、語りあう場の一つとして「情報サイト」があればという思いに至りました。
このサイトでは、親しい友人や愛する人たちに伝えたい自らの体験、伝聞を伝えることを目的として、原爆・原発とともに核物質に関する情報・文章・文献・著作などを皆さんの推薦に基づいて掲載します。まただれでもが公に発表された文書(PDF)にアクセスし、入手できるだけでなく、ホームページやブログなどで発信される有益な情報(URL.PDF)を採録するとともに、サイト間の相互乗り入れによる情報交流などをすすめ、読者からのコメントを広く紹介・発信できるものにしていきたいと思います。
ここに掲載される情報は、転送する価値があると思った受け手が友人知人に自由に拡散され、活用されることになります。新しい仲間を迎えましょう。
ヒロシマ、ナガサキ、ビキニの時代に生きて3.11フクシマを体験したわたしたち一人ひとりが、事実と現実に向き合い、知見を学び、暮らしに活かすために、お互いの情報を縦横に繋げ合うことをここに呼びかけます。
国民の圧倒的多数が戦争と原爆を情報としても実感としても持ち得ないなかで、3.11福島原発事故により、あらためて原発事故に被爆惨禍という現実が呼び覚まされました。これからを担う世代への期待をこめて、戦後私たち自らがそれぞれの体験と伝聞で知り得たことを伝えあい、発信しあうことが何よりも求められていると思いますが、いかがでしょうか。
まずは、協同組合を通じて得た友情と顔の見える仲間どうしという関係を生かして、当事者、当該地の事実を捉えて、伝え会い、語りあう場の一つとして「情報サイト」があればという思いに至りました。
このサイトでは、親しい友人や愛する人たちに伝えたい自らの体験、伝聞を伝えることを目的として、原爆・原発とともに核物質に関する情報・文章・文献・著作などを皆さんの推薦に基づいて掲載します。まただれでもが公に発表された文書(PDF)にアクセスし、入手できるだけでなく、ホームページやブログなどで発信される有益な情報(URL.PDF)を採録するとともに、サイト間の相互乗り入れによる情報交流などをすすめ、読者からのコメントを広く紹介・発信できるものにしていきたいと思います。
ここに掲載される情報は、転送する価値があると思った受け手が友人知人に自由に拡散され、活用されることになります。新しい仲間を迎えましょう。
2012-09-15
「国会事故調報告」が明らかにしたこと、これからなすべきこと
![]() |
国会事故調査委員の崎山比早子さんの講演です。
今回の講演は、昨年8月4日の「放射線の人体への影響」の講演に引き続き2回目。
低線量放射線リスクを中心に報告されました。
文部科学省の「放射線教育」に対する指導要領では、「100mSv以下ではガンの発生リスクとの関係は明確でないと教えること」となっていますが、崎山講師は次のように話されました。
低線量放射線リスクを中心に報告されました。
文部科学省の「放射線教育」に対する指導要領では、「100mSv以下ではガンの発生リスクとの関係は明確でないと教えること」となっていますが、崎山講師は次のように話されました。
<発がんへの段階>
発がん原因はDNAの複雑損傷 ⇒ 修正ミス ⇒ 突然変異
⇒ 蓄積 ⇒ 発がん
放射線がDNAに当たると変異は細胞にたまっていく。放射線が通って、DNAの3つの塩基が変わると突然変異、蓄積される。
放射線が少なくなってもリスクの減少はない。
<東電の武藤副社長のことばを紹介>
悪い研究者に乗っ取られ悪い方向へ向かわないように、研究の動向を監視する。
<放射性ヨウ素九州と甲状腺への蓄積>
安定ヨウ素剤は24時間前被曝と同時に飲むと、93%は阻止できる。
原子力安全委員会は現地本部へヨウ素剤配布をFAX指示。
服用指示が出たのは三春町のみ。
<緊急被曝医療体制>
10~20km圏内、20km圏内は避難地域で病気対応が出来なかった。
会場から「提言の実行を訴えてほしい」と発言に答え、崎山講師は事故調はすでに解散されており、「国会事故調報告書」7つの提言を、国会が実行するか否かを見張るのは国民の役目ときっぱりと答えられた。
P592におよぶ「国会事故調報告書」を努力して読み理解してほしいと主催者から要請がありました。
発がん原因はDNAの複雑損傷 ⇒ 修正ミス ⇒ 突然変異
⇒ 蓄積 ⇒ 発がん
放射線がDNAに当たると変異は細胞にたまっていく。放射線が通って、DNAの3つの塩基が変わると突然変異、蓄積される。
放射線が少なくなってもリスクの減少はない。
<東電の武藤副社長のことばを紹介>
悪い研究者に乗っ取られ悪い方向へ向かわないように、研究の動向を監視する。
<放射性ヨウ素九州と甲状腺への蓄積>
安定ヨウ素剤は24時間前被曝と同時に飲むと、93%は阻止できる。
原子力安全委員会は現地本部へヨウ素剤配布をFAX指示。
服用指示が出たのは三春町のみ。
<緊急被曝医療体制>
10~20km圏内、20km圏内は避難地域で病気対応が出来なかった。
会場から「提言の実行を訴えてほしい」と発言に答え、崎山講師は事故調はすでに解散されており、「国会事故調報告書」7つの提言を、国会が実行するか否かを見張るのは国民の役目ときっぱりと答えられた。
P592におよぶ「国会事故調報告書」を努力して読み理解してほしいと主催者から要請がありました。
2012-07-29
~原爆から原発~ 映画と講演のつどい 「内部被ばくを生き抜く」
2012-07-16
京都でも「さよなら原発10万人集会」に呼応して 7/16
京都の脱原発行進 |
東京の代々木公園では今、「さよなら原発10万人集会」が開かれています。
祇園祭を見るために、私は京都駅近くの法華クラブに泊まっています。
京都でもホテルの近くを、ちょうど脱原発のデモ行進が通り抜けました。
骨折が完治できずにいる私は、東京にいても集会には参加できないと思いますが、昨年の「9.19 さよなら原発集会」の感動が蘇ってきます。
「さよなら原発10万人集会」への呼びかけ
福島第一原発で発生した、世界最大級の過酷事故によって、日本の豊かな自然-田んぼや畑、森、林、川、海、そして雲も空も放射能によって汚染されました。
原発周辺で生活していた多くのひとびとは、家も仕事も失い故郷を追われ、散り散りになっていつ帰れるかわからない状態です。
福島のみならず、さまざまな地域のひとびと、とりわけ子どもたちやちいさな生物に、これからどのような悪影響がでるのかの予測さえつきません。
メルトダウン(炉心溶融)とメルトスルー、そして原子炉建屋の水素爆発という、あってはならない最悪事態いまだ収束されず、圧力容器から溶け出た核燃料の行方さえ把握できない状況です。
さらに迫り来る大地震が、原発を制御不能の原爆に添加する恐怖を現実のものにしようとしています。それにもかかわらず政府は、電力会社や財界の要求に応じて、やみくもに再稼働を認めようとしています。
日本に住むひとびとの8割以上が、「原発は嫌だ」と考えています。世界のひとたちも不安を感じています。しかし、その思いを目に見える形で表現しなければ、原発を護持・存続させようとする暴力に勝つことはできません。私たちはいまこそ、日本の指導者たちにはっきりと、「原発はいらない」と講義の声を突きつけましょう。
電気はいまでも足りています。さらに節電ができます。いのちと健康を犠牲にする経済などありえません。人間のための経済なのです。利権まみれの原発はもうたくさんです。反省なき非倫理、無責任、無方針、決断なき政治にたいして、もう一度強く、原発はいやだ、の声を集めましょう。
要請事項
1.停止した原子力発電所は運転再開せず、廃炉にする。建設中の原発と建設計画は中止する。
2.もっとも危険なプルトニウムを利用する、高速増殖炉「もんじゅ」と再処理工場の運転を断念し、すみやかに廃棄する。
3.省エネ、持続可能な自然エネルギーを中心に据えた、エネルギー制作に早急に転換する。
2012年5月5日 全原発停止の日に
内橋 克人 大江 健三郎 落合 恵子 蒲田 彗 坂本 龍一 澤地 久枝 瀬戸内 寂聴 辻井 喬 鶴見 俊輔
2012-07-03
企画展 「福島原発の闇」 原爆の図の丸木美術館
「原爆の図の丸木美術館」に展示 |
協同研の仲間と埼玉県東松山市にある「原爆の図の丸木美術館」を訪れました。
今年は丸木俊の生誕100年にあたるそうです。
丸木位里・俊 夫妻による「沖縄戦の図」を佐喜眞美術館(沖縄)で見て以来、10年ぶりに「原爆の図」と初対面です。
ここには30年かけて制作した原爆の図全15部中、「長崎」を除く14部が展示されています。
新館には、「南京大虐殺の図」「アウシュビッツの図」「水俣の図」など晩年の作品があります。
現在、特別展示として、ルポとイラストによる「福島原発の闇」が展示中です。
1979年に『アサヒグラフ』に掲載されたフリールポライター堀江邦夫さんの原発労働者のルポルタージュと水木しげるさんのイラストレーションを拡大複写したものです。
昨年8月、『福島原発の闇 原発下請け労働者の現実』 単行本として発刊されています。
当時の原発労働者の姿は、3.11以降も変わらぬ現場の実態であることを実感しました。
休憩所には、「原発やめよ 命が大事」という大きな張り紙に福島県南相馬市の被災状況の写真が貼りだされていました。
一緒に行った仲間の2人が、6月29日の官邸周辺の原発再稼働反対の抗議行動に参加していて、国民の声を受け止めず、「大きな音が聞こえていましたね」とコメントした野田総理に怒っていました。
2012-06-30
「官邸前「反原発」人の波」 6/30 毎日新聞一面より
実物大記事
見出しも記事もなく、ただ写真とキャプションが下にあるだけの報道が、6月30日の毎日新聞・朝刊一面の真ん中に掲載されていました。
「EU安全網 国債購入」という記事が周りを囲むようにあり、一瞬、写真と記事がいれこになったのかと思うほどでした。
昨夜、国会周辺には主催者発表で20万人が集まったという情報もあります。
にも関わらず、この記事にはもちろん、社会面の参加者の声の紹介記事にも、参加人数は一切触れられていませんでした。
マスメディアは事実を報道する使命を放棄してしまった感があります。
PS
iPad 購入前勉強会
2012-06-22
「核の傷」肥田舜太郎医師と内部被曝の上映会
![]() |
講演後の花束贈呈 |
埼玉会館は満席 |
上映直前に到着すると、埼玉会館は満席状態、一番最前列にいくつか空き席があるというので一番前の席で見上げるように仰け反って映画を鑑賞するはめになってしまいました。
2006年にフランス人監督マーク・プティの撮影した肥田舜太郎医師の内部被曝告発の軌跡は、広島の原爆投下当時の被爆者の写真や占領下のABCCの記録写真も織り込みながら、肥田医師の戦後の活動を追っています。
同時上映の「3.11以降を生きる:肥田舜太郎医師講演より」では、95歳でありながら診療の傍ら土日はすべて講演日程が詰まっているというハードな活動ぶりが映し出されます。
医療生協さいたまと埼玉映画文化協会の共催だけあって、会場を埋め尽くした高齢者を前に、「自分の孫、ひ孫に安心して生きられる地球を残すために、自分の残りの人生をかけてください」と訴える肥田医師。
「私の元にこの子を安全に育てるためにはどうしたらよいでしょうと相談に来る若いお母さんがたくさんいます。その人達にあなたの子どもだけを安全に育てることはできません。日本中の子どもが安全に育たなければ、あなたの子どもを安全に育てることはできないのですと答えています」と語る。
「私の元にこの子を安全に育てるためにはどうしたらよいでしょうと相談に来る若いお母さんがたくさんいます。その人達にあなたの子どもだけを安全に育てることはできません。日本中の子どもが安全に育たなければ、あなたの子どもを安全に育てることはできないのですと答えています」と語る。
ロビーで、3月に出版されたばかりの肥田舜太郎著書「内部被曝」にサインをもらって帰って来ました。
2012-06-17
記念講演「放射能にどう立ち向かうか」
高校生に戻った気持ちで物理の授業を受けてきました。
革新懇の記念講演で、県立上尾橘高校教師・畑井喜四郎さんの「放射能にどう立ち向かうのか」
のお話です。
放射線に対する自己判断:電卓を片手に計算しましょう
年間被曝線量の計算 : [1時間あたりμSV] ☓24時間☓365日÷1000
例1 事故当時の原子力保安院西山審議官の発言を計算してみよう
「モニタリングポストの20μSV/時は、ICRP(国際放射線防護委員会)の定める1年間被曝線量限度1mSVの1/50である。」
1mSV=1000μSV であるから 20/1000=1/50 という計算はうそではない。
20μSV/時から年間被曝線量を計算すると、20☓24☓365÷1000=175.2mSV
1年間の被曝線量限度の175.2倍である。
例2 当時の枝野防衛庁長官の発言を計算してみよう
「3/16のいわき市では終日2μSVであった。この値は胸部X線(0.05mSV)の1/25であるから、ただちに健康を害するものではない」
2μSV=0.002mSV 0.002/0.05=2/50=1/25
1日の被曝線量=2☓24=48μSV=0.048mSV これは、胸部☓線1回分に相当する。
2μSV/時から年間被曝線量を計算すると、2☓24☓365÷1000=19.71mSV
1年間の被曝線量限度の19.71倍である。
2012-04-15
農民詩 「みえない恐怖のなかでぼくらは見た」
2011年7月18日付 農民連の「しんぶん農民」に掲載された詩人・前田新さんの詩を紹介します
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見えない恐怖に脅かされて
4か月も過ぎたいまも
ぼくらは、ふるさとの町を追われたままだ
レベル7、その事態は何も変わっていない
何万という家畜たちが餓死していった
人気のいない村に、その死臭だけが
たちのぼっている
姿を見せないものに
奪われてしまったふるさとの山河を
何ごともなかったように季節が移ってゆく
郭公が鳴くそこで、汗を流して働くのは
もう、夢のなかでしかないのか
ぼくらは、そこに立ち入ることもできない
かって、国策によって満州に追われ
敗戦によって集団自決を強いられ
幼子を棄てて逃げ帰ってきたふるさと
そして苦闘のすえに築いた暮らしを
あの日と同じように、一瞬にして
国策の破綻によって叩き壊された
しかもこれは痛みのない緩慢な死だが
あの日と同じ集団自決の強要ではないのか
七三一部隊の人体実験ではないのか
なかまよ 悲しんで泣いてはいられない
この4か月の間、見えない恐怖のなかで
ぼくらがこの眼で見たものは
それでも、儲けのために
原発は続けていくという恐怖の正体だ
よし、そうならば
ぼくらも孫子のために、腹をすえてかかる
かつての関東軍のように、情報を隠し
危ないところからは、さっさと逃げ帰って
何食わぬ顔で、安全と復興を語る奴らに
そう簡単に殺されてたまるか
なかまよ 死んでいったなかまよ
-----------------------------------------------------------------------------------------------
PS
昨日、マリドラさんとあややがお見舞いに来てくれました。
3時頃登場し、夕食のお寿司と果物、恒例のあややお手製シフォンケーキの差し入れがありました。
9時半頃までおしゃべりに花を咲かせ、雨のあがった夜半に帰って行きました。
明日からマリドラさんはお義母さんと熱海旅行の後、Hさんの告別式に参列するとのことです。
京都で8人が死亡する暴走事故の翌日、大磯で早朝に酔っ払い運転によるひき逃げ事故が発生しました。その被害者が元同僚のHさんとは!黙とう。
11日にマリドラ宅でPPM(プラチナポエム)があり、PPNの間違いではありません。
しんごう先生が紹介してくれた農民詩「見えない恐怖のなかでぼくらは見た」を、みんなで朗読することになったそうです。
次回の5月30日のプラチナポエムには参加したいです!
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見えない恐怖のなかでぼくらは見た
前田新 (会津美里町在住)
見えない恐怖に脅かされて
4か月も過ぎたいまも
ぼくらは、ふるさとの町を追われたままだ
レベル7、その事態は何も変わっていない
何万という家畜たちが餓死していった
人気のいない村に、その死臭だけが
たちのぼっている
姿を見せないものに
奪われてしまったふるさとの山河を
何ごともなかったように季節が移ってゆく
郭公が鳴くそこで、汗を流して働くのは
もう、夢のなかでしかないのか
ぼくらは、そこに立ち入ることもできない
かって、国策によって満州に追われ
敗戦によって集団自決を強いられ
幼子を棄てて逃げ帰ってきたふるさと
そして苦闘のすえに築いた暮らしを
あの日と同じように、一瞬にして
国策の破綻によって叩き壊された
しかもこれは痛みのない緩慢な死だが
あの日と同じ集団自決の強要ではないのか
七三一部隊の人体実験ではないのか
なかまよ 悲しんで泣いてはいられない
この4か月の間、見えない恐怖のなかで
ぼくらがこの眼で見たものは
それでも、儲けのために
原発は続けていくという恐怖の正体だ
よし、そうならば
ぼくらも孫子のために、腹をすえてかかる
かつての関東軍のように、情報を隠し
危ないところからは、さっさと逃げ帰って
何食わぬ顔で、安全と復興を語る奴らに
そう簡単に殺されてたまるか
なかまよ 死んでいったなかまよ
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PS
昨日、マリドラさんとあややがお見舞いに来てくれました。
3時頃登場し、夕食のお寿司と果物、恒例のあややお手製シフォンケーキの差し入れがありました。
9時半頃までおしゃべりに花を咲かせ、雨のあがった夜半に帰って行きました。
明日からマリドラさんはお義母さんと熱海旅行の後、Hさんの告別式に参列するとのことです。
京都で8人が死亡する暴走事故の翌日、大磯で早朝に酔っ払い運転によるひき逃げ事故が発生しました。その被害者が元同僚のHさんとは!黙とう。
11日にマリドラ宅でPPM(プラチナポエム)があり、PPNの間違いではありません。
しんごう先生が紹介してくれた農民詩「見えない恐怖のなかでぼくらは見た」を、みんなで朗読することになったそうです。
次回の5月30日のプラチナポエムには参加したいです!
2012-04-13
ドイツZDFテレビ「フクシマのうそ」 Ⅱ
<テレビ映像の日本語書き起こし>
我々は放射能から身を守り、警察から外人と見破られないよう防護服を着こんだ。
汚染され、破壊した原発が立っているのは立ち入り禁止区域だ。
そこに連れて行ってくれることになっている男性と落ち合った。
なにが本当にそこで起きているか、彼に見せてもらうためだ。
ナカ・ユキテル氏は原子力分野のエンジニア会社の社長で もう何十年間も原発サイトに出向いて働いてきた。
フクシマでも、だ。
私たちは見破られず、無事チェックポイントを通過した。
作業員たちが作業を終え、原発から戻ってきたところだった。
3月11日に起こったことは、これから日本が遭遇するかもしれぬことの前兆に過ぎないのかもしれないことが
次第にわかってきた。
そしてその危険を理解するには、過去を理解することが必要だ。
(タイトル) フクシマの嘘
(監督) ヨハネス・ハノ
私たちは立ち入り禁止区域の中、事故の起きた原発から約7キロ離れたところにいる。
ナカ氏はここで生活をし、福島第一とフクシマノ第二の間を股にかけて仕事をしてきた。
ナカ氏と彼の部下は、何年も前から原発の安全性における重大な欠陥について注意を喚起してきた。
しかし、誰も耳を貸そうとしなかった。
(ナカ氏)
私の話を聞いてくれた人はほんのわずかな有識者だけで その人たちの言うことなど誰も本気にしません。
日本ではその影響力の強いグループを呼ぶ名前があります。
原子力ムラ、というのです。
彼らの哲学は、経済性優先です。
この原子力ムラは東電、政府、そして大学の学者たちでできています。
彼らが重要な決定をすべて下すのです。
私たちは東京で菅直人と独占インタビューした。
彼は事故当時首相で、第二次世界大戦以来 初の危機に遭遇した日本をリードしなければならなかった。
彼は唖然とするような内容を次々に語った、たとえば
首相の彼にさえ事実を知らせなかったネットワークが存在することを。
マスメディアでは彼に対する嘘がばらまかれ 彼は辞任に追い込まれた。
彼が原子力ムラに対抗しようとしたからである。
(菅前首相)
最大の問題点は、3月11日が起こるずっと前にしておかなければいけないものがあったのに、
何もしなかったことです。
原発事故を起こした引き金は津波だったかもしれないが
当然しておくべき対策をしなかったことが問題なのです。
この過失は責任者にあります。
つまり、必要であったことをしなかった、という責任です。
では原発事故の原因は地震と津波ではなかったのか?
原子力ムラの足跡を辿っていくと、嘘、仲間意識と犯罪的エネルギーの網の目に遭遇する。
調査は2つの大陸にまたがった。
まずカリフォルニアに飛んだ。
目的地はサン・フランシスコである。
私たちはある男性と話を聞く約束をしていた。
彼は長年原子炉のメンテナンスの仕事でフクシマにも何度も来ており
かなり深刻なミスや事故を東電が隠蔽するのに遭遇した。
フクシマの第1号原子炉は70年代初めにアメリカのジェネラルエレクトリック社が建設し
それ以来アメリカのエンジニアが点検を行ってきた。
そしてフクシマでは何度も問題があった。
(ハーノ記者)
東電は、点検後、なにをあなたに求めたのですか?
(スガオカ氏)
亀裂を発見した後、彼らが私に言いたかったことは簡単です。
つまり、黙れ、ですよ。
何も話すな、黙ってろ、というわけです。
問題があるなど許されない
日本の原発に問題など想定されていない
アメリカのエンジニア、ケイ・スガオカ氏も それを変えようとすることは許されなかった。
(スガオカ氏)
1989年のことです、蒸気乾燥機でビデオ点検をしていて
そこで今まで見たこともないほど大きい亀裂を発見しました。
スガオカ氏と同僚が発見したのは、それだけではない。
(スガオカ氏)
原子炉を点検している同僚の目がみるみる大きくなったと思うと彼がこう言いました
蒸気乾燥機の向きが反対に取り付けられているぞ、と。
もともとこの原発の中心部材には重大な欠陥があったのだ。
スガオカ氏は点検の主任だったので 正しく点検を行い処理をする責任があったのだが
彼の報告は、東電の気に入らなかった。
私たちは点検で亀裂を発見しましたが、東電は私たちにビデオでその部分を消すよう注文しました。
報告書も書くな、と言うのです。
私はサインしかさせてもらえませんでした。
私が報告書を書けば、180度反対に付けられている蒸気乾燥機のことも報告するに決まっていると
知っていたからです。
(ハーノ記者)
では、嘘の文書を書くよう求めたわけですか?
(スガオカ氏)
そうです、彼らは我々に文書の改ざんを要求しました。
スガオカ氏は仕事を失うのを怖れて、10年間黙秘した。
GE社に解雇されて初めて彼は沈黙を破り日本の担当官庁に告発した。
ところが不思議なことに、告発後何年間もなにも起こらなかった。
日本の原発監督官庁はそれをもみ消そうとしたのだ。
2001年になってやっと、スガオカ氏は「同士」を見つけた。
それも日本のフクシマで、である。
18年間福島県知事を務めた佐藤栄佐久氏は当時の日本の与党、保守的な自民党所属だ。
佐藤氏は古典的政治家で皇太子夫妻の旅に随行したこともある。
始めは彼も、原発は住民になんの危険ももたらさないと確信していた。
それから、その信頼をどんどん失っていった。
(佐藤前知事)
福島県の原発で働く情報提供者から約20通ファックスが届きその中にはスガオカ氏の告発も入っていました。
経産省は、その内部告発の内容を確かめずにこれら密告者の名を東電に明かしました。
それからわかったことは、私も初めは信じられませんでした。
東電は、報告書を改ざんしていたというのです。
それで私は新聞に記事を書きました。
そんなことをしていると、この先必ず大事故が起きる、と。
それでやっと官僚たちもなにもしないわけにはいかなくなり17基の原発が一時停止に追い込まれた。
調査委員会は、東電が何十年も前から重大な事故を隠蔽し安全点検報告でデータを改ざんしてきたことを
明らかにした。
それどころか、フクシマでは30年も臨界事故を隠してきたという。
社長・幹部は辞任に追い込まれ、社員は懲戒を受けたが皆新しいポストをもらい、誰も起訴されなかった。
一番の責任者であった勝俣恒久氏は代表取締役に任命された。
彼らは佐藤氏に報告書の改ざんに対し謝罪したが佐藤氏は安心できず、
原発がどんどん建設されることを懸念した。
そこで佐藤氏は日本の原発政策という「暗黙のルール」に違反してしまった。
2004年に復讐が始まった。
(佐藤前知事)
12月に不正な土地取引の疑いがあるという記事が新聞に載りました。
この記事を書いたのは本来は原発政策担当の記者でした。
この疑惑は、完全にでっち上げでした。
弟が逮捕され首相官邸担当の検察官が一時的に福島に送られて検事を務めていた。
彼の名はノリモトという名で遅かれ早かれ、お前の兄の知事を抹殺してやる、と弟に言ったそうです。
事態は更に進み、県庁で働く200人の職員に圧力がかかり始めました。
少し私の悪口を言うだけでいいから、と。
中には2、3人、圧力に耐え切れずに自殺をする者さえ出ました。
私の下で働いていたある部長は、いまだ意識不明のままです。
それで、同僚や友人を守るため、佐藤氏は辞任した。
裁判で彼の無罪は確定されるがしかし沈黙を破ろうとした「邪魔者」はこうして消された。
これが、日本の社会を牛耳る大きなグループの復讐だった。
そしてこれこそ、日本で原子力ムラと呼ばれるグループである。
(菅前首相)
ここ10~20年の間、ことに原子力の危険を訴える人間に対するあらゆる形での圧力が非常に増えています。
大学の研究者が原発には危険が伴うなどとでも言おうものなら出世のチャンスは絶対に回ってきません。
政治家はあらゆる援助を電力会社などから受けています。
しかし、彼らが原発の危険性などを問題にすれば、そうした援助はすぐに受けられなくなります。
反対に、原発を推進すれば、多額の献金が入り込みます。
それは文化に関しても同じでスポーツやマスコミも含みます。
このように網の目が細かく張りめぐらされて原発に対する批判がまったくなされない環境が
作り上げられてしまいました。
ですから原子力ムラというのは決して小さい領域ではなくて国全体にはびこる問題なのです。
誰もが、この原子力ムラに閉じ込められているのです。
東電から献金を受け取っている100人以上の議員に菅首相は立ち向かった。
その中には前の首相もいる。やはり彼と同じ政党所属だ。
ネットワークは思う以上に大きい。
多くの官僚は定年退職すると、電事業関連の会社に再就職する。
1962年以来東電の副社長のポストは原発の監査を行うエネルギー庁のトップ官僚の指定席だ。
これを日本では天下り、と呼んでいる。
しかし反対の例もある。
東電副社長だった加納時男氏は当時与党だった自民党に入党し12年間、日本のエネルギー政策を担当し
それからまた東電に戻った。
このネットワークについて衆議院議員の河野太郎氏と話した。
河野氏の家族は代々政治家で彼の父も外相を務めた。
彼は、第二次世界大戦後日本を約60年間に渡り支配した自民党に所属している。
原発をあれだけ政策として推進してきたのは自民党である。
(河野議員)
誰も、日本で原発事故など起こるはずがない、と言い続けてきました。
だから、万が一のことがあったらどうすべきか、という準備も一切してこなかったのです。
それだけでなく、原発を立地する地方の行政にも危険に対する情報をなにひとつ与えてこなかった。
いつでも、お前たちはなにも心配しなくていい万が一のことなど起こるはずがないのだから、と。
彼らはずっとこの幻想をばらまき事実を歪曲してきたそして今やっと、すべて嘘だったことを認めざるを
得なくなったのです。
この雰囲気が2011年3月11日に壊れた。
日本がこれまでに遭遇したことのない大事故が起きてからだ。
14時46分に日本をこれまで最大規模の地震が襲った。
マグニチュード9だった。
しかし、地震は太平洋沖で始まったその後のホラーの引き金に過ぎなかった。
時速数百キロという激しい波が津波となって日本の東部沿岸を襲った。
津波は場所によっては30メートルの高さがあり町や村をのみこみ消滅させてしまった。
約2万人の人がこの津波で命を失った。
そして福島第一にも津波が押し寄せた。
ここの防波堤は6メートルしかなかった。
津波の警告を本気にせず処置を取らなかった東電や原発を監査する当局は
警告を無視しただけでなく、立地場所すら変更していたのだ。
(菅前首相)
もともとは、原発は35mの高さに建てられる予定でした。
しかし標高10mの位置で掘削整地しそこに原発を建設したのです、
低いところの方が冷却に必要な海水をくみ上げやすいという理由で。
東電がはっきり、この方が経済的に効率が高いと書いています。
巨大な津波が、地震で損傷を受けた福島第一を完全ノックアウトした。
まず電源が切れ、それから非常用発電機が津波で流されてしまった。
あまりに低い場所に置いてあったからである。
電気がなければ原子炉冷却はできない。
(菅前首相)
法律ではどの原発もオフサイトサンターを用意することが義務付けられています。
福島第一ではその電源センターが原発から5キロ離れたところにあります。
これは津波の後、1分と機能しなかった。
それは職員が地震があったために、そこにすぐたどりつけなかったからです。
それで電源は失われたままでした。
こうして送電に必要な器具はすべて作動しませんでした。
つまりオフサイトサンターは、本当の非常時になんの機能も果たさなかったということです。
法律では原発事故と地震が同時に起こるということすら想定していなかったのです。
菅直人はこの時、原発で起こりつつある非常事態について、ほとんど情報を得ていなかった。
首相である彼は、テレビの報道で初めて、福島第一で爆発があったことを知ることになる。
(菅前首相)
東電からは、その事故の報道があって1時間以上経っても
なにが原因でどういう爆発があったのかという説明が一切なかった。
あの状況では確かに詳しく究明することは難しかったのかもしれないが
それでも東電は状況を判断し、それを説明しなければいけなかったはずです。
しかし、それを彼らは充分に努力しませんでした。
2011年3月15日、災害から4日経ってもまだ 東電と保安院は事故の危険を過小評価し続けていた。
しかし東電は菅首相に内密で会い、職員を福島第一から撤退させてもいいか打診した。
今撤退させなければ、全員死ぬことになる、というのだ。
(菅前首相)
それで私はまず東電の社長に来てもらい撤退はぜったい認められない、と伝えた。
誰もいなくなればメルトダウンが起きそうすれば莫大な量の放射能が大気に出ることになってしまう。
そうなってしまえば広大な土地が住めない状態になってしまいます。
菅は初めから東電を信用できず自分の目で確かめるためヘリコプターで視察した。
しかし首相である彼にも当時伝えられていなかったことは
フクシマの3つの原子炉ですでにメルトダウンが起きていたということだ。
それも災害の起きた3月11日の夜にすでに。
(菅前首相)
東電の報告にも、東電を監査していた保安院の報告にも燃料棒が損傷しているとか
メルトダウンに至ったなどということは一言も書かれていなかった。
3月15日には、そのような状況にはまだ至っていないという報告が私に上がっていました。
事故からほぼ1年が経った東京。
世界中であらゆる専門家が予想していたメルトダウンの事実を
東電が認めるまでなぜ2ヶ月も要したのか、私たちは聞こうと思った。
自然災害が起きてからすぐにこの原発の大事故は起きていたのである。
(ハーノ記者)
「原子炉1号機、2号機そして3号機でメルトダウンになったことを、東電はいつ知ったのですか」
(東電・松本氏)
「私どもは目で見るわけにはいきませんが上がってきましたデータをもとに自体を推定し
燃料棒が溶けおそらく圧力容器の底に溜まっているだろうという認識に達したのは5月の初めでした。」
膨大なデータに身を隠そうとする態度は今日も変わらない。
東電は、毎日行う記者会見でこれらのデータを見せながら、事態はコントロール下にあると言い続けている。
しかしこれらのデータの中には、本当に責任者たちは
なにをしているのかわかっているか、疑いたくなるような情報がある。
たとえばスポークスマンはついでのことのように放射能で汚染された冷却水が「消えてしまった」と説明した。
理由は、原発施設ではびこる雑草でホースが穴だらけになっているという。
(ハーノ記者)
「放射能で汚染された水を運ぶホースが雑草で穴が開くような材料でできているというのですか?」
(東電・松本氏)
「草地に配管するのは私たちも初めてのことですが
穴があくなどのことについては知見が不十分だったと思っています。」
しかし原発の廃墟をさらに危険にしているのは雑草だけではない。
私たちは富岡町に向かった。
ゴーストタウンだ。
原発廃墟の福島第一から7キロのところにある。
私たちはナカ氏に便乗した。
彼のような住民は、個人的なものをとりに行くためだけに短時間だけ帰ることが許されている。
彼は、地震に見舞われた状態のまま放り出された会社を見せてくれた。
今では放射能のため、ここに暮らすことはできない。
(ナカ氏)
この木造の建物はとても快適でした。
とても静かで、夏は涼しく、冬は暖かかった。
私たちは皆ここで幸せに暮らしていました。
80人の原発専門のエンジニアが彼のもとで働いており
原発事故後も、事故をできるだけ早く収束しようと努力している。
ナカ氏と彼の社員は、原発廃墟で今本当になにが起きているのか知っている。
(ナカ氏)
私たちの最大の不安は、近い将来、廃墟の原発で働いてくれる専門家がいなくなってしまうことです。
あそこで働く者は誰でも、大量の放射能を浴びています。
どこから充分な数の専門家を集めればいいか、わかりません。
しかし、まだ被爆していない原発の専門家を集めなければ事故を収束するのは不可能だ。
例えこれから40年間、充分な専門家を集められたとしても
日本も世界も変えてしまうことになるかもしれない一つの問題が残る
(ハーノ記者)
今原発は安全なのですか?
(ナカ氏)
そう東電と政府は言っていますが働いている職員はそんなことは思っていません。とても危険な状態です。
私が一番心配しているのは4号機です。
この建物は地震でかなり損傷しているだけでなく
この4階にある使用済み燃料プールには約1300の使用済み燃料が冷却されています。
その上の階には新しい燃料棒が保管されていて非常に重い機械類が置いてあります。
なにもかもとても重いのです。もう一度大地震が来れば建物は崩壊してしまうはずです。
そういうことになれば、また新たな臨界が起こるでしょう。
このような臨界が青空の下で起これば日本にとって致命的なものとなるだろう。
放射能はすぐに致死量に達し、原発サイトで働くことは不可能となる。
そうすれば高い確率で第1、2、3、 5、 6号機もすべてが抑制できなくなり
まさにこの世の終わりとなってしまうだろう。
東京で著名な地震学者の島村英紀氏に会った。
2月に東大地震研が地震予知を発表したがそれによれば75%の確率で4年以内に
首都を直下型地震が襲うと予測されている。
(ハーノ記者)
このような地震があった場合に原発が壊滅して確率はどのくらいだとお考えですか?
(島村教授)
-はい、とても確率は高いです。
(ハーノ記者)
-どうしてですか?
(島村教授)
計測している地震揺れ速度が、これまでの予測よりずっと速まってきています。
私たちはここ数年千以上の特別測定器を配置して調査してきましたが
それで想像以上に地震波が強まり、速度も増していることがわかったのです。
これは日本の建築物にとって大変な意味を持つだけでなく
原発にとっても重大な問題となることを島村氏は説明する。
(島村教授)
これが原発の設計計算です。
将来加速度300~450ガルの地震が来ることを想定しています。
そして高確率で発生しないだろう地震として600ガルまでを想定していますが
この大きさに耐えられる設計は原子炉の格納容器だけで
原発のほかの構造はそれだけの耐震設計がされていないのです。
しかし私たちの調査では、最近の地震の加速度がなんと4000ガルまで達したことがわかっています。
想定されている値よりずっと高いのです。
(ハーノ記者)
電気会社は、それを知って増強をしなかったのですか?
(島村教授)
今のところ何もしていません、不十分であることは確かです。
これだけの地震に耐えられるだけの設計をしようなどというのはほとんど不可能でしょう。
ここは原発廃墟から60キロ離れた場所だ。
フクシマ災害対策本部では東電、保安院、福島県庁が共同で
原発の地獄の炎を鎮火するための闘いの調整をはかっている。
私たちは東電の災害対策部責任者にインタビューした。
ことに彼に訊きたいのはどうやって今後
これだけ損傷している原発を大地震から守るつもりなのか、ということだ。
ことに、危ぶまれている4号機について訊いた。
(東電・白井氏)
4号機の使用済み燃料プールには夥しい量の使用済み燃料が入っています。
これをすべて安全に保つためには、燃料プールの増強が必要です
燃料プールのある階の真下に、新しい梁をつけました。
(ハーノ記者)
原発はほとんど破壊したといってもいいわけですが
原発が健在だった1年前ですら大地震に耐えられなかった構造で
どうやって次の地震に備えるつもりなのでしょうか?
(東電・白井氏)
我々は耐震調査を4号機に限らず全体で行いました。
その結果、問題ないという判断が出ています。
(ハーノ記者)
でも地震学者たちは4000ガルまでの地震加速度が測定されていて
これだけの地震に耐えられるだけの原発構造はないと言っています。
半壊状態のフクシマの原発の真下でそのような地震が来ても全壊することはないと、なぜ確信がもてるのですか?
(東電・白井氏)
その4000ガルという計算は別の調査ではないでしょうか
それに関しては、私は何とも言いかねます。
(ハーノ記者)
原発を日本で稼動させるだけの心構えが、東電にできているとお考えですか?
(東電・白井氏)
それは答えるのが難しいですね。
(ナカ氏)
これがやってきたことの結果です。
この結果を人類はちゃんと知るべきだと思います。
一緒に未来の政策をつくっていくことができるように
我々は放射能から身を守り、警察から外人と見破られないよう防護服を着こんだ。
汚染され、破壊した原発が立っているのは立ち入り禁止区域だ。
そこに連れて行ってくれることになっている男性と落ち合った。
なにが本当にそこで起きているか、彼に見せてもらうためだ。
ナカ・ユキテル氏は原子力分野のエンジニア会社の社長で もう何十年間も原発サイトに出向いて働いてきた。
フクシマでも、だ。
私たちは見破られず、無事チェックポイントを通過した。
作業員たちが作業を終え、原発から戻ってきたところだった。
3月11日に起こったことは、これから日本が遭遇するかもしれぬことの前兆に過ぎないのかもしれないことが
次第にわかってきた。
そしてその危険を理解するには、過去を理解することが必要だ。
(タイトル) フクシマの嘘
(監督) ヨハネス・ハノ
私たちは立ち入り禁止区域の中、事故の起きた原発から約7キロ離れたところにいる。
ナカ氏はここで生活をし、福島第一とフクシマノ第二の間を股にかけて仕事をしてきた。
ナカ氏と彼の部下は、何年も前から原発の安全性における重大な欠陥について注意を喚起してきた。
しかし、誰も耳を貸そうとしなかった。
(ナカ氏)
私の話を聞いてくれた人はほんのわずかな有識者だけで その人たちの言うことなど誰も本気にしません。
日本ではその影響力の強いグループを呼ぶ名前があります。
原子力ムラ、というのです。
彼らの哲学は、経済性優先です。
この原子力ムラは東電、政府、そして大学の学者たちでできています。
彼らが重要な決定をすべて下すのです。
私たちは東京で菅直人と独占インタビューした。
彼は事故当時首相で、第二次世界大戦以来 初の危機に遭遇した日本をリードしなければならなかった。
彼は唖然とするような内容を次々に語った、たとえば
首相の彼にさえ事実を知らせなかったネットワークが存在することを。
マスメディアでは彼に対する嘘がばらまかれ 彼は辞任に追い込まれた。
彼が原子力ムラに対抗しようとしたからである。
(菅前首相)
最大の問題点は、3月11日が起こるずっと前にしておかなければいけないものがあったのに、
何もしなかったことです。
原発事故を起こした引き金は津波だったかもしれないが
当然しておくべき対策をしなかったことが問題なのです。
この過失は責任者にあります。
つまり、必要であったことをしなかった、という責任です。
では原発事故の原因は地震と津波ではなかったのか?
原子力ムラの足跡を辿っていくと、嘘、仲間意識と犯罪的エネルギーの網の目に遭遇する。
調査は2つの大陸にまたがった。
まずカリフォルニアに飛んだ。
目的地はサン・フランシスコである。
私たちはある男性と話を聞く約束をしていた。
彼は長年原子炉のメンテナンスの仕事でフクシマにも何度も来ており
かなり深刻なミスや事故を東電が隠蔽するのに遭遇した。
フクシマの第1号原子炉は70年代初めにアメリカのジェネラルエレクトリック社が建設し
それ以来アメリカのエンジニアが点検を行ってきた。
そしてフクシマでは何度も問題があった。
(ハーノ記者)
東電は、点検後、なにをあなたに求めたのですか?
(スガオカ氏)
亀裂を発見した後、彼らが私に言いたかったことは簡単です。
つまり、黙れ、ですよ。
何も話すな、黙ってろ、というわけです。
問題があるなど許されない
日本の原発に問題など想定されていない
アメリカのエンジニア、ケイ・スガオカ氏も それを変えようとすることは許されなかった。
(スガオカ氏)
1989年のことです、蒸気乾燥機でビデオ点検をしていて
そこで今まで見たこともないほど大きい亀裂を発見しました。
スガオカ氏と同僚が発見したのは、それだけではない。
(スガオカ氏)
原子炉を点検している同僚の目がみるみる大きくなったと思うと彼がこう言いました
蒸気乾燥機の向きが反対に取り付けられているぞ、と。
もともとこの原発の中心部材には重大な欠陥があったのだ。
スガオカ氏は点検の主任だったので 正しく点検を行い処理をする責任があったのだが
彼の報告は、東電の気に入らなかった。
私たちは点検で亀裂を発見しましたが、東電は私たちにビデオでその部分を消すよう注文しました。
報告書も書くな、と言うのです。
私はサインしかさせてもらえませんでした。
私が報告書を書けば、180度反対に付けられている蒸気乾燥機のことも報告するに決まっていると
知っていたからです。
(ハーノ記者)
では、嘘の文書を書くよう求めたわけですか?
(スガオカ氏)
そうです、彼らは我々に文書の改ざんを要求しました。
スガオカ氏は仕事を失うのを怖れて、10年間黙秘した。
GE社に解雇されて初めて彼は沈黙を破り日本の担当官庁に告発した。
ところが不思議なことに、告発後何年間もなにも起こらなかった。
日本の原発監督官庁はそれをもみ消そうとしたのだ。
2001年になってやっと、スガオカ氏は「同士」を見つけた。
それも日本のフクシマで、である。
18年間福島県知事を務めた佐藤栄佐久氏は当時の日本の与党、保守的な自民党所属だ。
佐藤氏は古典的政治家で皇太子夫妻の旅に随行したこともある。
始めは彼も、原発は住民になんの危険ももたらさないと確信していた。
それから、その信頼をどんどん失っていった。
(佐藤前知事)
福島県の原発で働く情報提供者から約20通ファックスが届きその中にはスガオカ氏の告発も入っていました。
経産省は、その内部告発の内容を確かめずにこれら密告者の名を東電に明かしました。
それからわかったことは、私も初めは信じられませんでした。
東電は、報告書を改ざんしていたというのです。
それで私は新聞に記事を書きました。
そんなことをしていると、この先必ず大事故が起きる、と。
それでやっと官僚たちもなにもしないわけにはいかなくなり17基の原発が一時停止に追い込まれた。
調査委員会は、東電が何十年も前から重大な事故を隠蔽し安全点検報告でデータを改ざんしてきたことを
明らかにした。
それどころか、フクシマでは30年も臨界事故を隠してきたという。
社長・幹部は辞任に追い込まれ、社員は懲戒を受けたが皆新しいポストをもらい、誰も起訴されなかった。
一番の責任者であった勝俣恒久氏は代表取締役に任命された。
彼らは佐藤氏に報告書の改ざんに対し謝罪したが佐藤氏は安心できず、
原発がどんどん建設されることを懸念した。
そこで佐藤氏は日本の原発政策という「暗黙のルール」に違反してしまった。
2004年に復讐が始まった。
(佐藤前知事)
12月に不正な土地取引の疑いがあるという記事が新聞に載りました。
この記事を書いたのは本来は原発政策担当の記者でした。
この疑惑は、完全にでっち上げでした。
弟が逮捕され首相官邸担当の検察官が一時的に福島に送られて検事を務めていた。
彼の名はノリモトという名で遅かれ早かれ、お前の兄の知事を抹殺してやる、と弟に言ったそうです。
事態は更に進み、県庁で働く200人の職員に圧力がかかり始めました。
少し私の悪口を言うだけでいいから、と。
中には2、3人、圧力に耐え切れずに自殺をする者さえ出ました。
私の下で働いていたある部長は、いまだ意識不明のままです。
それで、同僚や友人を守るため、佐藤氏は辞任した。
裁判で彼の無罪は確定されるがしかし沈黙を破ろうとした「邪魔者」はこうして消された。
これが、日本の社会を牛耳る大きなグループの復讐だった。
そしてこれこそ、日本で原子力ムラと呼ばれるグループである。
(菅前首相)
ここ10~20年の間、ことに原子力の危険を訴える人間に対するあらゆる形での圧力が非常に増えています。
大学の研究者が原発には危険が伴うなどとでも言おうものなら出世のチャンスは絶対に回ってきません。
政治家はあらゆる援助を電力会社などから受けています。
しかし、彼らが原発の危険性などを問題にすれば、そうした援助はすぐに受けられなくなります。
反対に、原発を推進すれば、多額の献金が入り込みます。
それは文化に関しても同じでスポーツやマスコミも含みます。
このように網の目が細かく張りめぐらされて原発に対する批判がまったくなされない環境が
作り上げられてしまいました。
ですから原子力ムラというのは決して小さい領域ではなくて国全体にはびこる問題なのです。
誰もが、この原子力ムラに閉じ込められているのです。
東電から献金を受け取っている100人以上の議員に菅首相は立ち向かった。
その中には前の首相もいる。やはり彼と同じ政党所属だ。
ネットワークは思う以上に大きい。
多くの官僚は定年退職すると、電事業関連の会社に再就職する。
1962年以来東電の副社長のポストは原発の監査を行うエネルギー庁のトップ官僚の指定席だ。
これを日本では天下り、と呼んでいる。
しかし反対の例もある。
東電副社長だった加納時男氏は当時与党だった自民党に入党し12年間、日本のエネルギー政策を担当し
それからまた東電に戻った。
このネットワークについて衆議院議員の河野太郎氏と話した。
河野氏の家族は代々政治家で彼の父も外相を務めた。
彼は、第二次世界大戦後日本を約60年間に渡り支配した自民党に所属している。
原発をあれだけ政策として推進してきたのは自民党である。
(河野議員)
誰も、日本で原発事故など起こるはずがない、と言い続けてきました。
だから、万が一のことがあったらどうすべきか、という準備も一切してこなかったのです。
それだけでなく、原発を立地する地方の行政にも危険に対する情報をなにひとつ与えてこなかった。
いつでも、お前たちはなにも心配しなくていい万が一のことなど起こるはずがないのだから、と。
彼らはずっとこの幻想をばらまき事実を歪曲してきたそして今やっと、すべて嘘だったことを認めざるを
得なくなったのです。
この雰囲気が2011年3月11日に壊れた。
日本がこれまでに遭遇したことのない大事故が起きてからだ。
14時46分に日本をこれまで最大規模の地震が襲った。
マグニチュード9だった。
しかし、地震は太平洋沖で始まったその後のホラーの引き金に過ぎなかった。
時速数百キロという激しい波が津波となって日本の東部沿岸を襲った。
津波は場所によっては30メートルの高さがあり町や村をのみこみ消滅させてしまった。
約2万人の人がこの津波で命を失った。
そして福島第一にも津波が押し寄せた。
ここの防波堤は6メートルしかなかった。
津波の警告を本気にせず処置を取らなかった東電や原発を監査する当局は
警告を無視しただけでなく、立地場所すら変更していたのだ。
(菅前首相)
もともとは、原発は35mの高さに建てられる予定でした。
しかし標高10mの位置で掘削整地しそこに原発を建設したのです、
低いところの方が冷却に必要な海水をくみ上げやすいという理由で。
東電がはっきり、この方が経済的に効率が高いと書いています。
巨大な津波が、地震で損傷を受けた福島第一を完全ノックアウトした。
まず電源が切れ、それから非常用発電機が津波で流されてしまった。
あまりに低い場所に置いてあったからである。
電気がなければ原子炉冷却はできない。
(菅前首相)
法律ではどの原発もオフサイトサンターを用意することが義務付けられています。
福島第一ではその電源センターが原発から5キロ離れたところにあります。
これは津波の後、1分と機能しなかった。
それは職員が地震があったために、そこにすぐたどりつけなかったからです。
それで電源は失われたままでした。
こうして送電に必要な器具はすべて作動しませんでした。
つまりオフサイトサンターは、本当の非常時になんの機能も果たさなかったということです。
法律では原発事故と地震が同時に起こるということすら想定していなかったのです。
菅直人はこの時、原発で起こりつつある非常事態について、ほとんど情報を得ていなかった。
首相である彼は、テレビの報道で初めて、福島第一で爆発があったことを知ることになる。
(菅前首相)
東電からは、その事故の報道があって1時間以上経っても
なにが原因でどういう爆発があったのかという説明が一切なかった。
あの状況では確かに詳しく究明することは難しかったのかもしれないが
それでも東電は状況を判断し、それを説明しなければいけなかったはずです。
しかし、それを彼らは充分に努力しませんでした。
2011年3月15日、災害から4日経ってもまだ 東電と保安院は事故の危険を過小評価し続けていた。
しかし東電は菅首相に内密で会い、職員を福島第一から撤退させてもいいか打診した。
今撤退させなければ、全員死ぬことになる、というのだ。
(菅前首相)
それで私はまず東電の社長に来てもらい撤退はぜったい認められない、と伝えた。
誰もいなくなればメルトダウンが起きそうすれば莫大な量の放射能が大気に出ることになってしまう。
そうなってしまえば広大な土地が住めない状態になってしまいます。
菅は初めから東電を信用できず自分の目で確かめるためヘリコプターで視察した。
しかし首相である彼にも当時伝えられていなかったことは
フクシマの3つの原子炉ですでにメルトダウンが起きていたということだ。
それも災害の起きた3月11日の夜にすでに。
(菅前首相)
東電の報告にも、東電を監査していた保安院の報告にも燃料棒が損傷しているとか
メルトダウンに至ったなどということは一言も書かれていなかった。
3月15日には、そのような状況にはまだ至っていないという報告が私に上がっていました。
事故からほぼ1年が経った東京。
世界中であらゆる専門家が予想していたメルトダウンの事実を
東電が認めるまでなぜ2ヶ月も要したのか、私たちは聞こうと思った。
自然災害が起きてからすぐにこの原発の大事故は起きていたのである。
(ハーノ記者)
「原子炉1号機、2号機そして3号機でメルトダウンになったことを、東電はいつ知ったのですか」
(東電・松本氏)
「私どもは目で見るわけにはいきませんが上がってきましたデータをもとに自体を推定し
燃料棒が溶けおそらく圧力容器の底に溜まっているだろうという認識に達したのは5月の初めでした。」
膨大なデータに身を隠そうとする態度は今日も変わらない。
東電は、毎日行う記者会見でこれらのデータを見せながら、事態はコントロール下にあると言い続けている。
しかしこれらのデータの中には、本当に責任者たちは
なにをしているのかわかっているか、疑いたくなるような情報がある。
たとえばスポークスマンはついでのことのように放射能で汚染された冷却水が「消えてしまった」と説明した。
理由は、原発施設ではびこる雑草でホースが穴だらけになっているという。
(ハーノ記者)
「放射能で汚染された水を運ぶホースが雑草で穴が開くような材料でできているというのですか?」
(東電・松本氏)
「草地に配管するのは私たちも初めてのことですが
穴があくなどのことについては知見が不十分だったと思っています。」
しかし原発の廃墟をさらに危険にしているのは雑草だけではない。
私たちは富岡町に向かった。
ゴーストタウンだ。
原発廃墟の福島第一から7キロのところにある。
私たちはナカ氏に便乗した。
彼のような住民は、個人的なものをとりに行くためだけに短時間だけ帰ることが許されている。
彼は、地震に見舞われた状態のまま放り出された会社を見せてくれた。
今では放射能のため、ここに暮らすことはできない。
(ナカ氏)
この木造の建物はとても快適でした。
とても静かで、夏は涼しく、冬は暖かかった。
私たちは皆ここで幸せに暮らしていました。
80人の原発専門のエンジニアが彼のもとで働いており
原発事故後も、事故をできるだけ早く収束しようと努力している。
ナカ氏と彼の社員は、原発廃墟で今本当になにが起きているのか知っている。
(ナカ氏)
私たちの最大の不安は、近い将来、廃墟の原発で働いてくれる専門家がいなくなってしまうことです。
あそこで働く者は誰でも、大量の放射能を浴びています。
どこから充分な数の専門家を集めればいいか、わかりません。
しかし、まだ被爆していない原発の専門家を集めなければ事故を収束するのは不可能だ。
例えこれから40年間、充分な専門家を集められたとしても
日本も世界も変えてしまうことになるかもしれない一つの問題が残る
(ハーノ記者)
今原発は安全なのですか?
(ナカ氏)
そう東電と政府は言っていますが働いている職員はそんなことは思っていません。とても危険な状態です。
私が一番心配しているのは4号機です。
この建物は地震でかなり損傷しているだけでなく
この4階にある使用済み燃料プールには約1300の使用済み燃料が冷却されています。
その上の階には新しい燃料棒が保管されていて非常に重い機械類が置いてあります。
なにもかもとても重いのです。もう一度大地震が来れば建物は崩壊してしまうはずです。
そういうことになれば、また新たな臨界が起こるでしょう。
このような臨界が青空の下で起これば日本にとって致命的なものとなるだろう。
放射能はすぐに致死量に達し、原発サイトで働くことは不可能となる。
そうすれば高い確率で第1、2、3、 5、 6号機もすべてが抑制できなくなり
まさにこの世の終わりとなってしまうだろう。
東京で著名な地震学者の島村英紀氏に会った。
2月に東大地震研が地震予知を発表したがそれによれば75%の確率で4年以内に
首都を直下型地震が襲うと予測されている。
(ハーノ記者)
このような地震があった場合に原発が壊滅して確率はどのくらいだとお考えですか?
(島村教授)
-はい、とても確率は高いです。
(ハーノ記者)
-どうしてですか?
(島村教授)
計測している地震揺れ速度が、これまでの予測よりずっと速まってきています。
私たちはここ数年千以上の特別測定器を配置して調査してきましたが
それで想像以上に地震波が強まり、速度も増していることがわかったのです。
これは日本の建築物にとって大変な意味を持つだけでなく
原発にとっても重大な問題となることを島村氏は説明する。
(島村教授)
これが原発の設計計算です。
将来加速度300~450ガルの地震が来ることを想定しています。
そして高確率で発生しないだろう地震として600ガルまでを想定していますが
この大きさに耐えられる設計は原子炉の格納容器だけで
原発のほかの構造はそれだけの耐震設計がされていないのです。
しかし私たちの調査では、最近の地震の加速度がなんと4000ガルまで達したことがわかっています。
想定されている値よりずっと高いのです。
(ハーノ記者)
電気会社は、それを知って増強をしなかったのですか?
(島村教授)
今のところ何もしていません、不十分であることは確かです。
これだけの地震に耐えられるだけの設計をしようなどというのはほとんど不可能でしょう。
ここは原発廃墟から60キロ離れた場所だ。
フクシマ災害対策本部では東電、保安院、福島県庁が共同で
原発の地獄の炎を鎮火するための闘いの調整をはかっている。
私たちは東電の災害対策部責任者にインタビューした。
ことに彼に訊きたいのはどうやって今後
これだけ損傷している原発を大地震から守るつもりなのか、ということだ。
ことに、危ぶまれている4号機について訊いた。
(東電・白井氏)
4号機の使用済み燃料プールには夥しい量の使用済み燃料が入っています。
これをすべて安全に保つためには、燃料プールの増強が必要です
燃料プールのある階の真下に、新しい梁をつけました。
(ハーノ記者)
原発はほとんど破壊したといってもいいわけですが
原発が健在だった1年前ですら大地震に耐えられなかった構造で
どうやって次の地震に備えるつもりなのでしょうか?
(東電・白井氏)
我々は耐震調査を4号機に限らず全体で行いました。
その結果、問題ないという判断が出ています。
(ハーノ記者)
でも地震学者たちは4000ガルまでの地震加速度が測定されていて
これだけの地震に耐えられるだけの原発構造はないと言っています。
半壊状態のフクシマの原発の真下でそのような地震が来ても全壊することはないと、なぜ確信がもてるのですか?
(東電・白井氏)
その4000ガルという計算は別の調査ではないでしょうか
それに関しては、私は何とも言いかねます。
(ハーノ記者)
原発を日本で稼動させるだけの心構えが、東電にできているとお考えですか?
(東電・白井氏)
それは答えるのが難しいですね。
(ナカ氏)
これがやってきたことの結果です。
この結果を人類はちゃんと知るべきだと思います。
一緒に未来の政策をつくっていくことができるように
2012-04-12
ドイツZDFテレビ「フクシマのうそ」 Ⅰ
昨年暮れに立ち上げられた「市民と科学者の内部被曝問題研究会」に加入した知人からの情報で、ドイツZDFテレビのドキュメンタリー 「フクシマのうそ」の動画(日本語字幕付き)と、その書き起こしがあることを知りました。
日本語の書き起こしの後には、投稿者からの以下のコメントがありましたので、私のブログにも掲載します。
あなたの動画チャンネルに、このビデオを掲載してください。
あなたのブログに、書き起こし文を掲載してください、
日本中の人が目にするまで、拡散してください。
こちらからクリックしてご覧ください。
日本語の書き起こしの後には、投稿者からの以下のコメントがありましたので、私のブログにも掲載します。
あなたの動画チャンネルに、このビデオを掲載してください。
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2012-01-11
協同研1月定例会「原発をめぐる情報あれ・これ」
主な情報は以下の3つの映像です。
①2回の水素爆発時の映像
海外のメディアでは報道されたが、当時日本国内
では隠ぺいされていた。
では隠ぺいされていた。
放射能は偏西風に乗り3.15には地球を一回り。
②2011.7.27衆議院厚生労働委員会での、東京
大学アイソトープ総合センター長・児玉龍彦さんの
政府追及の映像
大学アイソトープ総合センター長・児玉龍彦さんの
政府追及の映像
私は偶然テレビをつけ、この場面をリアルタイムで部分的にだが見ることができた。
これほど鋭く追求する科学者がいることにビックリした記憶がある。
ところがこの情報は、どの新聞でも8月まで報道すらされなかったという事実を聞いて2度ビックリ!
私は、その後インターネットで詳しく国会証言を見ることができた。
これがmaeさんの言うところの情報格差というものなのか?
新聞を読んでいただけでは何もわからない。
③2006放映の米国ドラマ「ホワイトハウス」の映像
カリフォルニアの原発で事故が起き、水素爆発を避けるために放出した放射能は基準を越えていた。
原発付近の住民を避難させるため、州知事と連携して指揮をとる大統領。
対応した技術者は放射線汚染により死亡。
選挙戦がらみでマスコミ対応に苦慮する2人の次期大統領予定候補。
1人はその原発の誘致者だった。
1人はその原発の誘致者だった。
まるで、福島の原発事故を予告したようなドラマだが、その後日本で放映はされていないとのこと。
新年会ということで、お弁当、サラダ、おつまみが用意され、ビールで乾杯!
膠原病・皮膚筋炎という難病と闘いながら、お話しくださった講演者と付き添われた奥様に感謝!
2011-10-22
「放射能を正しく恐れ、合理的に判断するために」 塩谷喜雄氏
第36回和光母親大会に20年ぶりで参加しました。
記念講演の講師は、元日本経済新聞社論説委員・塩谷喜雄氏という案内を見て、是非聴きたいとママ友sayokoさんを誘った次第です。
自衛隊官舎近くの小学校の視聴覚教室で開催された講演は、最初はマイクの調子が悪く聞きづらい部分がありましたが、講演内容は満足。
①福島原発事故の本質
東京電力・福島原発で何が起きたのか、国際原子力機関IAEAへの報告だけで、国民への報告は無い。
福島より強い揺れと津波に襲われた東北電力・女川原発は冷温停止できたのに、東京電力・福島原発が事故を起こしたのは構造上の問題。
地震と津波の対策を怠たり、その後の対応も誤った東電による企業災害。
2006年の共産党・吉井英勝議員の国会質問で、他の原発に比べ津波の引き波による海水喪失対策が出来ていないのでメルトダウンが起きると指摘されていた。
知っていて、対策に手を抜いた東電の責任は大きい。
②誰が責任を負うのか
原子力損害賠償法では、「企業者が無過失・無限の責任を負う」とある。
それは、執行役員は自分の私財を投げ出す。東電は解体しても全額補償するということ。
法的免責としての「異常な天災地変」には、今回の震災は当たらない。
国策民営として、国の補償(税金)を求めるのは筋違い。
③風評被害という日本語
風評被害として経済的加害者をつくるが、真の加害者は東電。
農産物が売れない、漁業の休業も放射能汚染をもたらした東電による加害で、消費者が気に病むべき問題ではない。
京都の送り火、愛知の花火、大阪の橋梁は風評被害でなく、無知と非科学による愚かな差別。
④放射能と被爆
国際放射能防護委員会ICRPはNPO。線量基準は国が決める。
リスクが起きやすくなる確率が高くなる。ベラルーシの平均寿命が短くなっている。
子や孫に影響が出なくとも、ひ孫や元孫に影響が出ないとは言えない。
⑤正しく恐れる
唯一の被爆国である日本が、放射線に対する感受性がもっとも鈍い国になりつつある。
根拠のない安全神話が、恐れを無知とさげすむ傾向を醸成してきた。
ニュースと科学番組は電力会社による提供。正しく恐れる知恵まで奪われてはならない。
2011-10-21
那須の地で放射能測定ボランティア
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養護学校の教師だった友人が、定年退職を機に昨年から那須町に移り住みました。
那須の地で障害者の集える施設を運営することが、彼女のライフワークでした。
別棟を建て、田舎から母親を呼び寄せて、セカンドライフがスタートしたところで、大震災に見舞われ、
震度6強の揺れで家屋は一部損壊しました。
当時、国道は福島ナンバーの車の渋滞で動きがとれなかったそうです。
福島原発事故から避難してきた人達の車でした。
那須町は東電福島第一原発から百キロメートル離れていますが、放射能測定値が高いと報道されて
おり、「那須を希望の砦にしよう!」という住民プロジェクトが立ち上がり、彼女も放射能測定ボランティア
に参加しています。私も声を掛けられ、計測機器購入の寄付をしました。
プロジェクトで購入している機器はベラルーシ製で、那須町で購入しているものと同機種だそうです。
①高い測定値が出ると自治体に連絡し、自治体を通じて報道する。
②大量に除草した草木を自治体で焼却すると焼却炉に放射性物質が溜まり、その地域が汚染されるので、草木は各自で燃やし土中深く埋める。
住民と自治体の協力し合う関係が育まれつつあるように思えます。
今月、彼女は日本ユーラシア協会の主催する「国際交流基金助成プログラム」に参加してベラルーシを
訪れました。
旧ソ連邦チェルノブイリの近くである、ベラルーシのミンスクには、「長崎の鐘」があるそうです。
「被爆地である長崎が、世界で最初にチェルノブイリ支援をしたことを初めて知りました」と、絵ハガキに
書き送ってくれました。
養護学校の教師だった友人が、定年退職を機に昨年から那須町に移り住みました。
那須の地で障害者の集える施設を運営することが、彼女のライフワークでした。
別棟を建て、田舎から母親を呼び寄せて、セカンドライフがスタートしたところで、大震災に見舞われ、
震度6強の揺れで家屋は一部損壊しました。
当時、国道は福島ナンバーの車の渋滞で動きがとれなかったそうです。
福島原発事故から避難してきた人達の車でした。
那須町は東電福島第一原発から百キロメートル離れていますが、放射能測定値が高いと報道されて
おり、「那須を希望の砦にしよう!」という住民プロジェクトが立ち上がり、彼女も放射能測定ボランティア
に参加しています。私も声を掛けられ、計測機器購入の寄付をしました。
プロジェクトで購入している機器はベラルーシ製で、那須町で購入しているものと同機種だそうです。
①高い測定値が出ると自治体に連絡し、自治体を通じて報道する。
②大量に除草した草木を自治体で焼却すると焼却炉に放射性物質が溜まり、その地域が汚染されるので、草木は各自で燃やし土中深く埋める。
住民と自治体の協力し合う関係が育まれつつあるように思えます。
今月、彼女は日本ユーラシア協会の主催する「国際交流基金助成プログラム」に参加してベラルーシを
訪れました。
旧ソ連邦チェルノブイリの近くである、ベラルーシのミンスクには、「長崎の鐘」があるそうです。
「被爆地である長崎が、世界で最初にチェルノブイリ支援をしたことを初めて知りました」と、絵ハガキに
書き送ってくれました。
2011-10-03
ベラルーシからの絵ハガキ
ベラルーシ視察の旅に行っていた、那須の I さんからの絵ハガキが届きました。
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大宮で楽しい食事会ができ、ありがとう。
ベラルーシのミンスクに、「長崎の鐘」があることをはじめて知りました。
被爆地である長崎が、世界で一番最初にチェルノブイリ支援をしてくれたそうです。
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PS
8年間働いたノートパソコンが立ち上がらなくなりました。
数年前にハードデスクを交換して息子に譲ったため私のデータは入っていません。
息子は写真データと音楽データを入れていたようですが、PCデポでバックアップを頼むと35,000円で、
「完全バックアップは保障の限りではありません」とのこと。
諦めて廃棄処分を依頼すると100円の下取り価格でした。
PS
8年間働いたノートパソコンが立ち上がらなくなりました。
数年前にハードデスクを交換して息子に譲ったため私のデータは入っていません。
息子は写真データと音楽データを入れていたようですが、PCデポでバックアップを頼むと35,000円で、
「完全バックアップは保障の限りではありません」とのこと。
諦めて廃棄処分を依頼すると100円の下取り価格でした。
2011-09-29
協同研10月会報の原稿
午後から「協同研」の10月会報の発送日ですが、所用のため参加できないので、「9.19さよなら原発集会」に参加した感想を寄稿しました。<以下転載>
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「9.19 さよなら原発 1000万人アクション」に参加しました
集会の前に、私は4人の友人に「一緒に参加しませんか?」とメールを送りました。
現役の友人は祝日出勤で×、両親の介護で九州から戻ったばかりの友人は休みたい×、ママ友は参加したかったけど予定キャンセルできない×、最後に思案中だった友人は参加の調整をしてくれました。
ところが残念なことに、母上の墓参を終え30分遅れで駆けつけたその友人とは、あの混雑でとうとう巡り合うことができませんでした。
明治公園に入ることさえできなかった友人は、出発地点近くで知り合った杉並の女性とパレードが始まるのを待っていました。その女性は、「友人を誘ったら、連休なのになんでそんなところへ行くの?と言われたけど、私は後悔したくないから1人で参加しました」と話していたそうです。
私も同様に、今、行動しなければ後悔する、何か出来ないかという気持ちで集会に参加しましたが、公園はおろか道路にも溢れた参加者で、協同研の仲間達の所へは行き着くことができませんでした。
舞台では、呼びかけ人が次々とマイクを持ち、大江健三郎さんは、「私たちが原発に抵抗する意志を持っていることを、政治家や経団連に思い知らせるためには、民主主義の集会、市民のデモしかない」と。
落合恵子さんは、「ビートルズのイマジンのように福島の子ども達のことを想像してみてください。放射性廃棄物の処理能力を持たない人間が、原発を持つことの罪深さ。それは命への国家の犯罪です」と。
澤地久枝さんは、「広島、長崎への原爆投下。原爆の実験場にされたこの国は、原発など持ってはいけなかったのです。何百億円というお金が原発の安全性PRと推進のために使われ、毒が広がりました」と。骨折して50日間入院していたという澤地さんは、少し声に元気がないのが気にかかります。
私の参加した埼玉県は新宿コースで、パレードの出発まで2時間待たされました。
「いらない、いらない、原発は!」「払ってください東電さん!」とシュプレヒコールの練習をしたり、懐かしいうたごえの歌唱指導を聞いているうちに、「本日の集会参加者は6万人を超えました!」といううれしいアナウンスが流れました。拍手!!
パレードは福島県の参加者の後に出発。「この子に原発はいらない」のプラカードの傍で、2歳ぐらいの子どもをベビーカーに乗せて参加した若いお母さんが、携帯で親子の写真を撮ってもらっていました。
しばらく歩くと、左側の歩道に姜尚中さんが現れ、「素敵!やっぱりオーラがあるわ!」とお隣さんが騒ぐものですから、「オモニ読みましたよ!」と負けずに私も叫んでいました。
翌日の毎日新聞の記事では、主催者発表6万人と明記した上で、警視庁発表3万人参加とあります。ところが、24日土曜日のNHK「週刊ニュース深読み」で、信号機で分断されたのか、数十人のパレードの尻尾のような映像が流れ、参加者数は警視庁発表2万7千人と放送していたのには、開いた口がふさがりませんでした。マスコミの情報操作をつくづく感じます。
少しでも多くの人に真実が伝わるようにと、集会の会場で写した動画をYouTubeにアップしました。
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「9.19 さよなら原発 1000万人アクション」に参加しました
集会の前に、私は4人の友人に「一緒に参加しませんか?」とメールを送りました。
現役の友人は祝日出勤で×、両親の介護で九州から戻ったばかりの友人は休みたい×、ママ友は参加したかったけど予定キャンセルできない×、最後に思案中だった友人は参加の調整をしてくれました。
ところが残念なことに、母上の墓参を終え30分遅れで駆けつけたその友人とは、あの混雑でとうとう巡り合うことができませんでした。
明治公園に入ることさえできなかった友人は、出発地点近くで知り合った杉並の女性とパレードが始まるのを待っていました。その女性は、「友人を誘ったら、連休なのになんでそんなところへ行くの?と言われたけど、私は後悔したくないから1人で参加しました」と話していたそうです。
私も同様に、今、行動しなければ後悔する、何か出来ないかという気持ちで集会に参加しましたが、公園はおろか道路にも溢れた参加者で、協同研の仲間達の所へは行き着くことができませんでした。
舞台では、呼びかけ人が次々とマイクを持ち、大江健三郎さんは、「私たちが原発に抵抗する意志を持っていることを、政治家や経団連に思い知らせるためには、民主主義の集会、市民のデモしかない」と。
落合恵子さんは、「ビートルズのイマジンのように福島の子ども達のことを想像してみてください。放射性廃棄物の処理能力を持たない人間が、原発を持つことの罪深さ。それは命への国家の犯罪です」と。
澤地久枝さんは、「広島、長崎への原爆投下。原爆の実験場にされたこの国は、原発など持ってはいけなかったのです。何百億円というお金が原発の安全性PRと推進のために使われ、毒が広がりました」と。骨折して50日間入院していたという澤地さんは、少し声に元気がないのが気にかかります。
私の参加した埼玉県は新宿コースで、パレードの出発まで2時間待たされました。
「いらない、いらない、原発は!」「払ってください東電さん!」とシュプレヒコールの練習をしたり、懐かしいうたごえの歌唱指導を聞いているうちに、「本日の集会参加者は6万人を超えました!」といううれしいアナウンスが流れました。拍手!!
パレードは福島県の参加者の後に出発。「この子に原発はいらない」のプラカードの傍で、2歳ぐらいの子どもをベビーカーに乗せて参加した若いお母さんが、携帯で親子の写真を撮ってもらっていました。
しばらく歩くと、左側の歩道に姜尚中さんが現れ、「素敵!やっぱりオーラがあるわ!」とお隣さんが騒ぐものですから、「オモニ読みましたよ!」と負けずに私も叫んでいました。
翌日の毎日新聞の記事では、主催者発表6万人と明記した上で、警視庁発表3万人参加とあります。ところが、24日土曜日のNHK「週刊ニュース深読み」で、信号機で分断されたのか、数十人のパレードの尻尾のような映像が流れ、参加者数は警視庁発表2万7千人と放送していたのには、開いた口がふさがりませんでした。マスコミの情報操作をつくづく感じます。
少しでも多くの人に真実が伝わるようにと、集会の会場で写した動画をYouTubeにアップしました。
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2011-09-19
9.19 「さよなら原発 1000万人アクション」
参加者は明治公園に入りきれない状態で、回りの道路はパレードの出発を待つ人が溢れていました。
待ち合わせを約束したちゃま2にはもちろん、友の会のOさんやハーブさんの所にも動きが取れずに、出向くことが出来ませんでした。
大江健三郎、落合恵子、澤地久枝氏等のお話も、交通整理のマイクに消され、聞き取れない場面が目立ちました。
特に澤地さんは病み(怪我)上がりのせいか、声に元気がなく心配です。
来年の3月21日には日比谷野外音楽堂で、1000万人アクションの報告会が開かれる予定とか。
現在のアクション署名数は100万人、私たちにも出来る署名活動に協力したいです。
本日の参加者は6万人をこえたそうです。パレードの出発まで2時間待ちが納得がいく数字ですね。
新宿に向けて歩き出すとすぐ、歩道に姜尚中が現れ、ミーハーなメンバーが「素敵!やっぱりオーラがあるわ」などとのたまうものですから、私も「オモニ読みましたよ!」と叫んでしまいました。
帰りはもちろん、新宿の街で喉を潤す交流会。始めてお話しする方も昔馴染みのような気がするから不思議です。
SAORIマフラーを贈った友人の奥さんから、「SAORIのリックを背負ってらしたのでわかりましたよ。いつも主人が愛用しています、洗濯は私がしてあげてます」と声をかけられました。
PS
生協友の会埼玉の世話人の方から、早速、「第32回歩こう会」の案内状が届きました。
「古代ロマンと近代の歴史散策」10月15日だそうですが、残念ながら当日は「焼き肉パーティ」の実行委員を引き受けているので、参加は無理です。とっても残念です。
待ち合わせを約束したちゃま2にはもちろん、友の会のOさんやハーブさんの所にも動きが取れずに、出向くことが出来ませんでした。
大江健三郎、落合恵子、澤地久枝氏等のお話も、交通整理のマイクに消され、聞き取れない場面が目立ちました。
特に澤地さんは病み(怪我)上がりのせいか、声に元気がなく心配です。
来年の3月21日には日比谷野外音楽堂で、1000万人アクションの報告会が開かれる予定とか。
現在のアクション署名数は100万人、私たちにも出来る署名活動に協力したいです。
本日の参加者は6万人をこえたそうです。パレードの出発まで2時間待ちが納得がいく数字ですね。
新宿に向けて歩き出すとすぐ、歩道に姜尚中が現れ、ミーハーなメンバーが「素敵!やっぱりオーラがあるわ」などとのたまうものですから、私も「オモニ読みましたよ!」と叫んでしまいました。
帰りはもちろん、新宿の街で喉を潤す交流会。始めてお話しする方も昔馴染みのような気がするから不思議です。
SAORIマフラーを贈った友人の奥さんから、「SAORIのリックを背負ってらしたのでわかりましたよ。いつも主人が愛用しています、洗濯は私がしてあげてます」と声をかけられました。
PS
生協友の会埼玉の世話人の方から、早速、「第32回歩こう会」の案内状が届きました。
「古代ロマンと近代の歴史散策」10月15日だそうですが、残念ながら当日は「焼き肉パーティ」の実行委員を引き受けているので、参加は無理です。とっても残念です。
2011-09-17
「さよなら原発集会」へのおさそいメール
13日の協同研9月例会(大島茂男さん講演)でお会いしたOさんから、以下の集会へのお誘いメールが届きました。
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生協OB九条の会埼玉 会員の皆様へ
すっかりご無沙汰しておりましたが、会員の皆様には東日本大震災と、それに伴って発生した福島第一原子力発電所の重大事故について、心を痛めておいでのことと存じます。
原子力発電への依存をやめて、自然エネルギー中心の社会にしてほしいという声は大きく広がっていますが、政治や経済の世界ではそれに対応した動きが遅い、あるいは渋っている状態が続いています。
そうしたなか、多くの国民が声を上げ、「脱原発」の願いを表明することが大事な時と思われます。
添付ファイルのチラシにある通り、内橋克人、大江健三郎、落合恵子、鎌田慧、坂本龍一澤地久枝、瀬戸内寂聴、辻井喬、鶴見俊輔の9氏が呼びかけて「さようなら原発集会」とパレードが開催されることになりました。
生協OB九条の会埼玉では、世話人で相談して、会員の皆様へご案内し、参加される方にはできるだけ一緒に行動していただくようお呼びかけすることになりました。 日時は 9月19日(月)敬老の日、集会の開会は13時30分ですので、13時20分までに集合して下さい。
会場は 明治公園です。私たちの集合場所は、下記のURLをクリックして、マピオン地図をご参照下さい。
http://www.mapion.co.jp/here/all/110908/mapi0100980110908091307.html
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生協OB九条の会埼玉 会員の皆様へ
すっかりご無沙汰しておりましたが、会員の皆様には東日本大震災と、それに伴って発生した福島第一原子力発電所の重大事故について、心を痛めておいでのことと存じます。
原子力発電への依存をやめて、自然エネルギー中心の社会にしてほしいという声は大きく広がっていますが、政治や経済の世界ではそれに対応した動きが遅い、あるいは渋っている状態が続いています。
そうしたなか、多くの国民が声を上げ、「脱原発」の願いを表明することが大事な時と思われます。
添付ファイルのチラシにある通り、内橋克人、大江健三郎、落合恵子、鎌田慧、坂本龍一澤地久枝、瀬戸内寂聴、辻井喬、鶴見俊輔の9氏が呼びかけて「さようなら原発集会」とパレードが開催されることになりました。
生協OB九条の会埼玉では、世話人で相談して、会員の皆様へご案内し、参加される方にはできるだけ一緒に行動していただくようお呼びかけすることになりました。 日時は 9月19日(月)敬老の日、集会の開会は13時30分ですので、13時20分までに集合して下さい。
会場は 明治公園です。私たちの集合場所は、下記のURLをクリックして、マピオン地図をご参照下さい。
http://www.mapion.co.jp/here/all/110908/mapi0100980110908091307.html
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