最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2012-08-31

「米兵レイプ犯に公正な裁きを」署名の協力を


2002年、オーストラリア人女性キャサリン・ジェーン・フィッシャーさんは薬物を飲まされ意識を失い、車の後部に押込められ、暴行レイプされました。
しかし、当時横須賀に駐屯していた米海軍水兵であった加害者は未だ法による裁きを受けていません。
事件後、加害者は「名誉除隊」となってアメリカへ逃げ帰ってしまったのです。

しかし、この2週間で、私たちは日本で犯を犯した米兵が責任を問われずに「逃げ得」している状況を変えることができます。
 日本には、在日米兵の犯した犯罪による被害を受けた人が大勢いますが、日本政府はほとんどの事件に関して加害者を不起訴にしています。
米兵による犯罪の起訴率は約13%、性犯罪は全て不起訴とする報告もあり、多くの人が泣き寝入りしている状態です。
最初は日本の裁判所で、そして現在は米国の裁判所で、粘り強く犯人の責任を追及し続けるジェーンさんの勇敢な姿には心を打たれます。
2週間以内に、ジェーンさんはついに正義を勝ち取ることができるかもしれません。
しかし、この件は、なぜ日本の社会制度が犯罪を犯した多くの米兵を野放しにしているのかという疑問を投げかけています。
日本のメディアがジェーンさんの取り組みについて必ず報道するよう働きかければ、米兵による犯罪に対し長年にわたり 見て見ぬ振りをしてきた政府の態度を改めさせるチャンスにできます。
 ジェーンさんと共に立ち上がり、在日米軍の刑事免責について調査するよう政府に訴えましょう。今すぐ右手の嘆願書に署名し、お知り合いの皆さまにも署名を広めてください。
3万人分の署名が集まりましたら、ジェーンさんと一緒に外務省と日本の メディアに届けてまいります。
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Facebook で知り合いのSさんが上の内容の署名の協力を訴えていました。
早速、私も、以下の請願書に署名しました。


外務大臣 玄葉光一郎 殿 

日本に駐留している米軍関係者らが、これほど多くの犯罪に関与しているにもかかわらず、それに対して公平な捜査・処罰がなされない状況について調査して頂くようお願いします。日本で米軍関係者が犯した犯罪の起訴率は、わずか13%にも満たないと言われています。日本に滞在する誰もが、法の適用を受けるべきです。このような不正がまかり通っている理由は、米政府との間に公式または非公式に結ばれた協定や交渉が存在するからなのか、もしそうであるのなら、その状況を改善するためには何をすべきなのか、今すぐ調査を始めて頂くようお願いします。

2012-08-29

ビックリの電話がふたつ

元義妹から膵臓ガンで明後日入院するとの電話が入りました。
久しぶりに声を聞いて、”元気なの”という私の問いかけに”元気でないの、実は…”
”元気よ”という返事を期待していた私は絶句。
春に電話をもらった時は、私が骨折でギブス生活、会うこともかないませんでした。
暑気払いでもしたいタイミングだったのに、言葉少なに電話は切られました。
私より2~3才年上の彼女、甥っ子がどんなに心配している事でしょう。

もう1本の電話は「SAORI東京」からです。
9月から週2日スタッフとして働かないか?との問合せ。
クリエイターにチャレンジしようか、と考えていた矢先、想定外の展開です。
さリコ会員になったのだから、これからの経験にもなることだからとのお誘い。
ここ何年かで、スタッフがずいぶん若返った「SAORI東京」だったのですが、ここで再雇用のような年齢の私が入ると…。
年齢構成が幅広くなり、教室の受講者の年齢には近づくかもしれません。
9月中旬に本部から代表が来られ面接とか。
話がどんどん進んでいますが、どうなることやら。

2012-08-28

完成 『さをり織ワンピース』

日曜と月曜の2日間でワンピースが完成しました。
chiheiさんから涼しそうとコメントもらいましたが、綿糸と麻糸を使っているので夏にはもってこいの素材でワンピースが仕上がりました。

生地は首周りを抜いた部分も襟の裏地に使い、余すことなく使い切り、それでも少々足りない脇部分を織足して完成。

太い二の腕を出すのに恥じらいを感じますので、白っぽいカーディガンなどがあるとベストなのですが…。

名古屋の「さリコ大会」の参加者は、お揃いの服ではなく、それは思い思い、色とりどりの服のオンパレードです。
既製服でないという共通点で、形も素材も色彩も全て自由ですが、さをり服と一目でわかってしまうのです。
その集団が駅の構内から、会場まで何人か固まって移動する様は圧巻ですよ。


講演の後の「夜の交流会」は、さをり軍団が一堂に会します。
それも旅行中の服から着替えて、ドレスアップして集合します。
ファッションショーをしたり、いろいろな出し物が出て、会食しながら楽しいひと時です。



2012-08-24

さをり織 「夏のワンピース」


9月16日から名古屋で開催される『さリコ大会』に参加する時に着る「さをりの服」が必要なことにハタと気づいたのは先週でした。
夜の交流会はみな自分の作品を着て参加します。
参加する人たちはさをり服を着ているので一目でわかる集会なのです。
「さリコ会員」になって初めての大会ですから、やはり頑張って作り上げなくてはと苦肉の策。
先週たて糸成形をしていたパンツ用のたて糸を流用し、かなり間引いて、ワンピース用の薄手に変更しました。
何せパンツですから透けないように縦糸をかなり多く成形していたのです。
水曜日の夜1コマ、木曜日、金曜日は朝から2コマづつ3連チャンで通い詰め、やっと完成しました。45cm幅で3mです。
これではワンピースを作るには少々足りないので、急遽家で同じ糸で織り足しています。
どんなワンピースが出来上がることでしょう。


2012-08-21

朗読でよびかける「いま死なないでキャンペーン」


エッセイスト藤田市男の、朗読でよびかける「いま死なないでキャンペーン」が、8月24日スタートします。
子どもや保護者の集まりに、「いま死なないで」のメッセージを伝える30分のプログラムです。
小学校、中学校の始業式を皮切りに、藤田市男のミニトークと船尾佳代アナウンサーによる朗読。
交通費のみの無料出張だそうです。


子どもたちへ (藤田市男のエッセイ「たいせつなあなたへ」から一部抜粋)

キミの生まれた日のことは忘れない。
うれしくてうれしくて、なんどもキミのホッペに顔をくっつけていた。
子どもたち。親には心配かけていいんだよ。
どうせ親なんて、どんなときでもキミたちのことを心配するんだもの。
いや、モノワカリのいい親を演じているんじゃなくてね。
もしキミたちが急にイイコになったりしたら「うちの子はいい子すぎるんじゃないかな」って、
きっとまた心配しちゃうんだ。                    
キミたちが悪いことをしたら、そりゃあ叱る。親だもの、しっかりと叱る。
でも、だからといって、キミたちのことを嫌いになんか、けっしてなれない。                                      
信じておくれ、子どもたち。どんなに心配かけられたって、それはみんな受けとめてみせるから。
そう、たったひとつのこと以外はね。                                    
聞いておくれ、子どもたち。キミたちの死よりも大きな悲しみなんて、私は知らない。
いまさらだけど、もういちど親を信じてくれないかな。
またあのころのように、親を信じてくれないかな。
いつも手をつないでいたあのころのように、抱っこされることが大好きだったあのころのように
また親を信じてくれないかな。
難しいかな。頼りないかな。もう、信じられないかな。                  
死を選ぶ前に、お願いだから、もういちど話しをしてくれないかな。
その苦しみを預けてくれないかな。
わたしたちもいっしょに苦しませてくれないかな。                                
お願いだから、子どもたち。きらいなヤツのために死んだりするな。
好きな人のために生きてくれ。
キミのことを大好きだって言う人が、キミのまわりに大勢いることに気づいてくれ。
そしてなにより、キミ自身のために生きてくれ。
キミがいなくなるその悲しみよりも大きなものなんて、わたしたちにはないのだからね。
お願いだから子どもたち。                                          
わるい子になってもいいから、ダメな子になってもいいから、ずっとずっと生きておくれ、
子どもたち。



PS

10:00から協同研の事務所で、無線LANに接続してのインターネット学習会を開催しました。
どうにか運営委員の半数がGmail を取得して、「会員情報発信サイト」の編集権限を得ることが出来ました。
Gmail 取得に時間がかかり、投稿の練習まで行きませんでした。前途多難。


2012-08-20

スーちゃんの「黒い雨」


「戦争は、体の中で続いています」のポスター

埼玉会館で上映された「黒い雨」を観てきました。
会場前に飾られた「体の中で、戦争は続いています」というメッセージの入ったスーちゃんのポスターが印象的でした。

8月6日投下の日、瀬戸内を渡る船で黒い雨を浴びた2次被曝、凄惨な広島市内を逃げ歩く、当時の描写が怖い。
被爆者というレッテルによる見合いの破局が戦後の差別を物語っています。

いつもは静かに石象を掘っている男が、エンジンの音を聞くや否や、戦車の猛攻を受けたトラウマによって豹変する姿も戦争の爪痕を強烈に伝えています。

上映と併せて、中原中也賞詩人のアーサー・ビナードの講演会があったのですが、残念ながら聴くことが出来なかったので、孫に絵本を購入しました。



「イッツ・ア・スモールワールド」 ~みんなとなりどうし~ ウオルト・ディズニー生誕110年記念絵本。
絵:ジョーイ・チョウ 日本語詩:アーサー・ビナード


PS
近くのお蕎麦屋さんで昼食を食べ、浦和駅からバスを乗りついて、協同研の I さん宅へ。
iPad用のバックのベルトと中ポケットのお直しをしてもらい、さをりの布のロックミシンも図々しくお願いして帰ってきました。

2012-08-18

東京名所となるか? 「ゲートブリッジ」

朝から局地的な豪雨が猛威を奮っている中、午後から新木場のゲートブリッジを見物してきました。
はるか遠くに、今や「東京名所」となったスカイツリーが見えます。
曇っていて陽射しが強くないので歩くには好都合ですが、景色がいまいち、夏と秋の雲が混ざり合っているような空模様でした。




終了後は、月島の「スペインクラブ」のパエリエとワインの夕べとなりました。



ハワイのおみやけ

昔、アメリカ流通セミナーの最後の日程・ハワイでの自由行動で、船上のイベントに登場した田舎のプレスリーのような歌手にキスされた思い出があります。
その日は生憎の悪天候で青い海は見えず、ホテル業界に働く労働者の待遇改善ストライキの真っ最中。
ベッドメイキングも自分でやり、ホテル代を少々値引きしてもらいました。
その時買ったドレスを嫁さんに着て貰おうと引っ張り出し、昼に立ち寄った息子に託しました。

2012-08-17

これからのチャレンジ

ビーズ入の段染め糸使用
SAORIクリエーター会議が毎月第1月曜日に開かれるそうです。
1度見学したことがあるのですが、退職後の1年間は「さリコ会員」を目標にやってきたので、ペンディングでした。
今年は「クリエーター」にチャレンジしようかと考えています。
「クリエーター」は月一回の例会に2作品(洋服)を持参して発表します。
その後、関東近県のSAORIの店を順番に作品が回り店頭販売します。
売れれば収入になるのですが、そう甘くはないようです。

今、教室では9月に名古屋で開かれる「さリコ大会」に着て行く服地を織っています。
ブルー系の綿糸で縦糸整形を終えたばかりですが、横糸を麻糸で織ってワンピースに仕上げるのが第一課題です。
そのあとにはクリエーター作品に取り掛かろうかと思います。

ちなみに写真は、ビーズ入の段染め糸を縦糸と横糸の淡い色の部分に使用しています。
やや布が重いのは綿糸中心のせいとビーズの重みでしょうか?
この布地で、まずはクリエーターの最初の作品を作ろうと思っています。
結構、厚手に仕上がっているのでシャケットがよいかもしれません。
浦和の仕立て教室に顔を出して、ロックミシンをお借り出来ればと都合の良いことを考えています。

3月に骨折した足首もそろそろ完治の様子で、日常生活に支障はありません。
リハビリを兼ねて身体を動かし、幾重にも身についた脂肪を取り除いていかなければと考えています。
毎週木曜日10:00~「水中ウォーク教室」と、月2回水曜日13:30~「ヨガ教室」を手始めに。
少し涼しくなったら電動自転車を活用して会場との往復はサイクリングと行きたいです。

2012-08-16

送り火

よく燃えるおがら
マンションの駐輪場の前で、次男と送り火を燃やしました。
今年のお盆は孫2人が大暴れして帰ったので、母も三男も楽しい一時を過ごしたことでしょう。
死んだ子の年を数えると言いますが、生きていれば27歳。
でも仏壇の写真は歩けない幼子、孫の方が年上となってしまいました。

煙に乗って帰って行くそうですが、送り火は燃え盛ってあまり煙が出ませんでした。
うまく乗れたでしょうか。


13日は、ママ友達と池袋で牛たん定食を食べた後、千疋屋のフルーツでお茶して、お供えの果物、生花、お盆飾りを東武デパ地下で買い込みました。
子どもが好きな「萩の月」、お昼寝クッション、ドライフラワーまで買ったものですから大荷物となり、ママ友の娘さんに駅まで迎えに来てもらいマンションに直行。大助かりです。
そんな悪戦苦闘のお盆のスタートでしたが、無事送り火も終え、今年の夏も過ぎていきます。

PS
TOYOさんからメール。
HEENEPのウッタムさんが私にメールを送ったのに返信が来ないとTOYOさんに泣きついたらしい。
新しい3人の里親の里子の名前がわからないとの質問だったので返信済と回答しました。
領収書を書くのに名前がわからなくなりあわてた模様です。
TOYOさんも2月に渡しているのに、今頃名前がわからないとは、「怒ってしまいました」とあります。
いつものことながらネパールには、「すぐやる課」は存在しないようです。

2012-08-15

友人からの映像

ゆり上の塩枯れの田んぼ
亘理町の地盤沈下した学校
この春、退職した友人から被災地の写真が届けられました。
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先日、身体障がい者や自立支援の認定を受けている子どもたちが主に働いている宮城「はらからの会」のお祭りへ行き一緒に歌ってきたよ(^-^)/
帰途、損害のひどかった閖上(ゆりあげ)や亘理町によったけど、閖上はコンクリの土台を残すのみ。
びゅうびゅうとなる風の下、白いコンクリがあたかも骨のような印象を与えた。
この地域は一切のインフラが回復されず、塩が入って青枯れした田圃とところによっては田圃から、白く塩が吹いている。あとは、透かし模様の様な一軒家の片割れ、行き場のないがれきの集積。
報道で有名になった亘理町の学校は地盤沈下が著しく廃校になりそうだね。
いずれも、復旧未だしの感じ。
きつかったけど、郡山の仮設住宅も訪れた。
オリンピックの最中?というのに物音がしない。玄関の鉢植えだけが住民の存在を証明している…。
世話人の方にお聞きすると、三つの自治体から、600世帯が入居しており、どうしても遠慮がちになってしまうという。
お話頂いた一人は原発関係で働いていた方で、仮設住宅は狭く風呂にもまともに入れないので、近所の銭湯へ行くのです、と済まなそうに語るのであった。
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PS
午後3時、ママ友が新潟に帰る途中下車し、駅前のドトールで会いました。
秋に行われる結婚式に着用する草履バックセットを借りに来たのです。
もう1人のママ友から紹介された卸業の店で何年か前に買ったままで、使うチャンスがなかったのでどんな物だったか、すっかり忘れていました。
そのはず、買い物がウィークデーだったので、品定めもママ友任せで写メールで確認しただけで買ってきてもらったものでした。
そのため買った本人より、買って来てくれた友人の方がよく覚えていました。
別れてから、アーケードの中の飲み屋さんで夕食を兼ねて一杯やっていると、荷物の中に日傘が入っていたと電話がありました。
今度上京する折に持ち帰ってくれるとのこと。まだまだ残暑が続きそうなので日傘は出需品です。

2012-08-14

棚経に遅刻

お気に入りのワンピース
今日は8月14日、三男の命日です。
1988年享年1歳となっていますが、滿1歳11カ月で亡くなりました。
その後、毎年命日にはお坊さんに棚経をあげてもらっています。

ところが棚経で訪れる順番が我が家がトップのため、朝8時にお坊さんが登場します。
今朝は約束の時間より15分早く来られ、長男家族が到着する前にお経が終わってしまいました。
次男と二人で神妙に手を合わせていましたが、骨折した足首を庇いながら正座するのも大変です。

ちょうど終わってお坊さんが帰られるのと、マンションの玄関で行き会ったと4人が現れ、嫁さんが「すいません!」と顔をのぞかせました。年に1度のことなのに遅刻です。
そう言えば、「宮参り」も「七五三」も、神社で両家の両親が待たされ、主賓の孫はいつも遅刻でしたっけ。

孫姉妹は次男の愛犬メーテルをいじくり回しています。
嫁さんの実家の愛犬のしっぽを引っ張り噛まれた経験がトラウマになり、チビ孫は最初触れませんでしたが、何をされてもおとなしいメーテルに、だんだん本性を表し、いじくり始めました。
お姉ちゃんは最近、お出かけはいつもちゃま2に頂いたシャンパースカートをワンピースとして着ています。

夏のお盆と暮れには奮発して購入する松阪牛を、今日はホットプレートで焼肉にしました。
チェーンの居酒屋でアルバイトしていた経験のある長男が焼き奉行です。
お腹をすかせたチビ孫がスプーンで生肉を食べようとするのにはビックリ!
「生レバー食中毒事件」に次ぐニュースになってしまいますよ。まだ訳の分からない年頃と思いきや、パパが焼いてくれたキャベツをお皿にのせると、「キャベツはいりませんから!」と毅然と応えるチビでした。

さをりの織り機を見て、「やりたい!」とせがむおねえちゃんに織らせると、10cm☓25cm の作品が出来上がり、リカちゃんのベッドにすると大喜びです。
その間中、チビは「私も座る」と織り機の前で泣きわめいていました。
普通、体験織は横糸の織りだけ体験するのですが、縦糸整形からやらせてみると、就学前のおねえちゃんは結構面白がって出来ました。
子どもは全然気にしないのですが、ママが縦糸がとんでる、2本一緒に入っていると心配しています。
さをりは何でもあり、それが模様になり個性になるからOKというと、……?という顔。

2012-08-12

瀬戸物手榴弾に 「生けてください花一輪」

仏壇の菊を1本失敬しました

先月の資本論講座で参加者から紹介され、申し込みをした「瀬戸物手榴弾」が、本日教室に届きました。

第二次世界大戦末期、鉄不足のため瀬戸物手榴弾や地雷を製造していた埼玉県の川越市にある「浅野カーリット工場」跡地から発掘されたものです。

反戦平和を語り継ぐため地元で掘り起こし、各地の「戦争展」などで展示する活動をされている杉浦公昭さん。

杉浦さんは2001年、国会に「憲法調査会」が設けられ憲法九条を葬りさろうとする動きの中で、この詩を書き、「北九州うたごえ創作会議」の吉田泰子さんが作曲された歌の楽譜が添付されていたので紹介します。



「生けてください花一輪」

わたしは瀬戸物手榴弾
火薬を再びつめないで
生けてください花一輪
人の心が和むよう

わたしは瀬戸物手榴弾
大戦末期のわが国で
戦のための鉄不足
心ならずも作られた

わたしは瀬戸物手榴弾
戦争放棄の憲法こそ
人類不滅の法典と
伝えてください人々に

わたしは瀬戸物手榴弾
愚かな戦争させないで
守ってくださいこの地球
すべての命が輝くよう

2012-08-10

今日のヒット

きつねちゃん
京都の「伏見稲荷」の参道で売っているという「きつねちゃん」をおみやげにもらいました。
ほのかに香るごま風味とみそ味が懐かしい郷愁にそそられます。

孫に持っていくのが楽しみ。
チビ孫の顔にピッタリサイズ。


2012-08-09

iPhone バッグ完成

帯地で制作したバッグ
特注したiPhone 用バッグが出来上がりました。
宅配便で早速送ってもらいました。

和風の素敵な仕上がりになっています。
肩掛けベルトのリボンもアクセントと強度補強に役だっています。
内部はルーター、iPhone 、ペンケース入れ、チャックの小物入れがついています。

気づいた点として、ペンケース入れの工夫と肩掛けのベルトの長さ調整をお願いしました。
8/21の学習会に持参して、再度工夫をしてもらうことになりました。


裏側のデザイン




内部のポケット

2012-08-08

SAORI 暑気払い

我が家のあさがお
東京の教室に7年務めたスタッフのYさんが転職されたので、送別会を兼ねた暑気払いを開きました。
6時に教室に到着すると、Eさんがすでに2コマ目で縦糸整形をされていました。
次に退職されて休憩中のKさんが久しぶりの教室に現れ話に花が咲きます。
NPOの2人のメンバーは揃って登場し、糸を買ってから本日の会場「ふうが屋」へ。

水曜日夜クラスはなかなか教室には来れなくても、飲み会の出席率は最高の定評があります。
今日も6人常連メンバーが集まり、あとから駆けつけたスタッフの2人を交え楽しい交流会となりました。
ワインを飲みながら転職の経緯や配属先などの話題に花が咲きました。
ご主人の赴任でドイツに暮らしたことがあるメンバーからドイツ旅行のお誘いが出て、水曜日夜教室で夢が実現したら素敵!

2012-08-07

「協同研 情報発信サイト」がスタートしました

新しいサイト
8月3日協同研の事務所にインターネット環境が整備されました。
これに呼応して、「協同研 情報発信サイト」が、前田さんのご協力でスタートしました。

このサイトは「ICT勉強会」で学んだgoogle Apps のサイト機能を使っています。
復習の意味も兼ねていろいろ触ってみました。
自分で作ってみないと学んだことはすぐ忘れてしまいますね。

Gmail の取得がサイト利用の前提ですので、情報発信する会員には取得してもらわなければなりません。
運営委員とWebアンケートに回答してもらった会員さん20名ばかりにメーリングリストでGmail の取得を呼びかけました。
初日早速、3名の方が登録していただきましたが、残念なことに運営委員は一人もいませんでした。

2012-08-04

マンション管理組合理事会

第4回目の管理組合理事会が開催されました。
通常議題の終了後、理事長から深刻な問題が提起されました。
マンションの管理組合が契約している管理会社は、かねてから労働条件改善を求めた管理人から訴訟を起こされていました。
管理人の労働条件については、すでに労働基準監督署から是正勧告を受けていたにもかかわらず、管理会社は改善をしてこなかったのです。
この春、過半数の住民が管理人を支援する陳述書を裁判所に提出した経過があります。
ところが突然、管理会社の代理人から、陳述書の内容について管理組合理事長宛に配達記録付き郵便で質問状が届けられ、文書回答が求められたのです。
陳述書は管理組合が取りまとめたわけではなく、住民個人の意志で提出したものにもかかわらず、裁判結果によっては管理組合に損害賠償を請求する事態もありうると管理会社の担当者は言っています。
素人が考えても理不尽な内容ですが、理事会としては法律の専門家から意見を聞きたいところです。

2012-08-02

9万人の広島市民が出演した映画 「ひろしま」 1953年制作

浦和コムナーレでの上映会

「映画と講演のつどい『原爆から原発』」の最終日、1953年制作のまぼろしの映画「ひろしま」を観ました。
広島県生まれで宝塚歌劇団出身の主演女優・月丘夢路は、他の映画会社への出演が許されなかった時代、微力でも平和につながる作品に出たいと出演を決めたそうです。
先日亡くなった山田五十鈴も母親役で、他には岡田英次、加藤嘉が出演しています。

被爆者である肥田舜太郎医師は、以下のメッセージを寄せています。
「この映画は原爆投下後の廣島を描いた数々の映画の中で、一番事実に近く迫真性に飛んだ映画です。
この地獄の中を目に見えない放射能が生き残った被爆者のからだと心を内部被曝でゆっくり蝕んでいきました。アメリカ占領軍と日本政府とによって隠されてきた、その内部被曝は、今日、福島の人たちと関東平野の住人をまたまた蝕み始めています。
原子力発電所は核兵器とともに一つ残らず廃棄し、廃止しなければなりません。」

この映画の監督補であった小林大平氏の息子である小林一平氏は上映後の講演で、「この映画は、当時の廣島の熱と匂いがないだけで、当時そのままだった」と肥田舜太郎医師のコメントを紹介されていました。
現在、映画「ひろしま」のプリントは2本(近代美術館フィルムセンターと広島市の所蔵)しかなく、私たちが見たのはDVDでした。
35mmフィルムの復元作業を行い、ニューフィルムで上映するためのカンパ活動を、小林氏が代表を務める「奇跡への情熱プロジェクト」がすすめています。

2012-08-01

孫のピアノ発表会

先生の付き添いはいつまで?
孫がピアノを習って1年がたちます。
川口のリリアホールで発表会。
ママに、髪をアップして髪飾りをつけてもらってご機嫌です。
今回の発表会では、ピアノだけでなく、歌を歌う子もいて、びっくり!
3つになったばかりの妹は、お姉ちゃんの演奏が終わると、終了まで我慢できずママと廊下で遊んでいました。
先生とピース!