最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2011-06-30

課題のパンツはひざ丈


SAORIの織機で織れる最長60cm幅にチャレンジしました。
実は課題のパンツは履きやすいひざ丈パンツにするつもりで60cm幅に
したのです。

縦糸はループ糸をふんだんに使っているので、左右の糸と絡まないように、1本おきにストレートの糸を入れています。横糸は茶系のウール糸にオレンジとイエローの細綿糸を入れてみました。

いつもは設定した幅より少し狭くなるのが私の織り癖なのですが、今回は綺麗に60cmに揃いました。
これだけの幅があると生地にボリュームがあり、織った!という満足感を味わえます。

今回は縮じゅうで失敗ないようにネットに入れ、ドラム洗濯機の「上質おうちクリーニング」に設定して縮じゅうが出来ました。

茶系の色合いが気に入っているのですが、写真ではグリーンがかってしまい、深みのある本当の色合いがお見せできないのが残念です。

PS
昨日の長男の訪問はお見舞いかと思いきや、おねだりでした。
会社帰りの23:30 近くの不二家に現れた彼と昨日の続きを話終わると1:00。
折よく店の前でタクシーを拾えて帰りましたが、タクシー代をまたおねだりして退場。

2011-06-29

帰りにアイスクリーム買ってきて!


長男が休日で下の孫を連れて遊びに来ました。
チビは見慣れない部屋に、最初は恐る恐るパパと手を繋ぎながら歩き回っていました。

中年組のIさんからプレゼント交換で貰った「だるま落とし」で遊ばせると、下のコマを打って抜くのではなく、てっぺんの熊ちゃんを気合いを入れて木槌で叩いています。
まだ1歳児には「だるま落とし」の妙技がわからないようです。

お昼ねタイム中に、私の携帯に長男宅から着信。
出ると、上の孫が大泣きでしゃくりあげていて何を言っているかわかりません。
幼稚園から帰って妹がパパとばあちゃんの家に遊びに行っていると知ると、自分も行きたかったと怒って大泣きで電話をかけてきた次第です。

実はこの時間帯はいつも、ママがチビを連れてビーチバレーに通っているのです。
家中探して妹がいないのでママを問い詰めると、「いい子でなかったから体育館においてきちゃった」とはぐらかされた後、パパと一緒と知り、大泣きしながらも「帰りにアイスクリーム買ってきて!」と留守電にメッセージを残しているところはさすが。

2011-06-28

新国立劇場「雨」は流れました


赤と白のゼラニウムが咲きだしました。
紫陽花が少々元気がなくなってきた今日この頃、沖縄では梅雨
明け宣言がされたそうです。
真夏の太陽の強い光を浴びて、愛らしい花を咲かせています。
インターネットで、ゼラニウムと検索してみました。
種類がこんなにあるとは思いませんでした。

今日、従妹が母親と一緒に伯母の家を訪問したそうです。
入院中に一時帰宅で戻ったので、老齢の伯母を訪ね、食事をして帰った旨、叔母から電話がありました。

私はこの膝の状態では、伯母をエスコートして病院までお見舞に行けないので、どうしたものかと考えていたところで、一件落着となりました。
従妹は50才、治療に専念して早く良くなってほしいと思います。




PS
今朝、ちゃま2からメールで、こまつ座にダメ元でキャンセルの手配しましょうか?との問い合わせがありました。
彼女も久々に腰痛が出て、先週整形通いをしていたそうです。
いろいろお気遣いありがとうございます。

2011-06-27

iPhone マップ

今日はハローワークの就職支援セミナーの日でした。
外科の医師には歩き回るのを止められていますが、このセミナーに参加しないと今月の認定を貰えません。
タクシーで行き、座学で座っているだけという条件で、医師の了解を取り付けました。
そこで往復5000円のタクシー代をかけて、「履歴書・職務経歴書の書き方」セミナーに参加した次第です。

我が家の傍にタクシー会社があるのでそれは便利なのですが、今回の運転手さんは新米なのか、道が全然わからず、何度も事務所に問合せして出発したのですがNG。
私がiPhoneのマップナビで間違う度に修正して、やっと朝霞産業文化センターに到着しました。
帰りの運転手さんは慣れたもので、一発で我が家に到達いたしました。

iPhoneマップは優れ物です。始めていく場所は徒歩のナビが、タクシーの場合は車ナビで道に迷う事がありません。
電車を使えば下車駅からのナビが出ます。方向音痴で地図の読めない女の私は、このマップが頼りです。

PS
明日の新国立劇場での井上ひさし追悼公演「雨」にも、こんな状態で行くことが出来ないため、あちこち知り合いに連絡してみましたが、行ける人は見当たりません。

2011-06-26

緑のカーテンが成長中

植えた当時のゴーヤ
現在のゴーヤ

我が家の緑のカーテンが育っています。
ゴーヤの苗をプランター二つに植えて、突っ張りポールに網を張って、蔓が絡まるようにセットしました。
まだ隙間がありますが、ゴーヤの枝は随分成長したものです。
和室の窓にゴーヤのカーテンが生い茂る日を楽しみにしています。ゴーヤチャンプルはもっと楽しみです。

2011-06-25

後厄(あとやく)

昨日の膝の打ち身で夜中何度も目が覚め、どちらを向いて寝ても違和感がり、明け方近くなってようやく眠りにつくことができました。

マンションの隣にある総合病院は、救急指定で救急車が患者を搬送してくるため常に混雑しています。
そこで、近所の外科を探して、朝一番で診療を受けに行きました。

レントゲンの結果は骨にも、お皿にも異常はなく一安心。無理をせず安静にして外出は避け、畳での正座はNG。
痛み止めを飲むと、寝不足のこともあり午後一日中昼寝してしまいました。

60歳後に女性の後厄がくることを京都の花見に行って知り、昨年の「マリドラ骨折旋風」は正にこのことかと納得。
恒例の月山登山はパスしたものの、結局その前にケガをして、厄払いは出来なかったということでしょうか?
でも大したことではなかったので、不幸中の幸いと諦めることにいたします。

2011-06-24

iPhoneからテスト投稿


①maeさんから紹介のあったBlogPressをiPhoneにインストール
 し、早速iPhoneからの投稿にチャレンジしています。

②文章が長くなると入力画面の下方が表示されなくなります。

③入力した時の場所を指定するのは意味があるのでしょうか?

④今、追加文章を入力したのですが、表示されませんね。いえ、再度チャレンジしたら、今、表示されました。

⑤管理画面から過去にアップしたブログに文章追加が出来たと思ったら、2度目は表示しても映像だけで文章が保存されてない状態になっています。再追加はできませんでした。

⑥映像の小・中・大の大きさは指定できますが、映像説明機能はありません。

PS
NHK総合で、「瀬戸内寂聴が語る・究極の愛」を偶然見ました。岡本太郎と敏子の関係が、二人と交流のあった寂聴を介して、敏子の日記やその他の資料から掘り下げられていて興味深い内容でした。
二人の関係が恋人同士から秘書と画家、母息子のような関係へ変遷、そして最後は介護を通じて、太郎死後は芸術家と作品を世に出すプロデューサーのような関係となる、究極の愛の形が寂聴によって語られました。
以前のドラマで、敏子役だった常盤貴子の朗読で彼女の日記が紹介され、敏子が晩年好んで着ていたSAORIの服を何点か映像で見ることができました。

6月の最高気温が更新される中、ハローワークで2時間待ち。体中の水分が抜けたような気分です。
震災以降、20~30代の人たちでさえ求人倍率2倍となっているので、60才では見つからないからパートも視野に入れ探してみてはとアドバイス。

場所:4丁目,さいたま市,日本

2011-06-23

「生協友の会さいたま」へのお誘い

「日生協企業年金基金」と世話人から2通、「生協友の会さいたま」への加入の呼びかけが届きました。
この組織は、1994年「日生協厚生年金基金受給者の友の会」の埼玉支部として発足し、2004年「日生協厚生年金基金」が「日生協企業年金基金」へ移行した際に、自主交流組織として自立しました。

「さいたまコープにじの会」「日生協友の会」「ユニコープ友の会」「埼玉民意連退職者の会」の会員を対象としており、2010年12月現在、会員数103名で、日生協OBは23名だそうです。
以前、私は何も知らずに、「生協友の会さいたま」の自主活動である「生協OB九条の会・埼玉」の主催した「沖縄戦の証言ドキメンタリー映画」の上映会に参加したことがありました。

今回は「東日本大震災支援生協OBの会埼玉」の活動もスタートしたそうです。
また、埼玉の自然や文化遺産を見て歩く催しも計画中だとか。入会してみようかと考えています。


PS
今日は地域のメンバーが歓迎会を開いてくれました。暑い中をお寿司とお菓子を買出し、ウーロン茶で乾杯しました。
家ではまだエアコンを入れていませんが、ここにはクーラーがあり天国でした。

先週、腸炎でダウンしていた伯母の様子が気になり電話したところ、偶然従妹が入院中であるという話を聞きました。
来週、足の悪いお伯母をエスコートして二人で、お見舞に行こうと相談しました。
従妹は3月はじめに父親を亡くし、教会での通夜で会った時は元気そうだったのですが…。

2011-06-22

代々木商店街と開かずの踏切

今日は何と36度という真夏日。暑い盛りの午後3時に家を出て千駄ヶ谷の西堀歯科医院へ出向きました。
川縁を駅に向かう間、ギラギラの日差しなので、立山の「雪の大谷」ツァー時に購入したサングラスをかけてみました。
先日放映していた日焼け対策のテレビ番組で、紫外線対策はお肌ばかりではなく、目の対策も大事な要素と言っていたのです。
浅草散策の時も日本晴れでしたが、ついサングラスを忘れて行ったので、本日は抜かりなくかけて傘をさしました。

通勤がなくなり生活リズムが毎日異なるせいか、歯のお手入れも乱れたのか?歯肉炎のポケットが増えていました。
治療後、千駄ヶ谷で夕食に天ざるを食べて、代々木のSAORIに向かいました。
千駄ヶ谷から原宿署手前の交差点に出て、共産党の本部前の何10年も通勤した通りを代々木駅まで歩きました。

店舗主の入れ替わった店も多い中、鉄板ハンバーグを得意料理としていた料理店は健在でした。
狭い通りを抜け、開かずの踏切に到着。埼京線が開通する前、ラッシュ時に踏切が通れなくなると反対運動の立看板が張り出されていたことを思い出します。

SAORI教室は、退職後は木曜日の昼間のに通おうと定年組3人で約束したのですが、木曜日に用事が入ったのは私ばかりではないらしく、異なる曜日にそれぞれ出没しているようです。
私は相変わらず水曜日の夜に通うことが多く、今日も歯医者と合わせて通ってきました。
10年間通った水曜日夜の教室で、懐かしい仲間と顔を合せると何となく和みます。

PS
この夏の節電対策のため、アンペアダウンの変更を行いました。(昨日)
40Aから30Aへ変更し、基本料金が1000円以下のなりましたが、節電に如何ほど貢献できるでしょうか。

2011-06-21

五百羅漢・特別展 江戸東京博物館

第22幅 六道 地獄
浅草寺本堂





幕末の絵師 狩野一信の「五百羅漢図」100幅が、江戸東京博物館で一挙公開されています。
ウィークデーの今日の会場は、シニアの観客のみと言ってよいほど圧倒的に高齢者が多く、若者の姿を数名見かけた程度でした。

五百羅漢図は、徳川家の菩提寺である芝の増上寺に納められた後、妻の妙安尼が明治時代に建てた羅漢堂で、戦前何幅か公開されていた以外は忘れ去られた存在だったようです。
東京大空襲で羅漢堂が焼け落ちたにもかかわらず、全幅が空襲を免れて今回の公開となった次第です。
今年は浄土宗の開祖・法然上人が亡くなって800年を迎える年に当り、増上寺秘蔵の五百羅漢図が開催されました。

以前のテレビ番組で、余貴美子扮する妙安尼が、夫一信が96幅を描き残し世を去った後、弟子と共に全100幅を完成させ、羅漢堂を建立させた物語を見ていたので、是非初公開の五百羅漢図を観ておきたいと高校時代の友人と出掛けました。

五百人の羅漢さまが、それぞれに修業したり、ビーム光線を放したり、地獄に落ちた人々を救おうとしたり、氷の池を溶かしたり、激論を戦わせたり、禽獣と遊んだり、食事をしたり、鼻をかんだりする100幅の絵が、暗い会場の中からダウンライトに照らされて浮き上がってきます。
まんがチックな表現でありながら、身に付けた衣服の文様まで細かく描き、全身全霊をつぎ込んだ迫力を感じさせます。

売店でなかなか読みごたえがありそうな、別冊「太陽」の「狩野派決定版」を購入しました。
これには総勢350名の「狩野派系図」と共に、江戸時代初期の狩野派36名の絵師たちが牛と馬を寄せ描きした「牛馬図」が掲載されています。
巨匠・狩野探幽をはじめ、それぞれの絵師が自分で描いた牛馬の傍に落款を押しているのが見事です。

狩野派400年の歴史を語るにふさわしいこの絵を紹介しているのが、会場での案内ビデオの解説者でもあり、別冊「太陽」の監修者でもある明治学院大学教授・山下裕二氏です。
お花見に行った京都・南禅寺で見た探幽の「水呑みの虎」のミニチュアの屏風を買った私としては、紹介された探幽の作品の中に「水呑みの虎」がなかったのが少々残念でしたが…。


PS
昼食後、両国から浅草まで隅田川沿いに歩き、浅草寺にお参りしました。
あまりに晴れ渡った空の色に映えた本堂を見て、思わずシャッターを切ってしまいました。




2011-06-20

やっとミニチュアシュナウザーになれました


今日は愛犬メーテルのトリミングにつきあいました。
もう小熊かと思うくらいに毛が伸び、リールがめり込んでいましたが、
すっきりシュナウザーカットにしてもらい本来の姿になりました。

シャンプー+カットで3時間、年会費2000円を含み9100円です。
私のヘヤーカラー+カットといい勝負と言えます。
年金生活者には厳しいペット費用です。

お店でお馴染の赤いネッカチーフを巻いてもらい、ご機嫌でご帰還です。
放射能を含む雨が降りそうでしたが、何とか濡れずに帰路につきました。


PS
協同研の7月ハイキング企画の原稿が届きました。
編集して案内チラシを作るように代表のKさんからメール添付で送られてきました。
チラシの他に、表紙のコラムと先日の定例会の原稿と3点セットとなってしまいました。
すべて7月1日の発送に間に合うように、原稿を送付しなければなりません。なぜか追いまくられています。

2011-06-19

2011年 埼玉母親大会

事業仕分けの対象となった「国立女性教育会館」で、第56回埼玉母親大会が開催されました。
なぜこの施設で開催するのかというと、埼玉県のどの地域からも1時間半以内で到着するので平等なのだそうです?
全体会は、満員御礼で入場できないので、サブ会場へ移動することにしました。
ちなみに全体会場での記念講演は福島県立医科大学講師・後藤宣代さんの「フクシマからヒロシマへ:21世紀を生きるよろこび、働くよろこびへ」。オープニングは東松山太鼓サークルの「松っ鼓」
サブ会場のオープニングは、浦和の新婦人のメンバーによるフラダンス。
講演は、坂本修弁護士の「国民の意思が反映する選挙制度とは」~比例定数削減の問題点~

坂本修弁護士
 




午後からの分科会は、急遽追加された「特別講座」で、原発問題住民運動全国連絡センター事務局長の柳町秀一さんの「福島原発震災を考える」に参加しました。後列3人のバックシャンは地域で一緒に行ったメンバー。

柳町修一さん
<日本の原発の六重の危険>

技術上
軽水炉は苛酷事故を原理的に否定できない
プラス老朽化の危険

地質上
世界有数の地震国での立地の危険

地理上
人口過密地帯に近隣・集中立地の危険

行政上
国際基準に沿った規制機関不在のもとでの危険

経済上
原発リスクをコスト経常しない危険


PS
私が武蔵嵐山の「国立女性教育会館」に行くと知ると、次男が三男のお墓参りに行こうと言い出しました。
そこで、午後の「特別講座」を1時間ほど早退し駅で落ち合い、最終送迎バスでメモリアルパークへ出向いたのです。
雑草はさほどではありませんでしたが、4本植えたツツジの枝から枯れ花が沢山落ちていて、両隣にもご迷惑をかけているので清掃に手間がかかりました。
ツツジの枝は伸び放題で剪定しなければなりません。今度鋏を持って来ようと思います。

2011-06-18

荒々しくて上品で派手で地味なマフラー


今日は朝から織機に向かい、課題に挑戦しました。
「荒々しくて上品で派手で地味なマフラー」という課題は、いったいどのような作品を
イメージしたらよいのでしょうか?
今回はシルクの段染め糸を組み合わせて、レインボーカラーぽいグラデーションで
仕上げてみました。

ドラム式洗濯機は脱水が強いことが分かりましたので、縮じゅうは失敗のないように、一層式の洗濯機で試してみます。

<追伸>
何とリフォーム時に購入した一層式洗濯機で縮じゅう中にエラー表示が出て、脱水ができなくなりました。
以前一度停止したのですが、販売店のアドバイスでコンセントを抜いて時間をおいて稼働させると問題なかったのでですが、再度このような事態なのでメーカーの修理依頼をしました。
家電は10年持つ物もあれば、1年の保証期間中にこのような状態になる物もあり、当たり外れがありますね。やれやれです。



PS
先月、「西村一郎活動日誌で紹介されていた、長編ドキュメンタリー映画「戦没画学生慰霊美術館 ・無言館」が埼玉会館小ホールで上映されます。
埼玉映画文化協会の主催で、6月30日に有料試写会開催のチラシが入りました。
午前中は時間が取れそうなので、西村さんのオススメに従い観劇したいと思います。

2011-06-17

梅雨空に紫陽花


梅雨にはやはり紫陽花が似合います。
ピンクの可愛い紫陽花の次は、見慣れた水色の紫陽花を買ってきました。

シクラメンが今年何度目かの花を付けました。
店先でシクラメンは、冬の花というイメージがありますが、本来は温かい時期に咲く花だそうです。

この花は購入してから、越冬して何年も咲き続けているので、冬も春も夏も、年がら年中咲いている気がします?



PS
寝る前にPPNのホームページを覗いてみると、ネパールのH.Tさんから、里親の手紙と支援金を受け取ったという投稿がありました。
今回は東日本大震災もあり、里親の手紙がみんな長文になっているようで、里子達に解りやすく翻訳するのに頭を痛めているようです。
彼女達のお陰で支援金だけでなく、里子と里親の相互交流ができることを私たちは大変感謝しています。

2011-06-16

村上春樹 カタルーニャ国際賞授賞式でのスピーチ

「我々日本人は核に対する 『ノー』 を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。」と述べた後、村上春樹は以下のように続けています。本日の「毎日新聞」夕刊より抜粋
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我々は技術力を結集して、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発
を、国家レベルで追求すべきだったのです。

たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。
それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。

核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据え付けるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。

日本にはそんな骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。
それは我々日本人が世界に貢献できる、大きな機会となったはずです。
しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

<中略>

壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事となります。
しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。
我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にすまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。

それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。
晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を
進めなければなりません。
一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
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スピーチ原稿には「非現実的な夢想家として」というタイトルが付けられています。
「非現実的な夢想家」とは、スピーチの中でも述べられていますが、原発に疑問を呈する人々に貼られるレッテルの
ことです。
原子力開発を国策として推し進め、後戻りはできない既成事実がつくられた中で、原子力発電に危惧を抱く人々に
「電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられると彼は言っています。


PS
午前中に電気設備点検があり、技術者にアンペアダウンの意向を伝えると、東京電力のフリーダイヤルを紹介されました。電話をすると、混雑しているので20日以降なら変更工事の予約を受けられるとのことでした。
現在40Aですが、電気器具の必要アンペアを調べて最低限のアンペアに変更可能だそうです。
21日の午前中に依頼しました。

2011-06-15

カタルーニャ国際賞授賞式 村上春樹のスピーチ

昨日の「毎日新聞」夕刊から、カタルーニャ国際賞授賞式での村上春樹のスピーチ全文が掲載されています。
連載2回目の今日の夕刊では、『核への「ノー」を』と題する中間部分のスピーチが載っています。
昨日の「協同研」の学習会でも、子孫に残す負の遺産について、原発を受け入れてきた自分たちの責任を問うべきだという議論がありました。まさに村上春樹も同様なことを話しています。    <以下スピーチの抜粋>

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ご存知のように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。
1945年8月、広島と長崎という二つの都市に米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかし、ここではその是非を問うことはしません。

僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万人の死者だけでなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。
核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人びとの犠牲の上に学んだのです。

戦後の日本の歩みには二つの根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。
どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本と言う国の新しい指針となりました。

広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。
我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味が込められています。

核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。
その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
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PS
労組女性部が、「合同慰霊祭にむけて喪服を被災者に贈ろう」という取組みを始めたとこを聞きました。
早速、本日プラザへ出向いて女性部長にフォーマル・アンサンブルを手渡してきました。
その足でSAORI教室に参加し、こちらで取り組んでいる「仙台のSAORI教室へ糸を送ろう」という企画に、家にある糸を持参しました。
ついこの間、夏物寝具カバーが不足しているという情報が入り、敷き布団カバーを5セット被災地に送りました。
今、被災地で求められている何か、自分に出来ることはないかと情報をあつめています。
これからも可能な限り支援を続けていきたいと思います。

2011-06-14

「協同研」の運営委員会に初参加

お花見の頃

朝からモーター音が響いていましたが、庭師による剪定作業が終わりベランダから見える木々がすっきりしました。
お花見の頃、桜の木が隠れるほど茂っていた木も枝が払われ、桜の木がよく見えます。
スカシユリに群がったアリが登ってきた木も、枝を切られ小さくなりベランダからほど遠くなって一安心です。

午後から「協同研」の初めての運営委員会に参加しました。
5月14日の総会で運営委員になり、その第1回目という訳です。
1時間に2本というバスの関係で、15:00の開始時間を5分遅刻して到着すると、メンバー全員が揃っていました。

創立20周年を迎えた研究会は、年間3000円の会費では運営が厳しく、総会で意見の出た未納者への対応が話題となりました。
なかなか更新がすすまないホームページのブログ化の話も、データ情報が乏しい現実が大きなネックのようです。

各分野の担当者から、6月~8月の企画の報告と問題点が出され、野の文化企画(秩父・見沼)、3年目となる「いきいき講座」の他に、ウォーキングと秩父夜祭の企画が確定しました。

研究会では、毎月の定例会で学んだ内容をテープ起しし、会報として会員へ送付しています。
7月会報のメインは総会報告で、発送は7月1日です。
表紙のコラム原稿は運営委員が持ち回りとなっており、アイウエオ順で今回はちょうど私の番だそうです。

引き続き行われる定例会の内容を確認後、軽食を食べて、18:00から定例会がスタートしました。
今回のテーマは、①東日本大震災当日の3月11日に何をしていたか、②東日本大震災について、③原発について 各自がフリーに話すこととなりました。

運営委員の宿題は、今夜話された内容または、自身がテーマについて考えていることをA4にまとめ、会報原稿として提出することです。

2011-06-13

ちゃま2宅の「新築を祝う会」と「埼玉・民主県政の会」
















朝9時に家を出て2時間近くかかってちゃま2宅へ到着です。
彼女の手作りの料理を満喫してから、ハタと写真を撮っていないのに気づき、急遽残り物を小鉢に盛り、
ayayaからの新築祝いのシフォンケーキと、私への卒業祝いの○○ケーキ(名前を失念!)を並べてパチリ!
現地からブログ投稿したところ、早速、「デザートが多すぎるのでは?」と心配のコメントを頂戴しましたが、
以上の事情から、すでに私たちの胃袋の中に入ったものは、撮影できないのでご了承ください。
右の写真の花束はマリドラさんから、菓子籠と茶托はayayaからの3人へのプレゼントです。
帰り際にちゃま2の3人のお孫さんが登場。大家族で、マゴマゴしているちゃま2ご夫妻でした。

「原冨さとる知事実現へ 6.13 総決起集会」












横浜から夕食抜きで浦和の埼玉会館へ直行し、
民主県政の会主催の「原冨さとる知事実現の
総決起集会」に参加しました。

20分前に到着したにもかかわらず、会場は満員でやっと席を確保。立ち見の人と階段に座る人、ロビーに溢れた参加者にビックリです。

まずは、元ニュースペーパーの松元ヒロの時事コント。
彼の舞台は久しぶりですが、相変わらず風刺が効いていて会場は大爆笑と拍手喝采。

労働組合運動、医療、福祉の各分野の関係者からの期待のことばの後、先の都知事選の候補者だった
小池晃・日本共産党政策委員長のあいさつがありました。
①被災者にまでに負担を強いる消費税アップ反対
②米軍へのおもいやり予算でなく、被災者へのおもいやり予算を
③大企業は復興のための財源負担を
④政党助成金を復興に
⑤原発からの即時撤退を求める署名
<埼玉県政の現状>
異常分娩に対応する施設が東京都9、神奈川県4、埼玉県1
放射能測定はさいたま市1カ所のみ
教育と医療は日本で最低。定時制高校は31校から27校、さらに17校にされようとしている。
県政の職員が日本一少ないことは自慢できない。
井上ひさしの言葉を引用して、「ここに生まれ、育ち、子育てして、ここで死んで幸せだったと言える地方自治を」

原冨さとる候補は、
民主県政だった1972年から1992年まで県庁舎には「憲法を暮らしに生かそう」のタレ幕が掲げられていた。
自分は実際にタレ幕が下ろされるところを目撃、その後は労働運動や県民運動を通じて、憲法の平和的生存権を
土台にした政治の実現をめざして活動してきた。再びタレ幕を県庁舎に掲げたいと決意表明しました。

2011-06-12

マフラーはフエルト化


本日、織り上がった課題4 「派手地味マフラー」です。
柔らかい風合いを出すために、なるべく糸の間隔をあけて織りました。
縮じゅうしてどのような風合いとなるかが楽しみです。
昨日届いたドラム式洗濯機での洗濯の初体験!

ところが結果は悲惨!脱水のやりすぎのようにフエルト化してしまいました。
「ドラム式は水が少なくて済む」ということは、すすぎの度の脱水が強く洗剤を除去する
ということなのでしょうか?
期待した風合いの生地はどこへ行ったやら?マフラーは断念!
明日、洗い直してもっと脱水をかけて、いっそのことフエルト化した生地として使う方法を
考えようと思います。

PS
時代劇専門チャンネルで池波正太郎の「剣客惣菜」を見ていたところ、今日は江戸時代の稲荷寿司の作り方を
紹介していました。
そこに登場した料理人が、先日行った銀座の「天ぷら 近藤」の店主とナレーターが説明するのです。
なるほど!カウンター内で天ぷらを揚げていた当のご本人でした。
老舗の天ぷら店の店主が、なぜ稲荷寿司を調理するのか?少々疑問です。

2011-06-11

ドラム式洗濯機 到着


本日、ドラム式洗濯機が、10年間使った全自動洗濯機に代わり登場しました。
老兵は、通常の洗濯コースは問題ないのですが、オシャレ着洗いコースの脱水が終了しても水がポタポタとモレ出してきて、すぐに洗濯ものを取りださないと濡れて脱水を掛けた意味がないことになってしまうのです。
修理を依頼したところ、洗濯機を10年も使うのは異例なことで、修理は不可と言われてしまいました。
そこで、今回はドラム式洗濯機と相成った訳ですが、なぜかもったいないような気がしてなりません。
しかしながら、洗濯層の内部がカビで真っ黒状態であると想像、否、断定できる状況でしたので納得しました。

2011-06-10

アリの大行進


ピンクのスカシユリが咲きました。可愛い小ぶりのユリです。

以前、紹介した白いスカシユリは、その後に蕾がどんどん開花し
5輪が一斉に咲いていました。
そのユリになんとアリが群れていたのにはビックリ!
2階のベランダのユリに何故アリが来るのか、不思議に思って行列の先を覗くと、2階のベランダまで枝を伸ばした木の幹を伝わって、芥川の「蜘蛛の糸」のように、枝からベランダに渡り、スカシユリ目指してアリが大行進していたのです。

地上から甘い蜜の香に誘われて、アリが2階まで登って来るとは見事なものです。
感心ばかりしていられないので、ベランダに届く木の枝を少々切らせてもらいました。
あとから戻って行くアリが枝に渡れず、ベランダの壁で戸惑ってぐるぐる探しているのが見えました。



PS
ちゃま2から、みなとみらいのインターコンチネンタルの格安パックがあり、18時以降のチェックインだとツインの朝食付で6250円をいう情報が入りました。
新居訪問の後、お泊まりしないかとのお誘いです。
マリドラさんは川崎の母親大会の実行委員会だそうで、私も埼玉会館へ行く予定があります。
残念ながら、今回は見送りです。みなさん、地域に根差してがんばっていますね!

2011-06-09

「桃香」


京成ばら園で買ってきた、もう一つの苗の蕾も花を咲かせました。
こちらの花は、近づいて花の香りを味わっていただきたいです。
「桃香」の名前のとおり芳しい甘い香りが特徴です。
買ってきた時は固い蕾だったのですが、もう満開です。
四季咲きの薔薇なので、これからも楽しみです。

今朝は、昨夜織り上がった布を洗濯機で洗い縮じゅうして、アイロンで形を整えてから影干して、ドタバタ外出しました。

ブラウスとコートのデザインを決め、帰宅途中の電車の中で、ちゃま2より「PPNの誕生のきっかけとなった日本母親大会が広島で開催されるので、皆で参加しませんか?」とのお誘いメールが到着しました。7月30日~31日です。

7月上旬は那須の「きじさと広場」のイベントのお手伝いが、すでに入っています。
またもや7月も厳しい日程となってきました。
課題は完成するのでしょうか?

2011-06-08

2011年SAORI東京・教室展(12/2~4)の実行委員に


本日、SAORI教室で2コマ4時間織って、課題のワンピースの布を織りあげました。
前月織ったブラウスの布とコートの布は完成していますが、あと7課題あります。
これではsayokoさんのご指摘どおり、到底8月末の締切日には間に合わないでしょう?
少し気持ちを引き締めてスケジュール管理しないとと思いつつ…。

今年のSAORI東京の教室展が12月2日~4日に開催されます。
その実行委員の依頼が来ました。
今まで「水曜日の夜」教室からは、会議が昼間の関係で実行委員が出たことがありませんでした。
今回は退職組の私に、お声が掛かったという訳です。
実行委員を引き受けて、課題の制作時間がまた削られますね!

ちょうど昨日、那須のmisakoさんから紹介された喫茶店「海」さんのハンドメイド菓子類が到着していました。
SAORIの教室で注文した商品が、被災された「海」さんの経営に少しでも役に立てれば嬉しいですね。
早速、注文したフルーツケーキを持ち帰りました。

2011-06-07

赤い 「かざぐるま」


「京成ばら園」で、先日購入してきた苗木が花を咲かせました。
綺麗な赤の一重咲きで、花びらが波打ち、花芯が黒く、名前のとおりに「かざぐるま」のようです。

ばら園で、「かざぐるま」のコーナーを見た時、可愛い花びらの形と真っ赤な色が気に入り、この苗木を購入しようと売り場で探すと、
たったひとつ残っていたのがこの苗木でした。
これからの成長に期待しながら、四季咲きが楽しみです。

今日は久しぶりに外出の予定がないので、「JIN-仁-」をゆっくり読もうと決めました。
最近、暗いところでは少々読みづらくなってきています。
老眼鏡とやらを購入する日も近いのでしょうか?

私の読書コーナーである、マッサ-ジチェアに座り、スタンドの明かりをつけて、足を揉みながら読んでいます。
今日は何巻まで読破できるかしら? 次の読者が待っています。


次男から電話があり、親知らずを抜いたそうです。
実は何日か前に奥歯の被せが取れ、あわてて歯科に行ったのですが、親知らずが横から生えてきて被せを押し上げ取れやすくなっていると言われました。
最近の人は繊維質の物を食べることが少なくなり、顎の発達も未熟なため親知らずの生えるスペースがなく、抜くしかない状態が多いと聞いていましたが、彼の場合もまさしくその通りです。
以前、片方の親知らずを虫歯で抜いていましたが、結局2本とも抜いてしまいました。

2011-06-06

銀座散策 「天ぷら 近藤」

今日はママ友が新潟から上京しているので、いつもの3人組で銀座を散策しました。
まずは12:00に予約した「天ぷら近藤」に到着。派手なゴールドの指輪やブレスレットをした男性の先客が独り。
ところが、10分たったでしょうか?あっと言う間にカウンター席は満席となりました。

天ぷらを揚げる調理人は1人、カウンターの中に材料を用意する人が3人、フロアにお茶や皿の油取り紙を取り換える担当者が数人iいます。

私たちは懐具合と相談して最低の6000円のコースに、話に聞いていた「さつまいもの丸揚げ」を単品で注文しました。
さつまいもは30cm近くありそうな大きなものを、7~8cmの輪切りにして皮をむき、そのまま揚げるのです。
注文した途端に鍋に入れ、コースが終わるまで揚げ続けていました。

時間が経つと奥のフロアにもお客が入り出し、これだけの人数のコースを同時進行で揚げ続け、よく混乱しないものだと感心してしまいました。
途中、鍋の油を数回取り換えて、小麦粉もボール山盛りを追加していました。

隣席のカップルは「おまかせコース」を注文していたので、ついついネタと見比べてしまいました。
私たちのコースより数点多く、デザートもメロンと私たちのキュウイと差がついていますね。
雲丹の天ぷらも単品でありましたが、どんな味なのでしょうか?でも私たちは満腹で満足して、お先に失礼。

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ビルの谷間のラウンジでお茶してから、三越で探していたレインブーツをゲットしました。
流行りのロングブーツは重くてビックリ!
3人とも同サイズの23.5cmなので、みんなで履きごこちを確かめ、このアイテムに決定。
地下のパン売り場で調理パンをそれぞれ買い込み、新幹線で帰る彼女を見送って帰路につきました。

2011-06-05

映画 「8日目の蝉」

梅雨に最も似合う花・あじさいがベランダの仲間入りしました。可愛らしいピンクの額紫陽花です。

昨日の収穫物・桑の実のジャムが完成しました。
洗って、実についている細い茎を1本1本を鋏で切り落とし、鍋でかき回しながらグツグツ煮込みました。
実の形が無くなりかけた頃、グラニュー糖を何回かに分けて入れながら、また煮込むこと1時間。
最後にレモン2個分の絞り汁を入れて煮詰め、煮沸したビンに詰めて出来上がりです。

ママ友二人におすそ分けして、昔、学校帰りに食べた懐かしい味と感激され、手間暇かけた甲斐があり満足しました。

今朝は9:00からマンションの草取りで、ベランダ下のぼうぼうに伸びた雑草、ドクダミと格闘しました。
頭から顔から、体中汗びっしょりで、45Lのゴミ袋に2つの雑草を刈り取りました。
シャワーを浴びると、急に映画に行こうと思いつき、息子と二人で「8日目の蝉」を観に行きました。

映画は冒頭、誘拐犯の判決場面からスタート。父親の愛人である誘拐犯と実の母親の証言シーンはショッキング。
激しい雨の降る中、愛人宅に入り込み、赤ん坊を見た瞬間、誘拐犯になってしまう永作博美。
誘拐した赤ん坊との逃避行と、成長した娘がバイトをしながら一人暮らしをするシーンが交互に映し出されます。
誘拐犯を中心とした話かと想像していたものの、娘・井上真央の現在が中心軸となって物語は展開します。

誘拐犯を本当の母親と思いこみ、温かい愛情を受け育った女の子は、誘拐犯の逮捕と同時に本来の家族のもとに戻りますが、そこからが彼女にとっては悲劇の始まりとも言えます。
後半はグングン引きこまれ、井上真央のラストシーンは本当に素晴らしかった。
最後真っ暗になった画面が一瞬止まり、主題歌が流れると、余韻で席を立つことができませんでした。

2011-06-04

「渡良瀬遊水地」 の桑の実摘み

桑の林

今日は昨日以上に気温が上がり、日差しが眩しい夏日です。
高校時代の友人に誘われ、念願の桑に実摘みにやって来ました。

東北線「野木駅」から歩くこと15分、道路の両脇に桑の木の茂る場所に到着しました。

あわてて桑の実を摘もうとするメンバーに、いくらでもあるから慌てない!慌てない!赤い実は熟れていないから黒い実だけ摘むようにとリーダーが念を押します。

桑の実

このところ寒い日がぶり返しているので、成熟状態はよくありません。
来週の週末あたりが最適かも知れないとのことでした。

この木は黒く熟れた実が沢山なっています。
陽のあたる側の木は大きな実が付いていますが、日当たりが悪い側の木は熟れていないものが多いようです。

でも今年は実が全体に小粒で、天候が影響している模様です。



桑の実摘み

桑の実摘みは、熟れた実をひとつひとつ、潰さないように摘んでいきます。
ゴムの手袋は必携です。

スーパーの袋やバケツを用意して、摘んでいきますが、大量に摘むには傘を逆さにして受けながら、枝を揺さぶると熟れた実がパラパラ落ちてきます。
でも虫や未熟な実も落ちてきますので、一つずつ手で摘むのが基本だそうです。

大量摘みをやっていると「慾かきおばさん」とリーダーに笑われてしまいました。

渡良瀬遊水地

足尾鉱山の鉱毒被害についての田中正造らの訴えに、時の政府は根源的な対策を行わないまま、足尾銅山からの鉱毒沈殿用として渡良瀬遊水地を作りました。

遊水地の回りの平地は、以前は谷中村の田畑のあったところで、強制廃村とされ北海道の代替え地を与えられた村人たちは、土地に思いを残しながら去って行きました。

左は展望台から撮影した遊水地ですが、このような平らで高台のないところで、津波などに襲われたら、どこに逃げればよいのか、見渡す限り続く地平線に怖くなってしまいました。

2011-06-03

薔薇 「クイーンズ・ロンドン・チャイルド」 と 「和音」

昨日とは打って変わり、真夏のような晴天となり気温が上がりました。
午後から、外壁工事でダメになった薔薇の苗木を補給するため「京成ばら園」に出掛けました。
遅咲きの薔薇は綺麗でしたが、咲き終わった薔薇が枯れて残っている姿は少々可哀そう。
またこのところの気温差が災いして、蕾のまま外側の花びらが枯れている様子はとても残念です。
何しろ庭園の作業員が6人しかいないので、剪定が間に合わないそうです。
傘を借りて日除け対策を施してから園庭を回りましたが、日差しの強いのにはまいりました。

    購入した薔薇の鉢は、可愛いピンクとホイップクリームのような色合いの薔薇です。
クイーンズロンドンチャイルド
和音

 1週間後にベランダで満開になった「クィーンロンドンチャイルド」と「和音」をご覧ください。                 

PS
那須のmisakoさんから、タラの芽、わらび、畑の野菜が送られてきました。
その中に、「那須を希望の砦にしようプロジェクト」の案内が入っていました。
プロジェクトの活動は
①放射線被爆を正しく理解するために勉強すること。
②放射線量の定点測定をできるだけ多くの地点で継続的に行うこと。
③放射能の影響を取り除くためにどうしたらよいか研究・対策を練ること。
そのために、放射線量測定機器購入のためのカンパのお願いがありました。

2011-06-02

J I N ~仁~


日曜日の夜9:00 TBSの「JIN~仁~」にハマっています。
一部を何回か見て面白い番組と感じていましたが、この度二部が始まるに当たり、一部の一挙上映を見て助走してから、毎週日曜日を楽しみにしています。

そんな時、たまたま原作が手に入ったので、読んでみようと思い立ち10巻まで購入。
現在全20巻と言いますから、頑張って購入してみようかと思います。

村上もとかの原作では、2000年の仁の生きていた時代の設定が少々異なるようですが、逸話は概ね同じように推移しています。
大沢たかおと綾瀬はるかのキャストは、イメージに合っているように思います。


PS
今週は木曜日にSAORI教室に参加して来ました。
その後、美容院に向かい、とんぼ帰りで帰ってきました。

2011-06-01

東日本大震災チャリティ ~小さな祈りのともしびコンサート~  2011.6.1


  小さな祈りの灯

海の底に 眠る 君へ
鎮魂の 子守唄 届けたい

大地に抱かれ 眠る あなたへ
安らぎの セレナータ 捧げたい

ひとつの 祈りの灯が どうぞ
天を行く 道を 照らしますように
命の形を 歌にして

哀しみの 底に沈む あなたに
懐かしい ふるさとの唄 届けたい

命の絆を つないだ あなたへ
心燃える 応援歌 贈りたい

ひとつの 祈りの 灯が どうぞ
遥かなる 道を 照らしますように
愛の形を 歌にして
命の形を歌にして

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tantanから予約券をプレゼントされた「小さな祈りの灯コンサート」を、ママ友のsayokoさんと共に聴きに行きました。
会場(王子・北とぴあ)では、トマトかきさん母娘をはじめ、なんと元の職場の仲間が10人ほど参加していました。

シャンソン歌手の水織ゆみさんが、東日本大震災を体験して作詞した「小さな祈りの灯」は、尺八とのコラボがマッチして心に深く染み込みました。
羽を広げたようなケープを身につけて歌う「鶴」は、シベリアに帰る鶴から兵士を思い起こし歌ったものです。

彼女は関西のコンサートで集まった義援金で、ドラ焼き360個と差し入れされたスィートポテト各360個を持って東松島市へ。
コンサート第2部では、8ヶ所の避難所と家々を回り、お菓子を配って歩いた時の映像も映し出され、「元気ください!かけらでいい」と手を握られたエピソードも紹介され、今自分は何ができるのかを考えさせられました。

会場「北とぴあ」の正面に、天を指差す長崎と同じ「平和祈念像」があったのにはびっくりしました。
北区の名誉区民だった作者・北村西望を記念して、この地に建てたとあります。
終了後、初対面のnishimuraさんとsayokoさんと3人で、東北の酒を呑み比べながら交流し、帰路につきました。