最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2017-07-31

「健次君のご苦労さん会」



「ネパール子ども基金(NCF)」のメンバーが息子の帰国を祝って「ご苦労さん会」を開いてくれました。5カ月間のネパールでの生活にいろいろ質問が集中し、彼の問題意識を受け止め、今後の支援方法についてじっくり話し合う場をまた持ちましょうという提案も出ました。
今年3月のツアーで一緒に行動はしませんでしたが、FさんやJUKUさんの家族が別ルートでネパールを楽しんで来た経験から、次回のツアーにもオプションを付けたり、参加者に合わせたコースを作ることを前提に、今までネパールを敬遠していた2人のメンバーが手を上げてくれました。うーん楽しみなツアーが実現しそうです。



2017-07-30

2017 平和のための埼玉の「戦争展」


今年も、”過去と向き合い 平和・友好の未来をさぐる”  埼玉の「戦争展」が浦和のコルソ7階ホールで7/29-7/31で開催されていました。今回はいつになく夏休みの宿題制作のために訪れている高校生の姿が目立ちました。また説明者も数多く配置されていて、パネルを読んでいると声をかけられ詳しい説明を受けました。
従軍慰安婦や関東大震災時の朝鮮人大虐殺の写真展示の隣には、対称的な朝鮮と日本の歴史的な繋がりや文化の伝道を説明したパネルもあり、「志木」、「白子」、「新倉」という地名が朝鮮のことばであることが記述されていました。憲法カフェと共催した1年前の教研集会での「和光市の歴史」の講演で知ってはいましたが、改めて身近に感じました。
昨年10月に関東大震災当時の朝鮮人の虐殺の模様をメモした貴重な手帳が民家で見つかったそうです。Eテレで放送された「関東大震災の悲劇は何故起きたのか」という番組がビデオコーナーで上映されていました。
原爆の写真展示では、高円寺で最近開催された女優達による朗読「夏の雲は忘れない」で紹介されていた米従軍カメラマンだったジョー・オダネルの作品「焼き場の少年」の写真も展示されていました。



2017-07-27

お気に入りの靴


以前、横浜のチャーミングセールで気に入って買った靴。履きつぶした頃、偶然ネットで見つけたのですが、価格が安いと靴底の作りも違い、サイズも3サイズしかありませんでした。でも形が履きやすく満足していたので購入。底がすり減ってきたので浦和のデパート内の修理店に靴底の張替えを発注しました。5000円近く払い履いて出かけると、つま先の部分がパックリ剥がれてしまいました。電話をかけても留守電にならず、FAXをせよとのアナウンスが流れるのみ。何度か掛け直してやっと繋がり事情を説明して修理品を返送すると、靴底の素材が接着しずらいものだったのでこげ茶の素材に変更させてほしいと言われ、修理代も返金されてきました。
同じデザインの靴を買うのは今回で2度目。なんかケチが付いてしまいましたが、秋口から履きましょう。なぜかさをり服にシックリくるので。


2017-07-22

あいりの誕生日プレゼント




今日は下の孫の誕生日です。先日会った時に本人曰く、「ミニバス用のスポーツバッグが欲しい!」と。ママに相談すると現在のリュックで十分なので、お道具入れの大きなバッグか筆入れがよいと写真を添付してくれました。見本のお姉ちゃんの大型バッグは私からのプレゼントと言われましたが、まったく記憶なし…。トホホ
早速、池袋の東武デパートの子どもフェアを覗きましたが大型バッグはなし。仕方なくキティちゃんの「水着バッグ」を購入。西武デパートで探してもなく、LOFTでサンシャイン60の「ディズニーストア」を紹介され、サンシャイン通りをまっしぐら。
DORYの筆入れはなかったものの、ディズニーアニメのキャラクターが全員集合で描かれた大型バッグが見つかりました。ここに肝心のプレゼントの写真をアップできないのが残念。
とんぼ返りで息子宅へ。お姉ちゃんのミニバスの練習試合で家族そろって留守の家にプレゼントを置いて帰ってきました。本日の歩数は14,641歩。


2017-07-16

大木さんの退職を祝う会


九州地連の大木さんの「退職を祝う会」が品川プリンスホテルのカフェで開かれました。
所沢物流で共に苦難を乗り越えたというあややが幹事となって呼び掛け、上京した彼を囲んで当日は8人のメンバーが集まりました。
彼は事業系での勤務の後、組合員活動部、共済本部と異動して九州地連で退職を迎えました。夫婦で駆けつけたメンバーも2組、あけみちゃんの持参した入協当時の懐かしいアルバムを回して盛り上がりました。私が足の手術をした時、娘さんを連れて我が家にお見舞いに来てくれた大木さんですが、その娘さんも結婚されたと写真を持参してくれました。お互いに元気でよき人生をすごしましょう。われらからのプレゼント、気に入ってもらえたでしょうか?




2017-07-15

SAORI東京・指導者養成講座


SAORI東京の「指導者養成講座」のお手伝いに行きました。
最初のお仕事は「ファミリーマート」の前での道案内でしたが、みなさんスマホを片手スイスイ行かれ、道に迷う参加者はいませんでした。東京のスタッフの頃は迷子の方を迎えに行ったりもしましたが、時代は便利になりました。
大宮でのさリコの大会以来、久々に代表と常務にお会いしました。ネパールの「シャクティサムハ」の壊れた織り機の写真を見せて相談しましたが、現地で直すのは無理だろうとの結論。しかし誰かを派遣するという手立てもなく、話は終わってしまいました。タイでの活動に詳しい方とも話しましたが、発展途上国に寄付した織り機の取り扱いが乱暴という認識で一致しました。やれやれ進展なし。


2017-07-14

息子が5カ月ぶりに帰国


3月1日「ネパール子ども基金(NCF)」のスタディツアーで一緒にネパールへ出向き、引き続き長期滞在していた息子が帰国しました。
行きは羽田からタイのバンコク経由でしたが、帰りはマレーシアのクアラルンプール経由で成田に帰ってきました。成田からだと朝早い時間帯でも和光市行のリムジンバスがあるそうで、ゆったり4人のみの乗客で11時頃和光市駅に到着しました。
駅までお出向かいして、久しぶりの日本食はお寿司をご馳走しようと思いましたが、近くの寿司店が閉店し出かけるのはしんどいと言うので、「銀のさら」に握り寿司とちらし寿司を発注し、彼は2人前を平らげました。
ネパールでは「ダルバート」という豆のスープ料理で、お米で満腹にする習慣のため、彼はすでに胃拡張ぎみ。その調子で日本の高カロリー食を食べ続ければ恐ろしい未来が待っているはずです。今度の土日は彼のお楽しみのホンダお祭りが待っています。


2017-07-12

STOP安倍政治 緊急シンポジウム  改憲を許さない市民集会


7/12なかのZEROホールで行われた緊急シンポに参加しました。主催は「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」。会場には900名を越す参加者が集まりました。

第Ⅰ部 講演「立憲主義と議会政治を守るための戦いを」山口次郎さん
    映し出されたレジメの項目は、まさに今の安倍政治の本質を言い表しています。
第Ⅱ部 パネルディスカッション「安倍流改憲とどう戦い抜くか」
    パネリスト:長谷部恭男さん、香山リカさん、佐藤学さん、進行 山口次郎さん

パネラーの発言に会場から同感の拍手とどよめきが起こり、舞台と客席が一体化した楽しいパネルディスカッションでした。香山リカさんの率直な意見に共鳴したり、安倍首相の憲法九条の1項、2項を残し3項に自衛隊を明記するという改憲案に対する長谷部恭男さんの再三発言される見解は、一途な憲法学者を彷彿させました。中野晃一さんの代役で登場した佐藤学さんは、市民連合発足前を振り返り、”野党は共闘”を生み出した秘話をご披露して会場を沸かせました。
会場で見かけた「生協だれでも9条ネットワーク」のメンバーに追いつけず、お気に入りとなった更科そば屋でひとり夕食を食べて帰りました。




2017-07-11

和光市内探索 古民家・長照寺


ふるさと民家園は、東京外かく環状線の建設時に解体された古民家の部材一式を移築復元したものです。この民家が作られたのは300年前と推定されていて、県内最古の部類に入る建物だそうです。
今日は和光市駅北口の区画整理事業の進捗状況の説明を受けた後、暑い中を歩いて民家園まで辿り着きました。古民家では担当者の方からレクチャーを受け、長照寺で天然記念物の大銀杏を見学して、冷たい生ビールで喉を潤し昼食を頂きました。





2017-07-10

シャクティ・サムハのリナさん


3月のスタディツアーでシャクティ・サムハを訪問した時、作業所のリナさんには残念ながらお会いすることが出来ませんでした。子育て真っ最中の彼女は帰宅時間が早かったようで、坊ちゃんも10カ月ぐらいになっているのではないでしょうか。
彼女は5年前、さをりリーダース・コミティのボランティア大学の留学生として、1カ月間大阪のさをり本部でさをり織を習得しました。シャクティ・サムハは人身売買の被害者の当事者組織で、被害者の心のケアとしてさをり織を取り入れています。
息子は帰国直前に元Awepの大森さんの依頼を受け作業所のリナさんを訪ねました。
昨年私が訪問した時も壊れた織り機があったのですが、今回はさらに織り機が壊れて使えない状態のものがいくつもあったそうです。これでは使える織り機がなくなってしまうのではないのか心配です。壊れたものを修理できないかというのが大森さんの相談ごとでした。









2017-07-08

女優達による朗読「夏の雲は忘れない」


「核兵器禁止条約」が国連で採択された歴史的な日でした。十数年ぶりに原爆の体験を綴った詩の朗読会に参加しました。
昔、木村光一の演出による朗読劇『この子たちの夏』を幾度か観に行った記憶があります。主催していた「地人会」が解散した時、出演していた女優さん達がこの活動を引き継ぎ、『夏の雲は忘れない』として、全国各地で朗読会を開催してきました。
職場の朗読サークルに入っていた私は、ヒロシマ・ナガサキ「虹のひろば」に代表派遣される労組の仲間たちの壮行会で原爆の詩を読みました。
今回、朗読された「生ましめんかな」も感極まりながら朗読した一篇です。
原爆詩人・栗原貞子の作品。
原子爆弾の負傷者たちで埋まる地下室で若い女が産気づき、闇の中から
「私が産婆です。私が生ませましょう」と言う重傷者の声がする。新しい生命は生まれ、血まみれで産婆は死ぬ。
「生ましめんかな、生ましめんかな、己が命捨つとも」
被災の体験を綴った、母親、子ども、先生、いずれの詩も、なぜこの人たちがこのような目に合わなくてはならなかったのか、答は見つからない。
今年の朗読会は十周年記念ということで、米従軍カメラマンだったジョー・オダネルの写真がスクリーンの中で紹介された。直立不動の姿勢で、死んだ幼子を背負って荼毘にふす順番を待つ少年の姿は、「原爆写真展」などでも忘れられない写真の一つで、私はポスターを持っています。
原爆投下直後のヒロシマ、ナガサキの航空写真は、今、新聞やTVで見るモスルの比ではない、どこまで行っても瓦礫しかない死の町です。
ジョーの写真集「トランクの中の日本」を購入しました。かつてホワイトハウス付きカメラマンだった彼が、体調を崩し退職したのは、死の街を撮影して歩いたことによる原爆症のようなのです。在郷軍人やマスコミの論調で中止させられた「スミソニアン博物館」での幻の展示をこの写真集で見ることが出来ます。



2017-07-01

工業用ミシンをゲット


ミシンが動かなくなり、さをりの作品が縫えないとあわてて修理したばかりだったのですが、その修理店を紹介してくれた協同研のメンバーが、ミシンを配置していた下請けの方が施設に入居するので、そのミシンを回収して譲ってくれるというのです。夫さん兄弟が2人がかりで重い工業用ミシンを我が家に運び込んでくれました。感謝!
その後、和光へ回り母の書道の本や辞典を持ち帰ってもらいました。中年になって夫婦で同じ趣味を持とうと始めた書道で、以前は筆や紙や硯をお分けしたのですが、かな文字も上達してきたので書籍も大変喜んでいただけました。
ところで工業用ミシンは直線縫いだけの単機能で、何せ縫う速度が速い!工場などで時間を競う作業用のため、ペダルを優しく踏んでゆっくり縫えるようになるのが課題。また糸通しがさらに複雑で、マシンの下のプールに大量の油を満たしていて、マシン全体に油を浸透させて動かすという作りになっています。宝の持ち腐れにならぬように、頑張って技術をマスターしなければなりません。