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品川正治さんの講演 |
女性「九条の会」が発足して7周年です。
「拡げよう九条!止めよう戦争!」と題して、原宿のウイメンズプラザ・ホールで行われたイベントに参加しました。
午前中一杯、さリコ応募作品のタグを付けたり、アイロンをかけたりで、開演に遅れてしまいました。
会場が一杯なので2階席へ上がる時に、前列席に座る大原穣子先生を見かけましたが、呼びかけ人として先生の挨拶は聞き損ねてしまいました。
プログラムに以下の呼びかけ人からのメッセージが掲載されていました。
池田香代子(翻訳家)、内海愛子(恵泉女学園大学名誉教授)、江尻美穂子(国連NGO国内婦人委員会委員長)、大原穣子(方言指導)、幼い美江子(脚本家)、北沢洋子(国際問題評論家)、小林カツ代(料理研究家)、坂本福子(弁護士)、瀬戸内寂聴(作家)、鶴見和子(故人・上智大学名誉教授)、中島通子(故人・弁護士)、羽田澄子(記録映画作家)、本尾良(市民運動家)、湯川れい子(音楽評論家・作詞家)、吉武輝子(評論家)、渡辺えり(政策・演出・女優)
講師は日本興亜損害保険社長・会長、経済同友会副代表などを歴任された品川正治さん。
「九条の会」でどのようなお話をされるのか?半信半疑でしたが、会場は水を打ったように静まり返り、
ハンカチでそっと涙を押さえる男性の姿を見かけました。
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<講演>
学徒出陣で入隊した初日、自分達新兵は現役の兵隊たちと向かい合わせに整列させられ、隊長は、
「これから死にに行く男たちの顔をよく覚えておけ、いじめたり暴力は絶対に振うな!」と講話した。
何の訓練もなく6日後には、中国の前線に連れて行かれた。
タコ壺のような塹壕の中で、「品川!品川!」と連呼しながら死んでいった友人の声に飛び出そうとすると、同じ壕の戦友が無言で馬乗りになって止めた。
友人の死に何も出来なかったことがトラウマとなって、その後、戦争の話は何も出来ない時代が続く。
中国には100万人の日本兵が上陸したが、大部分は占領統治をしている兵隊で、前線で真の戦争を体験したのは1割ではないか。戦争を語ることは出来ないのは、正に体験した人達だ。
終戦後、死んだ友人の母親が探し当てて下宿を訪ねて来た時、何も話すことが出来ず、駅へ向かう寂しげな後ろ姿を見送った記憶だけが今も鮮明に残っている。
自分も生死の境をさまよい、未だに迫撃砲の破片が足に残っている。それを知った孫娘は、「何で教えてくれなかったのおじいちゃん?教えてくれたらもっと優しく出来たのに!」と言った。
息子を若くして亡くし、幼い孫娘を育てた。孫娘は最後に父親と行った沖縄を忘れられず、今でも暇が出来ると沖縄へ向かう。
「終戦」ではなく、「敗戦」だという人がいるが、自分は二度と戦争はしない、戦争は終わりだという気持ちを込めて「終戦」という言葉を使っている。
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<平和ゼミナールの高校生とのトーク>
サンフランシスコ講和条約と安保条約は同時に締結されて自衛隊が出来た。
それ以後、自衛隊は1発も発砲していないし、されてもいない。
軍事同盟と憲法とどちらが大切か!
若者はノーベル賞をもらうより、日本国憲法9条を守ってほしい。
3.11以降、自衛隊の活躍もあり、9条が忘れ去られている。
今年は9条が問題となるだろう。「9条の会」の小森陽一東大教授(事務局長)は友人の一人息子だ。
政官財の勢力が結集して、「9条の会」に対抗してくる気配。
原爆・原発・戦争を人間の目でみることが大切。
人間の目とは女性の目、子どもを産み育てる母の目
武器三原則と言われるが、基地ほど大きな武器はない。
沖縄の人々は立ち上がっている。
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<音楽>
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ピアノ・崔善愛さん チェロ・三宅進さん |
後半はチェ・ソンエさんと三宅進さん夫妻の演奏でした。
在日のチェ・ソンエさんは、「君が代」裁判で公務員でない自分が原告になったら勝てるだろうかと弁護士に相談したところ、「あなたは国民ではないので原告にはなれない」と言われたショックからまだ立ち直れないでいると話します。
あの大戦で日本がアジアの国を占領しなければ、隣国である自分たちとの間はもっと変わっていたろう。
チェロもピアノも木製の楽器は手入れを怠らなければ、何十年もさらによい音色を出せるもの。三宅さんのチェロは170年前の楽器です。
福島の学校へピアノを届ける運動を行っているピアノ調律師の方が、原爆ピアノを持って被災地を訪れようとしたら、校長先生から原爆ピアノを持ってきてもの放射能については一切触れないでほしい??と電話があったそうです。