最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2014-06-28

「 いのちと平和と子どもたち 」 川口ぞうれっしゃ2014

埼玉会館大ホールは満杯の観客。第1部は「 TICOBOのガラクタ音楽会 」。
奇妙な出で立ちとガラクタが奏でる音楽に子ども達は魅了されます。
第2部はいよいよ川口ぞう列車合唱団の「ぞうれっしゃがやってきた」
このお話は昭和の始めころから、第2次世界大戦を挟んだ1949年までの間に本当にあった出来事です。
サーカスから名古屋の東山動物園にやってきた4頭の象はたちまち人気者になりました。
でも戦争がはじまり、動物園では悲しいことが次々に起こります。
やっと戦争が終わりましたが、東京の上野動物園には動物が全然いなくなっていました。
東京の子ども議会の代表は沢山の署名を持って、「象を貸してください!」と名古屋の東山動物園の園長さんにお願いに行きます。
そして、象を乗せた列車が東京へ走り出します。

合唱団の子ども達は子どものパートを受け持ち、大きな声で元気に歌います。
お母さんたちの中には小さな幼子を抱きながら歌っている凄いママには驚きました。
元職場の上司の義理妹さんにあたる川口ぞうれっしゃ合唱団の代表・荒木紀理子さんからお手紙をいただき、この日、息子達や孫、地域の友人たち10人で浦和まで出向きました。
新聞に案内された効果で、券は完売の盛況でした。

2014-06-17

茨木のり子展  世田谷文学館 


あやや宅でのお泊り会、夜遅くまで飲み明かした翌朝、世田谷文学館の茨木のり子展へ。少々きつい。


自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

中学校国語の教科書にも掲載されている「 わたしが一番きれいだったとき 」
朝日新聞・天声人語で紹介された「 倚りかからず 」
そして、「 自分の感受性くらい 」
ポエムの朗読の題材にされてきた詩ばかり。

最愛の夫を亡くして、50歳で韓国語を学び、14年後には韓国現代詩の翻訳刊行を果たしたというあっぱれを知った。




もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれくらい
じぶんの耳目
じぶんの二本の足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ