最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

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2012-11-27

高田松原の一本松

ちゃま2と陸禅高田を訪問した諏訪さんからいただいた俳句と写真を紹介します。


在りし日の一本松





















お土産の被災松で作ったストラップ

2012-11-26

大船渡市三陸町吉浜の根白漁港

今月初め、ちゃま2が訪問した大船渡市のTさんから送られてきた3.11当日の根白漁港の写真です。

2011.3.11 第一波は、手前のガードレールの中ほどまで登った。
左の小屋は波にはじかれて傾き、繋がれていた漁船は巻き込まれて転覆している。
下の作業場の青屋根は奈美にかくれている。
津波が引いて、防波堤の基礎まで海底が見える。
渦巻いて、漁船が固まって転がっている。防波堤も破壊された。
養殖用の浮玉のついたロ^プも絡まっている。次の波が迫ってきた。
2010年12月頃の根白漁港。長く突き出した防波堤の先に赤灯台があり、
港内には、サケ、マスなどの回遊魚をとる定期網漁やイカ釣りの中型漁船。
またワカメやホタテの養殖に使う船が、下の作業場の青屋根のかげに繋がれている。
左は塩蔵ワカメなどの作業小屋。

2012-11-07

さをりマフラーは陸前高田へ

松島の遊覧船の船上からちゃま2が送ってくれた写真です。三人ともなかなか似合っていますね。
今回の旅行は、俳句を通じて横浜と陸前高田の「新日本婦人の会」メンバーが知り合ったのがきっかけで、支援企画の下打合せの旅となったそうです。
昨年末、私の居住地域の「新日本婦人の会」でもネックウオーマーをメンバーが毛糸で編み、約80枚も現地に贈っています。
私はさをりのネックウオーマーを2枚作り参加しました。
さて、ちゃま2の地域の支援企画はどのようなものになるのでしょうか!みやげ話が楽しみです。

妹のTさん(陸前高田)と右はお姉さん(一関)

私たちの贈ったネックウォーマー

同行の二人とTさん(大船渡)

2012-08-15

友人からの映像

ゆり上の塩枯れの田んぼ
亘理町の地盤沈下した学校
この春、退職した友人から被災地の写真が届けられました。
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先日、身体障がい者や自立支援の認定を受けている子どもたちが主に働いている宮城「はらからの会」のお祭りへ行き一緒に歌ってきたよ(^-^)/
帰途、損害のひどかった閖上(ゆりあげ)や亘理町によったけど、閖上はコンクリの土台を残すのみ。
びゅうびゅうとなる風の下、白いコンクリがあたかも骨のような印象を与えた。
この地域は一切のインフラが回復されず、塩が入って青枯れした田圃とところによっては田圃から、白く塩が吹いている。あとは、透かし模様の様な一軒家の片割れ、行き場のないがれきの集積。
報道で有名になった亘理町の学校は地盤沈下が著しく廃校になりそうだね。
いずれも、復旧未だしの感じ。
きつかったけど、郡山の仮設住宅も訪れた。
オリンピックの最中?というのに物音がしない。玄関の鉢植えだけが住民の存在を証明している…。
世話人の方にお聞きすると、三つの自治体から、600世帯が入居しており、どうしても遠慮がちになってしまうという。
お話頂いた一人は原発関係で働いていた方で、仮設住宅は狭く風呂にもまともに入れないので、近所の銭湯へ行くのです、と済まなそうに語るのであった。
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PS
午後3時、ママ友が新潟に帰る途中下車し、駅前のドトールで会いました。
秋に行われる結婚式に着用する草履バックセットを借りに来たのです。
もう1人のママ友から紹介された卸業の店で何年か前に買ったままで、使うチャンスがなかったのでどんな物だったか、すっかり忘れていました。
そのはず、買い物がウィークデーだったので、品定めもママ友任せで写メールで確認しただけで買ってきてもらったものでした。
そのため買った本人より、買って来てくれた友人の方がよく覚えていました。
別れてから、アーケードの中の飲み屋さんで夕食を兼ねて一杯やっていると、荷物の中に日傘が入っていたと電話がありました。
今度上京する折に持ち帰ってくれるとのこと。まだまだ残暑が続きそうなので日傘は出需品です。

2012-03-29

「悲しみを乗りこえて共に歩もう」 西村一郎 著






ずがひいた この町に
さしく包む光が見えた。
せいとなった人の無念とともに、
活をはじめた人びとの
同の力、それが光だった。


著者・西村さんからのメールを紹介します。
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おはようございます。u-koさんも元気そうで何よりです。⇒骨折したというメールを全然読んでいない?
先週は6日ほど被災地宮古に入り、借りた自転車などで聞き取りをしていました。
何と1晩で10センチものドカ雪があって驚いたものです。
2年ぶりにはじまったワカメの収穫体験をしたいと思って合羽などを持っていったのですが、午前2時から沖で小舟による作業は寒いし厳しく、都会の軟弱な素人には無理と断られてしまいました。
何とかして夏には再チャレンジする予定。

 『悲しみを乗りこえて共に歩もう』は、やっとのことで3・11に間に合わせることができ、とりあえずホッとしていますが、前の11月の『協同っていいかも』から時間がない中での出版で無理があり、名前でミスをするなど冷や汗ものです。
もっともおかげさまですでに3刷りが決まり、復興支援の輪の拡がりにいくらか貢献できそうです。
PPNや協同研などでも紹介してもらえると幸いです。
関連してこの本を使った研究例会「震災と食糧・食・健康を考える」も添付しますのでご覧ください。
協同研の会合と日程が重なってしまいましたが、一人でも多くの方と議論したいと思っています。

 1月に訪ねた北京では、大卒の月給3万円ほどの市内で1坪500万円もの場所があってビックリ。バブルがいずれ弾けて日本にも大きな影響が出るのはそう遠くはないでしょう。2月は「被爆ハマユウ」をもって台湾を訪ね、台北近くのある公園で、品のある女性の市長と一緒に植えてきました。
u-koさんもお元気で
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2011-12-17

英国王のスピーチ

今日は今年一番の冷え込みとか、武蔵浦和駅のホームから富士山がきれいに見えました。
2011年アカデミー賞の作品賞・主演男優賞・脚本賞・監督賞の4冠に輝く「英国王のスピーチ」を、彩の国シネマスタジオで朝一番で観てきました。
こちらは見損ねていた映画鑑賞には持ってこいの劇場であると知り、11枚綴り10,000円の回数券を購入してしまいました。
1月には早速、もうどこでも上映していない原田芳雄の遺作「大鹿村騒動記」を観る予定です。


午後からの班会で、被災地支援の第2弾「ネックウォーマー」を集約すると、手持ちの毛糸で編んで届けてくれたカラフルな作品も沢山集まりました。
前回のミニマフラーと合せて、被災地へ私たちの想いを伝えてくれることでしょう。

2011-12-15

SAORI織 ネックウォーマー

首回りが大き過ぎる
昨日は午前中から出掛ける寸前まで、被災地に送るネックウォーマーを作っていました。

編み物と違って織物は伸縮性がないので、テキストと同じサイズでは上手くいきません。
玉虫色の光沢のある糸を使用した部分を表に出すように折り返してみました。如何でしょうか?

この布は、今年タンタンとトマトさんに贈ったベストの余り布です。
今まで完成した作品でも、余った布がかなりありますので、小物を作れたら楽しいナ!
ゴムを入れ完成

ママ友の「編み物教室」が終わるのに合わせて、お宅を訪問し、ゴムを入れて首回りに合わせるお知恵を拝借。

明後日の班会に持参し、みなさんが編んだ毛糸のマフラー、ネックウォーマーと一緒に被災地に送ってもらいます。
暖かいグッズと共に、私たちの想いも届きますように!!

2011-12-05

暖かなマフラーで被災地支援

昨年、maeさんとichiroさんにプレゼントしたマフラーの残り生地でミニマフラーをつくりました。

手芸小組でおこなっている「被災地に暖かなマフラーと心を贈ろう」企画で、メンバーが毛糸で編んでいるのを知り、私はSAORI織で参加することにしたのです。

午後から駅傍の地域センターに15名近く集まり、1時~5時まで寄付された毛糸でマフラーとケープつくりに励みました。
私は人間ドックが終わってから、終了間際にミニマフラーを持って到着して渡すことができました。

風邪がひどく、健康診断と一緒に診察してもらい薬をいろいろもらってきました。
うがいをしたり、トローチを舐めたりしても喉の痛みが全然治らずめげています。



2011-11-26

手編みマフラーをつくって、被災地に送ろう


本日のつくし班の班会で、手編みマフラーを被災地に送る企画の
紹介がありました。
ミニマフラーやネックウォーマーをつくり、東北の被災地へ届ける
ために、手芸小組が「編み物をする日」を案内しています。

ガーター編みと1目ゴム編みのミニマフラー、ガーター編みと縁編みのネックウォーマーをつくります。
材料の毛糸は寄付されているので、手編み針を持って集合だそうです。

12月5日の「編み物をする日」、私は人間ドックのため、編み物でなく、さをり織でマフラーを贈ることにしました。

2011-10-21

那須の地で放射能測定ボランティア

那須の「きじのさとひろば」の稲穂

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養護学校の教師だった友人が、定年退職を機に昨年から那須町に移り住みました。
那須の地で障害者の集える施設を運営することが、彼女のライフワークでした。
別棟を建て、田舎から母親を呼び寄せて、セカンドライフがスタートしたところで、大震災に見舞われ、
震度6強の揺れで家屋は一部損壊しました。

当時、国道は福島ナンバーの車の渋滞で動きがとれなかったそうです。
福島原発事故から避難してきた人達の車でした。
那須町は東電福島第一原発から百キロメートル離れていますが、放射能測定値が高いと報道されて
おり、「那須を希望の砦にしよう!」という住民プロジェクトが立ち上がり、彼女も放射能測定ボランティア
に参加しています。私も声を掛けられ、計測機器購入の寄付をしました。

プロジェクトで購入している機器はベラルーシ製で、那須町で購入しているものと同機種だそうです。
①高い測定値が出ると自治体に連絡し、自治体を通じて報道する。
②大量に除草した草木を自治体で焼却すると焼却炉に放射性物質が溜まり、その地域が汚染されるで、草木は各自で燃やし土中深く埋める。
住民と自治体の協力し合う関係が育まれつつあるように思えます。

今月、彼女は日本ユーラシア協会の主催する「国際交流基金助成プログラム」に参加してベラルーシを
訪れました。
旧ソ連邦チェルノブイリの近くである、ベラルーシのミンスクには、「長崎の鐘」があるそうです。
「被爆地である長崎が、世界で最初にチェルノブイリ支援をしたことを初めて知りました」と、絵ハガキに
書き送ってくれました。

2011-10-13

那須 「きじのさとひろば」

震災後はじめて、那須の友人 I さんの「きじのさとひろば」を訪問しました。
手前の平屋建が、昨年新築した母上の家屋です。
その奥の2階建の家屋が「きじのさとひろば」。
右手の木で隠れている平屋部分に、いつも泊まらせてもらっています。

今回の震災では、2階建部分と渡り廊下で繋がっている建て増し部分の間に亀裂が入りました。
2つの物置を作り付けて補強したり、いろいろ修繕に手間取ったようです。


友人は養護学校の教師をしながら、この地で障害者の集える施設運営を目指していました。
定年退職して、昨年から移り住み「きじのさとひろば」のNPO化を計画中。
そんな折に大震災に見舞われ、近所の別荘地にも全壊した家屋が点在しています。

少し歩いた場所に、「海」という素敵な喫茶店と木工品の工房があります。
奥さんが喫茶店、ご主人が木工品の制作を行っています。
震災当日の店は大型冷蔵庫と食器棚が倒れ、手のつけられない状態だったそうです。
サンルームとなっているアトリエは、現在まで修復ができていません。

お店を再開するのを一度は諦めかけたそうですが、食器を譲ってくれた方々の援助や、 I さんの呼びかけで買い支えたSAORI東京の支援などもあり再出発となりました。

2011-10-11

今、日本の食糧と農業を考える 原発事故とTPP-

「生活文化・地域協同研究会」の10月例会に参加しました。
今回のいいだしっぺ会員は農水省職員のNさん。
官庁データを駆使した貴重な資料が提供されました。

3つの大震災の農林水産関連の被害額を比較した表は、
東日本大震災が如何に大きな被害をもたらしたかを
物語っています。

東日本大震災      被害22,839億円
                                    死者15,832人・行方不明3,983人 
             
新潟県中越地震     被害1,330億円
                                    死者68人 
                                 
阪神・淡路大震災   被害900億円
                                                                    死者6,434人・行方不明3人

「放射性物質汚染の恐れのある農畜産物への消費者評価」(氏家清和・筑波大大学院助教授)

原発事故以降の国産品への消費者志向は時間が経過するにつれ、徐々に低下。
3月:80.6% ⇒ 6月:78.8% ⇒ 8月:71.5%


特に若い層ほど評価は低い傾向。
20代:61.0%、30代:62.6%、40代:63.5%
50代:73.6%、60代:85.7%



出典:農林水産省「食糧需給表」

輸出国
オーストラリア173%、カナダ168%
アメリカ120%強、フランス110%

輸入国
ドイツ80%、イギリス70%弱、スイス50%強
韓国50%弱、日本40% 

2011-10-10

届いた新米お試しセット

宮城県・栗駒産の「ひとめぼれ」と「ササニシキ」の新米お試し
セットが伯母から届きました。
宮城県(有)くりこま高原ファームの農薬・化学肥料節減米です。

農場長のひとりごと  「米家族かわら版」より
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収穫の秋、今年の稲刈りは、いろいろな思いが交差してきた中で、みんなでやっと辿り着いたという感じです。
東北大震災による被災地(沿岸部)では、大津波によって田んぼの中はガレキが散乱しており、お米を作れない状況にあります。
それなら内陸部の私たちが自分達の休耕田に稲を植えて、「沿岸部のコメ不足を応援しよう」ということで、今年は2ヘクタールほどの休耕田を田んぼに戻して、稲の作付けを増やしました。
そして、放射能の影響を心配しながら田植えを行い、無事を祈りながら育ててきたすべての田んぼでは、今、まさに黄金色の稲穂が一斉にたなびいている、栗駒の光景です。万感の思いです。
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今日は一日、PCに向かい、新しいブログにチャレンジしました。


2011-09-10

仙台のボランティア活動


パートナーが仙台のボランティアから、昨日帰ってきました。
持ち帰った「仙台東ボラセンニュース」をご紹介します。

今回は埼玉からの3つの部隊が現地入りし、①側溝の泥さらい、
②花木農家の植木鉢洗い、③草刈り、を行いました。
彼の分担は、草刈り部隊だったそうです。

9月7日から9月9日までの2泊3日の支援だったので、実質2日間、
依頼主の庭の草刈りを黙々とやってきました。
暑い中、ご苦労様でした!

今日はさいたま県では光化学注意報が出ています。
工房に行くのは少し時間をおいて様子を見ながら出発します。






PS
懐かしい総務の住宅担当グループから、私の「定年を祝う会」を開催したいと言うメールが届きました。
3月の予定が震災の影響で半年遅れのご案内です。

2011-07-19

別所沼公園の修理完了


大型の台風6号の影響で雨が降ったり止んだりの関東地方ですが、ハローワークのセミナーは休むことができません。
基本手当の認定をもらうために、タクシーを利用して朝霞産業文化センターに出かけました。

その帰りに、先週行った血液検査の結果を聞きに医院へ向かうバスの途中で、別所沼公園の前を通りました。
3.11以来、地盤が崩れ黄色のテープが木々の外回りを囲っていたのですが、やっと工事が終了し白いフェンスの内側は徒歩が解禁されてました。

2011-07-04

3.11その日わたしは、そして今思うこと

「協同研会報」7月号に掲載された、私の宿題原稿を紹介します。

定年直前の311日。この日は私達定年退職者を送り出す、労組女性部「サークル合同卒業を祝う会」が予定され、翌日からは九州から到着する仲間を加え、箱根への卒業旅行を計画していた。

東日本大震災が襲った時、私は和光市の築30年の自宅マンションで、本日の出し物である「SAORI織のファッションショー」の衣装を海外旅行用ケースに詰め込み、出かける寸前だった。
老朽化した建物だが、昨年の大規模修繕で外壁工事と耐震調査で指摘されたピロティ部分の補強工事を終了していたのが功を奏したのか、室内、建物共に被害はなかった。

家族の安否が気になる。孫が幼稚園から帰る時刻なので、嫁に確認メールをしても返信がない。
430 災害用伝言版
「無事です。みんな家にいるよ」嫁のメッセージ。メールはだめでも伝言版は有効。
530
旅行に行く九州の友人から福岡空港は搭乗受付ストップ・電話回線混乱のメール到着。メールも携帯も通じず、自宅電話同士で連絡がとれ旅行中止を確認する。ところがあくる日は逆に携帯が通じた。
2040 
職員向けの安否確認一斉通報サービスが6時間遅れで到着。被災地だったら機能するのか?
息子達は徒歩や会社の車で深夜帰宅。長男は会社から自宅にFAXsi
たそうだが、この方法は有効だ。
005
「新宿駅に出ても人が一杯で駅に入れません」とメールを寄越した職場の友人は、駅員の誘導がよかったのか割とスムーズに電車に乗れ、何とか帰宅できたとの連絡。

年休消化中の私は、その後、余震と計画停電に奔走され、揺れていなくとも地震のような錯覚に落ち入る落ち着かない日々を過ごした。被災地生協への支援活動の募集があった時、参加したいと職場に申し出たが、すでに男性職員を中心にローテーション済みとのことで保留。
今、私に何ができるのかと自問。25年間続けてきたさいたまコープの積立増資を思い出した。期中の特別減資申請を出し30万円が返金される。それを義援金として直ちに振り込んだ。

 所属する自主活動PPNのメンバーでIT会社を運営している仲間は、震災直後から関連情報を希望者に一斉配信を始めNO.201まで継続。計画停電エリア情報を含め、発信された情報は大変助かった。
私は現地支援に向かった仲間達からの映像とメッセージをPPNブログで随時紹介した。これを見たネパールの仲間からも、現地の「日本を支援する活動」の紹介が寄せられる。

ちょうど6年前(2005.6.307.7)、私はスマトラ沖地震の津波に被災したスリランカの海岸線にある学校に、学用品を届ける「顔施ツァー」に参加していた。生協の仲間から募金を集め、鉛筆2000本、ノート16000冊を1350人の被災した子供たちに手渡してきた。
そのスリランカの海岸線とテレビに写る東北の海岸線は同様に見える。異なるのはいつ終息するのか展望のない福島原発事故だ。私たちは子孫に大きな負の遺産を残してしまった。私たちはこれから、どうしたらよいのだろう?

表紙のコラムでも書いたが、村上春樹のカタルーニャ国際賞授賞式でのスピーチを紹介したい。
「我々は技術力を結集して、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が『原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ』とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据え付けるべきだったのです。それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。」
  その通り、今からでも「原子力発電から撤退しよう」の声を私は勇気を持って発信していきたい。

2011-06-01

東日本大震災チャリティ ~小さな祈りのともしびコンサート~  2011.6.1


  小さな祈りの灯

海の底に 眠る 君へ
鎮魂の 子守唄 届けたい

大地に抱かれ 眠る あなたへ
安らぎの セレナータ 捧げたい

ひとつの 祈りの灯が どうぞ
天を行く 道を 照らしますように
命の形を 歌にして

哀しみの 底に沈む あなたに
懐かしい ふるさとの唄 届けたい

命の絆を つないだ あなたへ
心燃える 応援歌 贈りたい

ひとつの 祈りの 灯が どうぞ
遥かなる 道を 照らしますように
愛の形を 歌にして
命の形を歌にして

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tantanから予約券をプレゼントされた「小さな祈りの灯コンサート」を、ママ友のsayokoさんと共に聴きに行きました。
会場(王子・北とぴあ)では、トマトかきさん母娘をはじめ、なんと元の職場の仲間が10人ほど参加していました。

シャンソン歌手の水織ゆみさんが、東日本大震災を体験して作詞した「小さな祈りの灯」は、尺八とのコラボがマッチして心に深く染み込みました。
羽を広げたようなケープを身につけて歌う「鶴」は、シベリアに帰る鶴から兵士を思い起こし歌ったものです。

彼女は関西のコンサートで集まった義援金で、ドラ焼き360個と差し入れされたスィートポテト各360個を持って東松島市へ。
コンサート第2部では、8ヶ所の避難所と家々を回り、お菓子を配って歩いた時の映像も映し出され、「元気ください!かけらでいい」と手を握られたエピソードも紹介され、今自分は何ができるのかを考えさせられました。

会場「北とぴあ」の正面に、天を指差す長崎と同じ「平和祈念像」があったのにはびっくりしました。
北区の名誉区民だった作者・北村西望を記念して、この地に建てたとあります。
終了後、初対面のnishimuraさんとsayokoさんと3人で、東北の酒を呑み比べながら交流し、帰路につきました。

2011-05-26

「JUKUさんのネパール報告会と大震災を考える」開催


この日は朝からてんてこ舞いの忙しさでした。

自宅のプリンターの不具合で、報告会のレジメのカラー印刷に時間がかかり、やっと35枚をプリントアウト。

午後の別件の会議に、あわや遅刻かの綱渡り。

会議終了後、渋谷に駆けつけ、5時にトマトかきさんと合流。




①u-koとトマトさんは各々女性部の会計担当を訪ね、グループ活動費の領収書清算。
②11階からプロジェクターを借出したものの、前の会議が延長しているため急遽会場を隣の小3会議室に変更。
③5時半、会場を空に出来ないのでトマトかきさん1人でサンドイッチを取りに走る。
④仕事を終えたtantanさんが、カタログから送付されていた乾物・菓子・資料を運び込んでくれる。
⑤会場設営、お菓子と資料配布を開始したところにJUKU夫妻登場。
⑥5時にエレベーターホールで遭遇し、4階へ行くと言っていた飲料担当のKさんは現れず。
⑦マリドラさん6時近くに登場しKさんの携帯に連絡するも不通、買出しは1人では無理と嘆く。
⑧話を聞いたJUKU夫人が、飲料買出しの助っ人を引きうけてくれて急遽コンビニへ。
⑨報告者はPCとプロジェクターの事前テスト依頼をしていたので、五月雨式に現れる。
⑩「震災対策室で5時からKさんと待ってました」とちゃま2から電話が6時に入る。
⑪現れたKさんは二人を追いかけてコンビニへ走る。
⑫ちゃま2は「震災対策室じゃなかったの?報告会会場と書いてあったよ」とぼやく。
⑫マリドラさんは買出しした飲料は足りなさそう、予算もないしと悩むところへ、西桜軍団3人がお酒の差し入れ!
⑬大久保からayayaとふうりんさんが登場し、里子への手紙の最終集約。
⑭「里子の手紙は封筒に入れて、里子の名前を書いて!」封筒を持参し名前を書くayaya
⑮こくちーずのセミナー案内情報から検索して、まったくの外部の方が1名参加。対応するu-ko
⑯3月11日の大震災で流れた、SAORIのベストとマフラーを今年の卒業生にやっと手渡すu-ko

<私のつぶやき>
準備協力の要請メールに添付した資料には、「会場:4階小2会議室」と明記し、準備協力要請への返信がないので、さらに携帯へ「自宅PCへ送付した要請資料を見て協力してほしい」と再メール、ホームページには「日程も場所も変更しました」と赤字で表示したのですが…。これ以上、どうしたらよかったのか教えてほしい気持ちです。

プラザ開催がベターなのはもちろんわかっていても、プラザにはtantanしか準備を手伝ってくれる人がいないので、現役組は当日準備を心配して新宿での開催を考えていたのです。
当日の準備は卒業したメンバーでやるから、プラザで開催しましょ!と逆提案してくれるくらいの主体性がほしかったです。新生PPNには、オブザーバーもリタイアもないのですから。

企画、「こみゅけっぽ」申請や会計、広報、人数集約、支援金と手紙の集約は「ネパールの子ども達を支援する会」現役組がやっています。
今日の会に集まったメンバーの輪を、これからも大事にしたいと思う一人一人が、PPNにどう関わっていくのか、もう一度考えてほしいと思います。

そんなこんなで心底疲れました。
家に帰るとmaeさんから、すでに録音とビデオをPPNのホームページにアップしたので、写真や、報告の追加を頼むとのメール入っていましたが、ホームページを作る気力がしばらく出ませんでした。ペコリ!

2011-05-25

SAORI バースディパーティ

水曜日の夜教室

退職して以来、SAORI東京には木曜日の昼間に通う事が多くなっていますが、久しぶりに「水曜日夜」の教室に参加しました。

ところが今日は、スタッフ・まどかさんの誕生日だったのです。
苺のバースディケーキに可愛いろうそくが3本並んでいました。
彼女は満面笑みを浮かべ、「抱負はSAORI服をたくさん作ること」と語ってくれました。
スタッフは課題が結構大変だそうです。

今晩はご主人と待ち合わせして、有楽町で鰻で祝うとか、もしや、「知平の徒然草」で紹介されていた「きくかわ」でしょうか?


一方で、那須のmisakoさんから、知人の喫茶「海」さんの震災支援で、日持ちのするクッキーやフルーツケーキの見本と注文書が届いていました。
喫茶「海」さんは、建物に被害が出た上、近郊からのお客さんが激減して困っているそうです。
少しでもお役立てばと私もフルーツケーキを注文しました。

那須の別荘地にある喫茶は、misakoさんの「きじさとひろば」から10分ほど歩いたところにあります。
奥さんの手作りのパンやケーキ、ピザなどを提供している他、隣にあるご主人の工房から木工の額やランプなど素敵な作品が展示即売されいる洒落たお店です。

misakoさん宅もひびが入り、余震の度にSAORI糸コーンが棚から落ちるので、床に置いたままとか。
栃木県でも震災の被害が多々出ており、昨年のGWに私たちが散策したダム湖も甚大な被害を受けたそうです。
彼女から田植え支援に来て欲しいとメールが来ています。

2011-05-20

その薔薇の名は「希望」


我が家のベランダで咲いた3番目の薔薇は「希望」。
赤い花びらの裏側が黄色なのがわかりますか?
その名のとおりく明るく、元気の出る色合いです。
今の日本にふさわしい花です。前を向いて希望を持とう!

福島県双葉町から避難してきている約1300名の人たちが暮らしている埼玉県北部の加須市の旧騎西高校で、さいたまコープが毎週木曜日に炊き出しボランティアを実施しています。
そこへ取材に訪れた西村さんが、炊き出しをしていたハーブさんに偶然出会ったそうです。

ハーブさんは大学時代の友人のご主人から声を掛けられ、この炊き出しボランティアに参加し始めました。
ボランティア活動の内容は、「西村一郎活動日誌」で詳しく紹介されています。

その西村さんから午前中に電話が入り、平和の集いで吉永小百合が原爆詩を朗読するから行かないかとお誘いがありました。
残念!私は明日は予定があります。

埼玉県人はと思い浮かべ、早速ハーブさんに連絡したところ、偶然にも行く予定だったので友人を誘いたいとのことでした。招待券が無駄にならずメデタシメデタシと思いきや、日程の勘違いでNG。

次にtantanが川口市在住ということに気がつきメールしたところ、母上の病院付き添いで無理かも?との返信。
直後、電話があり、可能なら是非行きたいので詳細を教えてほしいとのこと。
西村さんとの連絡も取れ、今度こそ一件落着となりました。