最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2011-02-28

さようなら 私の仕事人生


総務部からの花束
10階の仲間からの贈り物

松本土志作品 夫人より
ちゃま2 マリドラ あやや

今日は最終出勤日でした。
久々にラッシュに揉まれ、9時少し前に出勤しました。全体朝礼で専務からビジョン2次案の説明を受け、
職場に戻って机の中の整理と言うより廃棄作業を行い、シュレッダーと回収箱の往復を繰り返しました。

昼は、総務部の女性とお別れ昼食。最後の仕事である「運用事例集」のK氏の赤入れを修正して完成。
元の職場のHさんと、思いがけず派遣のNさんから、健康管理者のUさんからは癒し系のプレゼント。
パートのMさんからご主人の作品(器とカップ)をいただきました。
引き続き、廃棄作業に打ち込んで5時となり、お別れの言葉と花束贈呈(花のミプリの配達)。

6時15分、遅刻して西武デパート8階の「美々卯」へ駆けつけました。いつもの3人が私の定年を祝ってくれました。
手提げと小物入れを三人からプレゼント。そして三人分の小物入れをオソロでちゃま2が用意して二人にプレゼント。
まだ実感がわかないまま、明日からはもう職場へはむかいません。


2011-02-27

「吊るし雛」の飾り台が到着


先日、髙島屋で購入した「吊るし雛」の飾り台をやっと息子の家に届けてきました。
下の孫に贈った「吊るし雛」には少し高さが足りず、引きずり気味ですが、何とか収まりました。

チビは1歳7カ月で、吊るし飾りが物珍しく、ハイハイ人形や小鳥や金魚を引っ張るものですから、飾り台が倒れ、吊るし飾りが絡まって解くのに一苦労しました。

今日はママの友達を訪ねたそうで、二人ともお風呂に入って、いつでも寝られる体勢です。
お姉ちゃんは幼稚園でなわとびがお気に入りらしく、
「u-koばあちゃん見て!」と飛んで見せてくれます。


チビは写真を撮ると言っても、雛よりダンゴ?京菓子の箱を離しません。
仕事のパパから電話がかかると、話も出来ないのに携帯を持って逃げてしまい離しません。
なかなか気が強く、先が思いやられそうです。

チビは来年は3歳で七五三。お姉ちゃんも数え年の7歳で、一緒に七五三を祝おうという話になっています。
亡き母に作ってもらった私の真っ赤な絞りの羽織が、仕付が付いたまま箪笥の肥やしとなっています。
子どもの着物になら仕立て直しがきくというのですが、解いて、洗い張り、裏地をつけて仕立て直すと5万円ぐらいかかるそうです。新しい着物が買える値段ですが、ひいばあちゃんからのプレゼントとしてお姉ちゃんの着物を作ってやろうか悩んでいます。

2011-02-26

PPNホームページは優秀賞


本日、1時半から東京芸術劇場・5F大会議室で、「2011年全国新年号機関紙誌コンクール」の発表・表彰式がありました。

「PPNホームページ」はなんと優秀賞を受賞しました! http://ppn.jp/
ところが、九州旅行から帰っても審査結果が届かず、心配になり前日に電話して判明。職場へ案内メールを送ってもらいました。
急遽maeさんに同行してもらい、表彰状授与のビデオを撮っていただいた次第です。

表彰式の模様   http://www.youtube.com/watch?v=lwNqKxPlH0k


昨年12月、日本機関紙協会埼玉県本部発行の「ねっとわーく1月号」に掲載された、コンクールの案内を読んだのがきっかけで応募しようかと考えました。
すべての応募作品に講評をかえすという特典に魅かれ、今、ホームページの投稿者が限られ、コメントも少ない状況を改善するきっかけ、方法の示唆があるのではないかと期待しました。

講評では、①設定が5ページは読みやすく配慮がある。②写真をふんだんに入れているのが迫力がある。③みんなが投稿できるように学習会を行っていることが評価される。みんなが関わることが長続きの秘訣。
今後の課題としては、ツィッター、フェイスブックとの連携、SNSとの連携も視野に入れて、モバイル機器、携帯、iモードとの連携も考えてみてはどうか。

PS
応募について相談すると、「ネパールの子ども達を支援する会」代表のふうりんさんは、「賞金5,000円ならともかく、
参加費5,000円なんてダメだぁ」との一言。自費で応募しておきました。

2011-02-25

最後のお仕事

役職定年で総務に移り、2年はあっという間に過ぎました。
2009.3.21 地域間人事異動の後処理を、急遽ピンチヒッターとなった嘱託職員と派遣職員が二人三脚で奮闘しているところへ、管理系の仕事など経験のない私が飛び込んで行きました。

住宅管理担当という仕事分担でしたが、前任者はガンで闘病中。実務をしていた派遣さんと引き継ぎもなく男気で手を挙げた嘱託さんとの三人の珍道中がスタートしました。
OJTは2カ月待って!と言われ、その間に何をしようか悩んだ挙句、「単身独身寮」と「単身赴任寮」の200本の鍵を整理しました。部屋番号をテプラで打ち、階ごとに色分けしたタックを付けるのは指先が金属で薄黒く染まり難儀でした。

自分なりの問題意識からプロジェクトを立ち上げ、その後の仕事は関係者の知恵を借りて、規程改定の運用確認、会住宅管理システムの要件書作成、規程改定による家賃のシュミレーションデータの作成と力仕事を乗り越えてきました。

法人契約の「賃貸借契約書」、「重要事項説明書」を読む、頭の痛くなる仕事も終わります。
過去の事例を各規程別に事例集にまとめ、改定に基づく運用対応を付け加えた「運用事例集」が、今夜完成しました。

自分の荷物の整理は、やはり最終日の2/28にずれ込んでしまいました。
でも何とか、「飛ぶ鳥、あとを濁さず」でいけそうです。

2011-02-24

義姉の想い出

義母は二人の娘と息子を育てたのに、末っ子の息子と長女に先立たれ、90歳で残されました。
義姉の訃報を聞いた時、真っ先に頭をよぎったのは、息子を亡くしてから「長生きなんてするもんじゃない。子どもに先立たれるなんて。」と嘆いていた老いた義母の姿でした。

火葬場でお骨の焼けるのを待つ間、義母がポツリポツリと話してくれました。
満鉄に転勤となった夫と長女を連れ満州に渡り、そこで次女を生み、終戦の1年後に年児の幼女をおんぶに抱っこし、水を入れたやかん一つを抱えて一人福岡港にたどり着いたと。

日本に上陸すると同時に義母は倒れ2カ月入院。その後は幼子二人を家に残しても働かなければならない状況で、4歳の長姉が一つ違いの次姉を子守していたそうです。
「姉妹ケンカしてもけっして長女を叱ってはダメよ。いつも妹の面倒をよくみているのだから!」と近所の人から注意されたそうです。

義母の話を傍で聞いていた次姉も、「あたしの物心ついた最初の記憶は、姉から何かを口に入れてもらっている場面だった」と回顧していました。
シベリアに抑留されていた義父が、身体を壊して帰国したのは3年後とのこと。その後も、夫を助けて働き、子育てした義母は、「働きながら子育てするのがどんなに大変か、私はよく知っているから」と、昔、共働きの私を励ましてくれていたことを思い出します。

この日、私は義姉に以前プレゼントされたポシェットを身につけ、最後のお別れをしました。
やすらかにお眠りください。合掌。

通夜に集まった義甥と家族

2011-02-23

義姉とのお別れ


お寺の住職夫人だった亡夫の長姉が突然亡くなり、息子2人と通夜・告別式に参列するため、急遽、福岡へ向いました。

昨年の3月末、お寺が経営する保育園の卒園児達でつくる「博多おいっしょ太鼓」が、日本太鼓ジュニアコンクールに参加する際、引率して大宮を訪れた義姉夫妻に会場で面会しました。
その後、12月に納骨堂の件で電話が入り、少々長電話をしたのが最後となりました。


お寺の主の葬儀というのを初めて体験しました。
壇上の導師の他に20人近い僧侶が一斉に読経する場面は、会場にお経が響き渡り圧巻でした。
今朝の告別式に先立つ「保育園のお別れの会」では、年長児たちの「園歌」と「故郷」の素晴らし合唱に涙が出ました。
孫の幼稚園の「発表会」の歌声とのレベルの違いに愕然としましたが、しばらくして保育室から流れてくる「園歌」を聴いて、登園時に歌っていることを知り納得しました。

義姉は壷井栄の「二十四の瞳」の大石先生に憧れ、幼児教育者を目指し、48年間主任保母として保育に専念してきたと紹介されていました。
「ポックリ往きたい」「老母を送らないと往けない」「娘を嫁に出さないと往けない」というのが口癖だったそうですが、後の二つの願いはとうとう叶えられずじまいでした。

2011-02-22

里子ビニタちゃんの手紙 NO.3

以前、ビニタちゃんから、お兄さんに娘さんが生まれたといううれしい手紙をもらったので、私はぜひ赤ちゃんの写真を送って!と手紙に書きました。
すると、前回のビニタちゃんからの返信には、「赤ちゃんは亡くなりました。心を痛める娘より」とあり、おめかししたお兄さん夫妻と奥さんの妹さんの写真を送ってくれたのです。
私は以下の返信をしました。

「ナマスカール!お手紙ありがとう。
大切なお兄さん達の写真を送ってくださって、本当にうれしいです。
心を痛める娘:ビニタちゃん、お兄さんご夫婦は娘さんを亡くしてとても悲しんでいらっしゃると思います。
私も3番目の息子を1歳で亡くした経験があります。
ビニタちゃんは今、どうしてよいかわからないと思いますが、やさしい気持ちで、そばにいてあげてください。
きっとあなたの心が、お兄さんに通じると思います。」



ビニタちゃんからの今回の手紙

私のお兄さんの娘がどのように亡くなったのか、あなたはご存知ないでしょう。私はそのことを書きたいと思います。
生まれて10日頃病気になって、10日間病院に入院した後、少し良くなっていきました。そして再び病気になりました。

バクタプールの手相を見る占星術師のところへ連れて行って、最後の亡くなる間際にその占い師は言いました。
「この娘の心臓はない」と。そしてお兄さんの奥さんは気絶してしまいました。
「あなたの娘は生きることが難しいでしょう」と、占い師が言いました。明々後日の夜8時に娘は亡くなりました。

その後、奥さんも病気になりました。そしてこの間、お兄さんも心臓が痛いと言って病気になりました。
何とか治療をして一命を取り留めました。
私のお父さんも薪を切るために森林に行っていて、木を切る時に斧で足を切ってしまいました。
何とかして夜中の12時にお兄さんがタクシーでお父さんを迎えに行きました。
その時、お兄さんがいなかったらお父さんは亡くなっていたことでしょう。

みんなで家を建てると言って貯めていたお金が治療費で消えてしまって、私はとても泣きたいです。
どうしたものでしょう、わたしのような不幸でみじめな娘はこのような状態です。

http://www.yuukoharada.com/2011/01/blog-post_24.html

2011-02-21

女性部班会 ・ PPNホームページ紹介







昼休みに女性部の班会が行われ、卒業する私のオンステージで、PPNのホームページの紹介をしました。
本日は非労組員である二人の女性も参加し、10階の女性が全員が集まりました。
おこわ弁当を食べ終わって、プロジェクターでホワイトボードに虹のトップ画面が映写されました。

①PPNの2002年~2009年の活動日誌
②「ネパールのJUKUさんを訪ねる旅報告会」から「ネパール子ども基金」の誕生。
③PPNのグループ活動卒業から、若い現役里親が「ネパールの子どもを支援する会」を立ち上げるまで。
④「里子の手紙を読む会2/18」の里親の感想と26名の里子紹介
⑤ブログのカテゴリー紹介~ネパール通信~

※最後に写真の「花束とハンカチセット」をプレゼントされ、感謝!
 今日の班会に向けて、「里子の手紙を読む会2/18」のブログと、「支援する会のページ」の制作が間に合いました。
 みなさんに報告が出来て、寝不足も報われます。

2011-02-20

「エジプト軍がフェイスブックに参加」 毎日新聞

昨夜の毎日新聞の夕刊に、以下の記事が掲載されていました。
『エジプトの軍最高評議会が、中東全域で反政府デモの原動力の一つとなっているインターネットの交流サイト「フェースブック」に独自のページを開設し、市民との直接対話に乗り出している。
17日に登場した最初のページは、アラビア語で「本日から息子たちと意見交換できてうれしい。どんな質問にも24時間以内に答えます」と宣言。
「エジプトの人々、特に(反政府デモを始めた)1月25日の若者との対話を希望します」と呼びかけた。……』

「フェースブック」を実際体験したことがないのでイメージできませんが、実名で登録している反政府デモ参加者が、軍の呼びかけに答えて投稿をするのでしょうか?またどのような投稿内容か興味深いところです。
でも、インターネットの存在なくして成り立たない、時代が変わってきている事だけは確かなようです。

一方、毎日新聞の朝刊では、昨日から「情報デモクラシー2011 ウィキリークスのある社会」の特集が始まりました。
1回目は、「アサンジ容疑者」の生い立ちを特集。「10代から天才ハッカー」という見出。
2回目は、「ミラーサイト」を立ち上げた帯広の男性を紹介。「登録10分 そこに真実」との見出。

以前、maeさんが容疑者と言う表現をするのは日本のマスコミだけと言われていましたが、まさにアサンジ容疑者と言う文字を四角で囲んでありました。
ハッカーという言葉を聞くと、私などはセキュリティを破り侵入する人をイメージしますが、本来の意味はシステムに強い優れた人を言うのだそうですね。
そんな言葉の魔術にかかって読んでしまいそうな見出しでした。

2011-02-19

里子ビニタちゃんの手紙 NO.2


ビニタ・ラマちゃん


私のネパールの里子であるビニタちゃん6年生からお手紙を紹介します。
以前お手紙の中に書いてくれていた詩を、1/24のブログでアップしていますが、今回はNO.2で手紙の一部を紹介したいと思います。
この手紙の日付はなんと11/18で、私と孫のあかなの誕生日です。
偶然ですが、嬉しいですね。




心からのナマスカール
ナマスカール!お手紙をどうもありがとうございます。そして大切な写真を送ってくださって大変感謝をします。
あなたが送ってくださったお手紙と写真、バック、ノート、鉛筆、ペン、インク、靴、靴下など品物を全て受け取りました。
こちらで私の家族全員元気にしています。そちらであなたとご家族皆さまもお元気のことと思います。
あなたが送ってくださった写真を見て、私はとても楽しかったと同時に嬉しかったです。
今回のお手紙で、日本の伝統や慣習について、たくさんのことを書いてくださっています。
このような未知の目新しいことを読んだり聞いたりすることができて、私は楽しかったです。
私はあなたのお孫さんのあかながとても気に入りました。
あなたがお越しくださる際は、彼女も私たちのネパールに一緒に連れて来てくださいね。
彼女の写真も送ってくださいね。

2011-02-18

里子の手紙を読む会










昨日の昼休みトマトさんと準備打ち合わせの折、「ホームページを見てない人もいるから、里子の写真を印刷したら」と言われ、印刷が2時までかかり寝不足ぎみのスタートです。
会の概要はPPNのホームページに掲載゚したため、こちらでは実況中継します。

PM5:30
二人となったプラザ組は、サンドイッチと飲物の買出し、会場設営、当日資料の配布、写真張り出しに四苦八苦。
里子の手紙には里親の宛名がありますが、マッチ絵具で描いた絵には名前がないので、添付された写真を見ながら里親を割り出し、手紙と組み合わせるのが一仕事でした。

PM6:00
会場を4階と間違え、誰もいないので電話を掛けまくったと汗をかきながらちゃま2が登場。
手紙と絵を机上配布し、指定席づくりを手伝ってくれました。
欠席者の手紙が結構残りました。持ち帰りメール便で送付しなければなりません。

PM6:30
定刻。緊急な用事のため顔だけは出しますと言われていたtotakeさん登場。
続いてnishiさんとカッチャン、riekoさんが到着して軽食となりました。

PM7:00
matuさん、マリドラさんの軽食が終わるのを待って、時計回りで里子の手紙を読み始めます。
五月雨式に大久保の仲間、nabeさんが登場。

PM7:30
現役の主催者登場で今日の参加者は15名全員集合しました。

PM9:00
里子支援の来年度継続を確認。支援金11,000円を集金。
次回は5月にjukuさんの帰国を待って報告会を持つことを確認して閉会。

PM9:30
2次会、どういう訳かハラペコとなり、餃子・焼きそば諸々・ビール・紹興酒を飲み、残り物はケースに入れて明日の昼食用でお持ち帰り。

2011-02-17

なめらかプリンのチョコケーキ


バレンタインデーに買い損ねた「なめらかプリン」のチョコレートケーキを
ゲットしました。
なぜ、「なめらかプリン」にこだわるのか!

先日、1月生まれの誕生会を兼ねた諸々祝いの「すき焼きパーティ」を、
息子宅で開催しました。
どう勘違いしたのか、私は6個の「なめらかプリン」を持参しました。
数えてみると、何度数えても参加者は7人。

どうも無意識のうちに、チビ(二人目の孫1歳)を人数に入れなかった模様。ペコリ! 
ところがチビは真っ先に食べ始め、ペロリと1つ平らげてしまいました。
そこで、私はじっと我慢の子であった訳で、バレタインこそ「なめらかプリン」を思う存分食べようと決めていたのに、
またもやスルー。そこで、今日は遅ればせの「チョコケーキ」となった次第です。

PS
退職準備の一環で、本日びっくり!がありました。
定年後「役職員向け制度(共済)」から、移行できる保険の案内が給与管理Gから来ていました。
その移行可能なタイミングは、退職前月の5日(2/5)までで、それを逃すと移行は不可となっています。
共済は65歳までは高保障でも、それ以降の保障が格段に落ちるという話もあり、
このタイミングに終身医療保険に移行しておこうかと思った次第です。

ところが、申し込みを2/4にFAXしたにもかかわらず音沙汰なし。
何か胸騒ぎがして、㈱ネット保険センター電話すると、「電話番号が変わりました」とのアナウンス!
もしやFAX番号も変わっていたら!ドキリとしましたが、申し込み依頼書は無事届いていたものの、
移行手続きは対象外と見做され保留のままでした。
あれこれやりとりがあり、結果オーライとなりましたが、何ということでしょうか?

2011-02-16

わたしを織る 


「あそび家さをり」の作品発表会が 2/26(土)-2/28(月)
町田市民ホール4Fギャラリーで開催されます。
JR町田駅中央口徒歩10分・小田急線町田駅西口徒歩7分

「あそび家さをり」は、SAORI東京で、水曜日夜の教室を担当されていたSさんが、引退されてから自宅を解放して運営している「SAORI姉妹塾」です。

5月には町田から転居されるので、最後の作品発表会です。
転勤族で各地を転々とされる中で「SAORI」と出会い、就学前の子供さんを抱えながら、スタッフの仕事を手伝ったのがきっかけで30年以上関わって来られたそうです。

ご主人のご実家で、SAORIの新しいスタートを切るために、着々と準備をされています。
出会い、別れ、そして出会い、日本中どこでも、SAORIを通じて仲間をつくって楽しんでください。


2011-02-15

A SONG FOR YOU

I さんからのプレゼント Villeroy&Boch
春なのに ♪   お別れですか ♪ 春なのに ♪  涙がこぼれます ♪

春なのに ♪  春なのに ♪  ため息 ♪  またひとつ ♪

                          ~ 中島みゆき ~







u-ko さん

定年退職おめでとうございます。
いよいよ卒業ですね。
とりあえずひとつの区切りを迎えました。
嘱託で残らずにすぱっと辞めてしまうなんて いかにもu-koさんらしいですね。
職場以外でやることがたくさんあるのはうらやましいです。
この後の人生を体に気をつけて充分に謳歌してください。
あらためて長い間おつきあい本当にありがとうございました。
これからもまた新しいおつきあいをよろしくお願いいたします。
もちろん10月と12月は継続ですよ。

PS
「春なのに」知ってますか? 柏原芳恵でヒットしましたね。
Mのとても好きな歌でした。自分の中学での教員研修時代を
思い出していつも「春は別れの季節」と言っていました。

2011-02-14

雪のバレンタイン


三度目の雪予報が当たりました。
なめらかプリンのチョコレートケーキを買って帰る予定だったのに、仕事で遅くなったら閉店していました。
ペコリ!

今朝は小さな白い粒のみぞれが降っていましたが、夜は大きな牡丹雪です。
道路や木立はあっと言う間に雪化粧。

ホームで電車を待つ間にも、顔やコートに雪が降りかかります。
ベンチで傘をさして待つ人もいました。


明日は仕事人生最後の部長面接です。
3月は休むつもりでいますので、本当にあとわずか2週間というところです。
女性部の班会や仕事のグループの送別会、最終日のお出迎え送る会などの日程調整が相次いでいます。
住民票や印鑑証明を役所に取りに行き、やり残した退職の手続きを早く終えなければなりません。
そうです、退職届を出すのです!

2011-02-13

休日のティータイム

弘前旅行のお土産で、大ヒットしたチーズケーキ「朝の八甲田」と「津軽りんご」をいただきました。
早速、michikoさんのプレゼントであるミッキーのお皿に乗せて、マリドラさんのランチョマットで撮影しました。

34万個売れた?という濃厚でクリーミーなチーズケーキは、コーヒーを飲みながらの一口には、とろける味わいがあるのでしょうが、私のようにパクつくには味が強すぎました。
そこにいくと、リンゴの香りに包まれた津軽はやさしい美味しさです。

愛用のちゃま2からの沖縄みやげのカップで濃茶をいただいて、休日のティータイムは終わりました。
セカンドライフでは、毎日、午後のお茶ができると思うと泣けてきます。
それにayayaのパンなどあったら文句の言いようがありませんね! 

2011-02-12

ソーシャル・ネットワーク

次男にシニア料金で、「ソーシャルネットワーク」の本日券を買うように頼んだところ、
サティのワーナー・マイカルの窓口で、小さい会場なので最後列を勧められたそうです。
字幕が見えづらいと最悪の映画なため、妥協して後ろから3列目の指定席を取ってくれました。

「フェイスブック」の創始者:マーク・ザッカーバークが19歳の時、ガールフレンドとの口論から別れ話まで発展し、
ハーバード大学の学生寮で「フェイスマッシュ(女子大生を顔写真で評価する)」をつくるところから物語は始まります。
「フェイスマッシュ」は深夜2時間で22,000アクセスがあり、大学のサーバーがダウンします。

その体験から、インターネットで友達を知る、自分のことも知らせるサイトが求められていると確信したマークが、
親友から出資してもらい、「フェイスブック」を立ち上げると、なんと1日でハーバード大学生650人が登録します。
早いテンポで大量のセリフが飛び交う台詞劇、字幕を読むのに集中しないと話についていけません。

映画は、ナップスター(音楽共有サービス)の創始者ショーン・パーカーが登場して、「フェイスブック」の登録者が爆発的に広がり、親友エドゥアルトとの間がギクシャクし出し始める頃から、現在進行形の話が過去となり、マークと裁判に訴えた関係者が一同に会したシーンが現在進行形となり、過去と現在の二つの流れが交互に映し出されていきます。

訴えられるマーク・ザッカーバーク、共同創業者兼出資者で、その地位を危うくされたと訴える親友のエドゥアルト・サベリン、アイデアを盗まれたと訴える資産家ウィンクル兄弟の三者が、弁護士を交え証言しあう場面が現在進行形となるのです。

頭脳の中身も、資金の額も、もちろんネットワークに関わる人々の国籍も人数も、すべて世界規模。
そして、世界最年少の億万長者が生まれるのです。

まさに息子と同年齢の世代が世界を動かしているという感を強くしました。
回りとのコミュニケーションを上手く取れないコンピュータオタクだった青年が、5億人(今や6億人)の友人をサイトで作り、昨年の米タイムズ誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれたのです。

監督はデヴィット・フィンチャー。「セブン」「パニックルーム」「ベンジャミン・バトン数奇な人生」など話題の映画監督。
キャストもこの作品内容を暗示するように、今後の活躍が約束される若手実力派俳優が勢揃いです。

2011-02-11

SAORI東京「無心に織る展」

2月11日~13日、毎年恒例の「無心に織る展」が開催されています。
雪の予報はハズレではありませんでしたが、僅かに白いものが舞い、
時々みぞれという感じの雨の建国記念日でした。
私の靴が壊れ遅刻したものですから、急遽次男が飛び入りして、
到着していた友人3人と合流したのは14:30でした。

SAORI東京の教室には、所狭しとさをりグッズが並べられ、
すでに友人たちはそれぞれお目当ての物を購入していました。
私は旅行用に小物を入れられる写真のショルダーバック?を購入しました。
チャックポケットが2つ、オープンポケットが1つ付いていて、
腕を通して斜めに掛けると、体にぴったりフイットするのが気に入りました。
海外では上着の下に付けパスポート入れに活用できそうです。
使い勝手も良く、頒布もしっかり縫製されています。

お茶をした後、大江戸線経由で銀座線の京橋駅に着きました。
i-phoneで道を尋ねながら、「美々卯」の店舗の横の道を入ると、中国湖南料理「雪園」がビルの谷間に登場しました。
6,000円相当のコース料理が3,000円というサービスコース9品は、お値打ちものでした。
幹事をした私も鼻が高かったです。知平のレストラン情報に感謝!感謝!

2011-02-10

首都圏は雪予報

乾燥注意報が連続していた首都圏に雪の予報が出ています。
インフルエンザや火事が猛威を奮う中で、待ちに待ったお湿りですが、首都圏は雪化粧でも足を取られたり、車がスリップしたり、ダイヤが乱れることが必至と思われます。
明日の「無心に織る展」もディナーも、早速その余波を受けて、今夜から雪が降り積もれば来れない人がいます。

ところで我が職場でも、若い人の間でインフルエンザA型の感染者がチラホラ。
今年の流行は、30代~50代の働き盛りが要注意との報道がありましたが、なぜか20代の若者がお休みしています。
どちらにしても60代となった我らには免疫があるようで、安心していてよいのでしょうか。


生協研究家:西村一郎さんのブログがスタート
今日、彼は突然、私の職場に現れました。
新しいブログのデザインやカテゴリーの作り方がわからないとつぶやいて帰りました。
現在、彼が書いた「コープソリューション連載記事」が10アップしています。
興味ある方は覗いてみてください。
http://www.nishimuraichirou.com/

2011-02-09

「広重の富士」謎の解明


赤坂治績著「広重の富士」を読了し、テーマである「広重は世に出てから晩年までの二十年間、なぜ富士シリーズを描けなかったのか」の謎が解き明かされました。

当時の版画は多額の資金が必要なため、製作資金の出資者兼出版プロデューサーである版元の意向に沿うものしか製作できないという現実があったのです。

原画の代金はべらぼうに安かったと言いますから、名所絵で売れていた広重が、たとえ富士シリーズを描こうと考えても無理なことだったのでしょう。


版画ができるまで

       版元が商品として浮世絵版画を企画
  ②     企画に相応しい絵師を選んで原画作成を依頼
  ③     彫師が版木を作成
  ④     摺師が版画を摺る

版元が富士シリーズを企画するには、富士登山ブームと幕府の施策という背景がありました。

     富士登山ブーム(富士講・山岳信仰)
     寛政十二年(1800年)幕府は庚申の年(6/1~8/30)に限って女性の富士登山を認める。
     天保初年(1830)に制作された葛飾北斎の「富嶽三十六景」の版木は20年以上経ち消耗している。
     安政五年(1858年)第2次富士登山ブーム。

版元である蔦屋吉蔵が広重に作画を依頼し、広重は「富士三十六景」を描く。
安政五年(1859年)9/6、61歳で没する。(コレラ?)
安政六年秋、広重の一周忌「富士三十六景」出版される。

2011-02-08

グルメ


昼休みに「知平の徒然草」をのぞくと、中国湖南料理「雪園」京橋店の
「土・祭日のコース料理」半額の文字が飛び込んできました。
2月11日は建国記念日で祭日です。
図らずも、代々木のSAORI東京で開催される「無心に織る展」の初日です。

いつもの4人で行くので、早速URLを送信して皆さんの意見を集約すると、ランチにするか、夜のおすすめコースに
するか迷いましたが、やはりゆっくり夜のコースを楽しもうという結論が出ました。
ちょっと遅くて、電話予約は出来ませんでしたが、明日にでも早速予約します。
これからも「知平レストラン」で、私たち向きの美味しくてリーズナブルな価格ラインのお店を紹介してください。

前菜4種盛合せ
フカヒレとたらば蟹のスープ
若鶏の湖南式辛し炒め      
芝エビとホタテと季節野菜の雪園ソース
自家製ハムの蜂蜜ソース
 ~ふわふわのパンに挟んで~
活魚の青唐辛子蒸し
湖南特製竹筒スープ
高菜チャーハン
季節のデザート、ゴマ団子
 

2011-02-07

母 オモニ

姜尚中の「母 オモニ」を読み終えました。

彼は最近、テレビでの露出度も増え、専門分野以外にも芸術分野のパーソナリティとして登場しています。
討論の場面でも、静かな物言いなのに、誰にも口を挟ませない、説得力のある話しぶりに感心することしきりです。
昔は生協大会や組合員集会などの講師として、度々依頼していた記憶があります。
今でも印象に残る、やや斜に構えたポーズの写真が案内によく使われていました。

「母オモニ」は、会話が熊本弁で書かれているため、耳慣れたことばとしてスンナリ入って来るのです。
何故かとい言うと、職場の親しい女友達は九州出身者が多く、また高校時代の親友は私を含め皆、九州男児と結婚しているという偶然からか、イントネーションが自然に聞こえるのです。

プロローグには、次のようにあります。
 母。それは、いつの時代も子供たちの心を虜にせずにおかない。幼少の頃、子供以外の何者でもなかったすべての者にとって、母は絶対的な存在だったはずだ。たとえそれが、激しい愛憎をともなっていたとしても。
 とりわけ、息子たちにとって、母は「女」ではなく、あくまでも母でなければならない。息子から「男」になり、「女」と交わり、父親になってからも、息子たちは、母が、「女」であったことを認めようとはしない。それほど、母という言葉は、息子たちの心を尋常ならざるものにしてしまうのだ。
 そして母が単なる母にとどまらず、「オモニ」であるとすれば、息子たちは狂おしいほどの母への想いに心を焦がすに違いない。

全編を通して母・オモニに対する愛情に貫かれた記述です。
女の私としては理解しずらい部分でもあり、我が息子を考えるにも、すべての息子がこのようであるとは思えないのですが、男性諸氏 いかがなものでしょうか?

2011-02-06

SAORI ファッションショー

3月11日の「サークル合同追出しコンパ発表会」まであと1カ月。
今日はママ友のsayokoさんに半日付き合ってもらい、SAORIファッションショーの企画を練りました。

モデル(現役組)衣装
①ノースリーブのロングドレス(ayaya) 
②変わり織のベストスーツ(akemi) 
③段染め糸のテントワンピース(kayo) 
④エスニックパンツ(nakanori) 
⑤オーバーコート(sachiko) 
⑥半コート(miho) 
⑦大原先生の舞台衣装+高岡先生

卒業生衣装
①アベックベスト(chihiro tomomichi) 
②2010年のベスト(maridora,michiko+α)+マフラー(nishimura,mae) ③2009年のベスト(nabekatsu)・マフラー未定 
④2008年マフラー未定 
⑤2007年ケープ(tyama2+α)

2011-02-05

吊るし雛と河津桜



桃の節句を前に河津桜を観に行こうという話が出ています。今年は桜の開花が遅れているそうで、私が休みに入ったら、いざ出陣です。

一昨年の3月に訪れた時は、すでに大かたの花は散ってしまっており、タクシーの運転手さんが最後まで花を付けている老木のあるお寺に案内してくれました。

「稻取の吊るし雛祭」が目当てだったので、街道沿いの各店舗を歩き回り、2人目の孫のために吊るし雛を奮発して買ってきました。


初孫である長女の雛壇は、息子の嫁さんの実家から贈られていたので、次女のために私が是非贈りたかったのです。
なのに雛祭の当日は吊るすところがなく、部屋の角に突っ張り棒を渡してやっと飾りました。

ところが今日、「さをり教室」の午後の開始時間まで、時間つぶしに東急ハンズを覗いていたら、
和小物の専門店の雛祭りコーナーに、「吊るし雛」と「飾り台」が売っていたのです。
ちょうど手頃な大きさの飾り台が気に入り、早速買ってしまいました。今年のひな祭りは様になります。

2011-02-04

ちいさいひと 青葉児童相談所物語

私の所属する「生活文化・地域協同研究会」、通称「埼玉協同研」は創立20周年を迎えた学びの場です。
労組女性部のグループ「PPN:プラチナ・プラザ・ネットワーク」の活動を始めた頃、メンバーに協同研の会員がいて、紹介されました。

この研究会は、リタイアした会員が中心で昼間の活動が多いため、なかなか参加できないのが現状です。
定年を迎える3月以降には参加の機会も増えると心待ちにしています。

毎月、携わる人たちの多大な努力で、定例会のテープ起しをした報告が会報として送られて来ます。
今日届いた2月号の「会員通信」には、フリージャーナリストの小宮純一さんからの以下のメッセージが載っていました。

「会費も滞納しているのに、別紙のようなことを始めています。NHKが「ちいさいひと」を取材してくれており、すでに4回カメラを回されました。第2話(2月)に合わせて放送をしてくださるそうです。」

「ちいさいひと 青葉児童相談所物語」は、週刊少年サンデーで連載されている漫画です。
作画は夾竹桃ジンさん、シナリオは水野光博さん、取材・企画協力で、元埼玉新聞記者の小宮純一さんが原案を提供しています。

小宮さんは新聞記者時代から20年間、虐待問題を取材してきました。
モデルは越谷児童相談所・副所長だった藤井真治さん(故人)。
「通報から48時間以内に子どもの安全を確認するルール」の提唱者です。
この埼玉ルールは、「虐待死全国一1998年度4件」の埼玉県の不名誉な記録から生まれたそうです。

また、小宮さんは、2011年4月から月刊誌「ちいさいなかま(保育専門誌)」で、「追いつめられて子育て~子ども虐待を追う~」の連載を始める予定とか。

2011-02-03

「追いコン発表会」実行委

私たち定年退職者を送りだす、「サークル合同追いコン発表会」3/11、の拡大実行委員会が昼休みに開催されました。
実行委員は「朗読サークル・ポエム」からnakanori、akemi、mihoさんの3人、「ネパールの子どもを支援する会」からはayaya、huurinnさんの計5人なのですが、大久保組は昼休みには集まれないので、卒業生が自ら参加しプラザ組だけで拡大実行委となりました。

参加者対象者の名簿の確認と追加、当日の進行表が渡され確認されました。
案内状をakemiさんが作ってくれますので、2/20をめどに大久保組に送信と集約をお願いすることとなりました。
よろしくお願いします。

進行はnakanoriさん、乾杯は「ネパール子ども基金」代表のnishimuraさん。
歓談の後の企画はマジック、ファッションショー、朗読の順です。
卒業生kuri、u-koがポエムの原点、滝いく子の「おまえと母さんの道」を朗読するようにポエムリーダーから指名されました。泣かないように頑張りましょう!kuriちゃん。

そして、「お祝いのことば」、「卒業生のことば」でフィナーレです。
忘れてならないのはチヒロさんから依頼された、昨年発刊した写真集「わらしこの四季」の展示即売です。
実行委でもちろん、めでたく承認されました。当日は早めに来て販売コーナーを作ってください。

「わらしこの四季」は、アマチュア写真家の自費出版などを紹介している、「アサヒカメラ」10月号の「われら写真仲間・写真集から」のページで紹介されています。

                    

2011-02-02

今年もカレンダーをお届します

毎年、職場に集まるカレンダーを地域の「ひらお苑」などに届けていたチヒロさんでしたが、退職してからは待っている施設の方々に断らざるを得なくなりました。
そこで、3年ばかり前から、私が彼女の自宅へ送ることにしています。

今年も各部署からカレンダーが総務部へ集まりました。手帳や卓上カレンダーも含め一箱チヒロ宅へ届けました。
私のボランティアも今年が最後です。誰か受け継いでくれる方はおりませんか?

チヒロさんからお礼メールに、施設でボランティアをしている方々を写した写真がたくさん添付されて届きました。
「介護保険情報」の2月・3月号に掲載されるそうです。
PPNのホームページで、 「小林チヒロのミニ写真展」として、何回かに分けて紹介していこうと思っています。

2011-02-01

スペインクラブ・フラメンコ

昨年から日程が合わず流れてきた、前職場のHPプロジェクトメンバーの忘年会が新年会となって、
やっと月島のスペインクラブで実現しました。

月曜日はフラメンコショーがあり、舞台の上で食事をしながら踊りを真近で堪能できます。
ショーのチャージ料は1,500円で、舞台席のコース料理は4,000円or6,000円を注文します。
月島のスペインクラブは大きな倉庫を改造したものらしく、天井が高く吹き抜けが特徴です。
1階席は一般客のスペースで、木製のテーブルとイスが並んでいます。
よく貸切で結婚式の2次会などに利用されています。
2階席は会員用のゆったりとしたスペースで、ソファのコーナーもあります。

舞台席は以前は展示スペースで、食器や織物、アクセサリーなどスペインの物産を売っていました。
私もイヤリングを買った覚えがあります。
いつも2階席なので、クリスマスのフラメンコタイムは舞台傍まで下りて行って、i-phoneで撮影してました。
今回はじめて舞台席で食事をしましたが、激しく踊るステップで、黒い床の中央部分が白く剥げています。

今回の舞台は、ギターと太鼓?歌手、踊り手3人。男性は写真にありませんが、長い髪を後ろで束ね、
踊りによってヘアスタイルを変え、汗をかきながらエネルギッシュに踊っていました。
歌手を含め、踊っている人以外は手拍子、足拍子で全員で舞台を盛り上げています。
ジプシー音楽特有の低い、哀調を帯びた歌はなかなか迫力がありました。