最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2012-01-10

「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」

かつての上司から以下の年賀状をいただきました。
「継承する会」とはなんぞや?と思っていたところ、「継承する会の呼びかけ」を入手したので紹介します。

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昨年12月10日、ヒバクシャの記録を受け継いで、さらに後世に伝えてゆく
「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」を発足させました。
原爆被害の実情を人類共有の遺産として普及活用することを目指します。
第2の人生の生きがいとなりました。
今年もよろしくお願いいたします。
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<継承する会の呼びかけ>

「いったいこの国は、ヒロシマ・ナガサキから何を学んできたのだろう」
------ 「あの日」から66年経った3月11日、福島原発事故に遭遇した原爆被爆者たちの心に去来した悔しさ、空しさはいかばかりだったことでしょう。
今年(2011年)は、被爆者たちが「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意」を誓い合い、日本原水爆被害者の会(被団協)を結成して55年を迎えます。
この半世紀を超える長い間、被爆者たちは体と心に深い傷を負い、その不安と苦しみの「生」を生きながらも、原爆は人間に何をなし続けるのかを身をもって告発してきました。
核戦争の地獄の体験と、被爆者として生きねばならなかった「生」を通して、”核兵器は人間と共存できない””ふたたび被爆者をつくるな”は命をかけた叫びとなったのです。
そして、原爆被害の実相を世界に広げ、核兵器廃絶を訴えてきました。
それにもかかわらず、数千発の核兵器が地球上に実戦配備され、人類は依然として核戦争の危機に脅かされています。
この地球上は核の汚染にさらされています。
被爆者に残された時間はわずかです。
被爆者たちの「永い時間をかけた人間の経験」と志を歴史に埋没させてはなりません。
ヒロシマ・ナガサキ、ビキニを経験し、そして今、フクシマまでひき起こしてしまった被爆国の私たちがなすべきこと----- それは被爆者が遺してきた原爆被害の実相と、証言、記録、たたかい、未来へのメッセージを確かに受け継ぎ、世界中の人々が共有できる記憶遺産とし、発信しつづけることです。
それこそが、<核の犠牲となった人々>と<未来を生きる人々>への何よりの責任の取り方ではないでしょうか?
そのために、私たちは「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」を発足させることにしました。
みなさんの会への賛同と、このとりくみへのご参加を心から呼びかけます。

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