最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2011-02-22

里子ビニタちゃんの手紙 NO.3

以前、ビニタちゃんから、お兄さんに娘さんが生まれたといううれしい手紙をもらったので、私はぜひ赤ちゃんの写真を送って!と手紙に書きました。
すると、前回のビニタちゃんからの返信には、「赤ちゃんは亡くなりました。心を痛める娘より」とあり、おめかししたお兄さん夫妻と奥さんの妹さんの写真を送ってくれたのです。
私は以下の返信をしました。

「ナマスカール!お手紙ありがとう。
大切なお兄さん達の写真を送ってくださって、本当にうれしいです。
心を痛める娘:ビニタちゃん、お兄さんご夫婦は娘さんを亡くしてとても悲しんでいらっしゃると思います。
私も3番目の息子を1歳で亡くした経験があります。
ビニタちゃんは今、どうしてよいかわからないと思いますが、やさしい気持ちで、そばにいてあげてください。
きっとあなたの心が、お兄さんに通じると思います。」



ビニタちゃんからの今回の手紙

私のお兄さんの娘がどのように亡くなったのか、あなたはご存知ないでしょう。私はそのことを書きたいと思います。
生まれて10日頃病気になって、10日間病院に入院した後、少し良くなっていきました。そして再び病気になりました。

バクタプールの手相を見る占星術師のところへ連れて行って、最後の亡くなる間際にその占い師は言いました。
「この娘の心臓はない」と。そしてお兄さんの奥さんは気絶してしまいました。
「あなたの娘は生きることが難しいでしょう」と、占い師が言いました。明々後日の夜8時に娘は亡くなりました。

その後、奥さんも病気になりました。そしてこの間、お兄さんも心臓が痛いと言って病気になりました。
何とか治療をして一命を取り留めました。
私のお父さんも薪を切るために森林に行っていて、木を切る時に斧で足を切ってしまいました。
何とかして夜中の12時にお兄さんがタクシーでお父さんを迎えに行きました。
その時、お兄さんがいなかったらお父さんは亡くなっていたことでしょう。

みんなで家を建てると言って貯めていたお金が治療費で消えてしまって、私はとても泣きたいです。
どうしたものでしょう、わたしのような不幸でみじめな娘はこのような状態です。

http://www.yuukoharada.com/2011/01/blog-post_24.html

0 件のコメント:

コメントを投稿