最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2011-02-23

義姉とのお別れ


お寺の住職夫人だった亡夫の長姉が突然亡くなり、息子2人と通夜・告別式に参列するため、急遽、福岡へ向いました。

昨年の3月末、お寺が経営する保育園の卒園児達でつくる「博多おいっしょ太鼓」が、日本太鼓ジュニアコンクールに参加する際、引率して大宮を訪れた義姉夫妻に会場で面会しました。
その後、12月に納骨堂の件で電話が入り、少々長電話をしたのが最後となりました。


お寺の主の葬儀というのを初めて体験しました。
壇上の導師の他に20人近い僧侶が一斉に読経する場面は、会場にお経が響き渡り圧巻でした。
今朝の告別式に先立つ「保育園のお別れの会」では、年長児たちの「園歌」と「故郷」の素晴らし合唱に涙が出ました。
孫の幼稚園の「発表会」の歌声とのレベルの違いに愕然としましたが、しばらくして保育室から流れてくる「園歌」を聴いて、登園時に歌っていることを知り納得しました。

義姉は壷井栄の「二十四の瞳」の大石先生に憧れ、幼児教育者を目指し、48年間主任保母として保育に専念してきたと紹介されていました。
「ポックリ往きたい」「老母を送らないと往けない」「娘を嫁に出さないと往けない」というのが口癖だったそうですが、後の二つの願いはとうとう叶えられずじまいでした。

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