最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2011-02-07

母 オモニ

姜尚中の「母 オモニ」を読み終えました。

彼は最近、テレビでの露出度も増え、専門分野以外にも芸術分野のパーソナリティとして登場しています。
討論の場面でも、静かな物言いなのに、誰にも口を挟ませない、説得力のある話しぶりに感心することしきりです。
昔は生協大会や組合員集会などの講師として、度々依頼していた記憶があります。
今でも印象に残る、やや斜に構えたポーズの写真が案内によく使われていました。

「母オモニ」は、会話が熊本弁で書かれているため、耳慣れたことばとしてスンナリ入って来るのです。
何故かとい言うと、職場の親しい女友達は九州出身者が多く、また高校時代の親友は私を含め皆、九州男児と結婚しているという偶然からか、イントネーションが自然に聞こえるのです。

プロローグには、次のようにあります。
 母。それは、いつの時代も子供たちの心を虜にせずにおかない。幼少の頃、子供以外の何者でもなかったすべての者にとって、母は絶対的な存在だったはずだ。たとえそれが、激しい愛憎をともなっていたとしても。
 とりわけ、息子たちにとって、母は「女」ではなく、あくまでも母でなければならない。息子から「男」になり、「女」と交わり、父親になってからも、息子たちは、母が、「女」であったことを認めようとはしない。それほど、母という言葉は、息子たちの心を尋常ならざるものにしてしまうのだ。
 そして母が単なる母にとどまらず、「オモニ」であるとすれば、息子たちは狂おしいほどの母への想いに心を焦がすに違いない。

全編を通して母・オモニに対する愛情に貫かれた記述です。
女の私としては理解しずらい部分でもあり、我が息子を考えるにも、すべての息子がこのようであるとは思えないのですが、男性諸氏 いかがなものでしょうか?

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