最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2012-06-22

「核の傷」肥田舜太郎医師と内部被曝の上映会

講演後の花束贈呈
埼玉会館は満席
















上映直前に到着すると、埼玉会館は満席状態、一番最前列にいくつか空き席があるというので一番前の席で見上げるように仰け反って映画を鑑賞するはめになってしまいました。
2006年にフランス人監督マーク・プティの撮影した肥田舜太郎医師の内部被曝告発の軌跡は、広島の原爆投下当時の被爆者の写真や占領下のABCCの記録写真も織り込みながら、肥田医師の戦後の活動を追っています。
同時上映の「3.11以降を生きる:肥田舜太郎医師講演より」では、95歳でありながら診療の傍ら土日はすべて講演日程が詰まっているというハードな活動ぶりが映し出されます。
医療生協さいたまと埼玉映画文化協会の共催だけあって、会場を埋め尽くした高齢者を前に、「自分の孫、ひ孫に安心して生きられる地球を残すために、自分の残りの人生をかけてください」と訴える肥田医師。
「私の元にこの子を安全に育てるためにはどうしたらよいでしょうと相談に来る若いお母さんがたくさんいます。その人達にあなたの子どもだけを安全に育てることはできません。日本中の子どもが安全に育たなければ、あなたの子どもを安全に育てることはできないのですと答えています」と語る。
ロビーで、3月に出版されたばかりの肥田舜太郎著書「内部被曝」にサインをもらって帰って来ました。

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