最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2014-03-10

サロン・ド・ポエム

本人曰く、「若輩者」のあややが定年退職を迎え、サロンに仲間入り。
最近ケーキに凝っている彼女は、新歓であるはずの今日、自らシフォンケーキをホールで焼いて持参してくれました。
久々の練習のお題は、27年前ポエムの最初の練習日に読んだ、滝いく子さんの「おまえと母さんの道」。保育園に通う母と子の情景を歌ったこの詩は私たちポエムの原点と言えます。
時間を超えタイムスリップしたかのように、朗読しながら子育て時代を思い出し皆が涙ぐんで詰まると、当時と同様に大原穣子先生から指導!「自分で泣いたら内容が伝わらないでしょ!」

もう一つの作品は、同じく滝いく子さんの「美しい誓い」
今、戦前に逆戻りさせて、戦争をする国にしようという安倍首相の企みの中にあって、美しい誓い=「日本国憲法」はタイムリーな力強い作品です。
大原先生曰く、「日本国憲法前文・9条」と「美しい誓い」を組み合わせて、いつでもどこでも出前朗読できるユニットを作っておきなさい。
そこで、今年横浜で開催される「日本母親大会」の冊子に、「憲法を読むサロン・ド・ポエム 気楽に連絡ください、出前朗読します。」という名刺広告を載せることにしました。5000円なり。
最後に高岡岑郷先生が関わる「東京に平和祈念館(仮称)を」の活動を紹介します。


断じて、「戦前」は迎えない 東京に「平和祈念館」建設を!
                            高岡岑郷

69年前、戦争は終わった
しかし、私たちの戦争はまだ終わっていない

今、東京の新名所はスカイツリー
その下を流れる北十間川は
1945年3月10日、累々と屍で覆われていた
あの夜
人びとは、熱いから黒い川に飛び込んだ
黒焦げの死体がよりそってきた
炎が川を渡り、街を走った
黒い群衆がさまよっている
背中に負ぶった赤ん坊に火がついている
だが、赤ん坊の泣き声は聞こえない
まだ、朝は来ない

あの3月10日だけでない
東京は戦場だった、兵士の居ない戦場だった
米軍B29爆撃機によって
130回に及ぶ空襲に見舞われ
10万を超える人たちが命を奪われ
100万を超える人たちが家を焼かれ失った
焦土と化し廃墟となった街、東京

黒い川の黒焦げの死体は、どこの誰だったのか
泣くことのできない赤ん坊は、どこの誰だったのか
学童疎開から帰ったとき
肉親と家をすべて失った子らも、数えきれない

今、半世紀はとうに過ぎて、69年
東京は鉄とコンクリートの街
林立するビルに埋め尽くされ
地上も地下も道路と鉄道が縦横無尽に駆け巡る
そこに69年前の姿は見えない

半世紀余、生き抜いた人たちと
いま生きている私たち、みんなの仕事
それは
戦場だった東京と
東京空襲の実相を掘り起こし
次世代に戦争の惨禍を語り継ぐ
「東京都平和祈念館」の建設
ふたたび炎の街は許さない
都民の願いを込めて

そして6年後
2020年オリンピック、パラリンピック
憲法9条を持つ日本の首都・東京
「東京都平和祈念館」の建設で迎えることこそ
最高の「おもてなし」だ

69年前、戦争は終わった
しかし、私たちの戦後はまだ終わっていない

断じて、「戦前」は迎えない

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