昔、木村光一の演出による朗読劇『この子たちの夏』を幾度か観に行った記憶があります。主催していた「地人会」が解散した時、出演していた女優さん達がこの活動を引き継ぎ、『夏の雲は忘れない』として、全国各地で朗読会を開催してきました。
職場の朗読サークルに入っていた私は、ヒロシマ・ナガサキ「虹のひろば」に代表派遣される労組の仲間たちの壮行会で原爆の詩を読みました。
今回、朗読された「生ましめんかな」も感極まりながら朗読した一篇です。
原爆詩人・栗原貞子の作品。
原子爆弾の負傷者たちで埋まる地下室で若い女が産気づき、闇の中から
「私が産婆です。私が生ませましょう」と言う重傷者の声がする。新しい生命は生まれ、血まみれで産婆は死ぬ。
「生ましめんかな、生ましめんかな、己が命捨つとも」
被災の体験を綴った、母親、子ども、先生、いずれの詩も、なぜこの人たちがこのような目に合わなくてはならなかったのか、答は見つからない。
今年の朗読会は十周年記念ということで、米従軍カメラマンだったジョー・オダネルの写真がスクリーンの中で紹介された。直立不動の姿勢で、死んだ幼子を背負って荼毘にふす順番を待つ少年の姿は、「原爆写真展」などでも忘れられない写真の一つで、私はポスターを持っています。
原爆投下直後のヒロシマ、ナガサキの航空写真は、今、新聞やTVで見るモスルの比ではない、どこまで行っても瓦礫しかない死の町です。
ジョーの写真集「トランクの中の日本」を購入しました。かつてホワイトハウス付きカメラマンだった彼が、体調を崩し退職したのは、死の街を撮影して歩いたことによる原爆症のようなのです。在郷軍人やマスコミの論調で中止させられた「スミソニアン博物館」での幻の展示をこの写真集で見ることが出来ます。
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