最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2013-02-25

横浜で実行委員会


今日は横浜の適塾で、12月に予定されている「さリコ横浜大会」の実行委員会でした。
若干の欠席者がいましたが、和気あいあいの雰囲気で進行。
司会者が風邪か花粉症か? グズグズで痛々しい限り。
予約している会場が狭いのではないかという心配意見から、追加で会場を押さえるか論議となりました。
予算の問題と抽選のため半月前確定という不安から、現会場で工夫することでめでたく決着。
企画としては、3階の会場で受付・オープニング、1階でオブジェと各地域の展示、3階のブースでは4つのスローガンを体感する催し、夜の交流会・ファッションショー、2日目午前の勉強会。
私はオブジェと展示の担当ですが、オブジェづくりが興味と期待とやや不安が入り混じっています。

特製シウマイ
特製シュウマイ

いつも料理の1品を差し入れしてくださるご近所さんに、横浜駅構内で崎陽軒のシュウマイをおみやげに買って帰りました。
我が家はシチューとシュウマイ?の珍取り合わせの夕食でした。

2013-02-24

陶器の手榴弾を持って戦場へ


今日は一日、資料整理をして過ごしました。
外は寒い北風が吹き荒れています。
20年続けている「朗読サークル・ポエム」の古い台本を中心に写真や諸々の資料を片付けました。

ポエムの15周年記念公演「命どぅ宝 imagine 」の台本作成のため沖縄取材旅行を決行。
それに先立ちメンバーと一緒に鑑賞したドキュメンタリー映画「ひめゆり」のカタロクとともに、「ひめゆりたちの愛唱歌に出合って」という小冊子が出てきました。

これがなんと先日、私のブログにコメントを付けてくださった杉浦公昭さんの著書でした。
その中にコピーが挟まれていて、「母への遺書に書かれた 陶器製手榴弾を持たされた兵士の心情」という文章があり、以下の遺書が紹介されていました。
この遺書は巻紙に墨書されていたのですが、戦火に焼かれて、文中の敏子さんとい姪御さんの記憶を元に復元されたものだそうです。


                      「 お母さんへ 」                    鈴木章三
 明早朝、出港します。
お母さん、お別れです。
亜細亜百年の礎となる、先立つ不孝をお許しください。
郷土(東京)も戦火に焼かれ、僕が戦場に持参するものは、背嚢と敏子の送ってくれた慰問袋、陶器の手榴弾、乾パン一袋、胃腸薬少々です。
 今や鉄不足のため飯豪がないし、陶器製の手榴弾もしばしば不発弾が含まれています。
この戦、聖戦と信じてきましたが、勝てるとは思いません。
喜八(弟)、吉一(甥)は、決して志願で戦場に送るなどなさいませんように。
特に喜八は、お母さんを守れる最後の息子です。片腕をへし折ってでも命だけは救って欲しい。
早急に東京から疎開し、時期を待って下さい。
 敏子へ
叔父さん(僕)や敏子のお兄ちゃん達は、皆、出征して戦場に行く。
お母さん(敏子の祖母)を大事にしてあげて欲しい。
最後までお母さんを守れるのは、敏子だけだと思う。
お母さんをよろしくたのむ。

※ 私の父は海軍の軍人でした。
次男でしたが、三男も海兵に入り、軍人になるのを拒んだ長男は、大学半ばで志願兵としてフィリッピンの戦場に行き、帰らぬ人となりました。
鈴木章三さんの遺書にある「決して志願で戦場に送るなどなさいませんように」「片腕をへし折っても命だけは救って欲しい」という文面に涙が止まりませんでした。

2013-02-23

ベアテ・シロタ・ゴードンさんの遺言

若かりし日のベアテさん
昨年の12月30日にベアテさんが89才で亡くなったことを、女性「九条の会」ニュースで知りました。
彼女は「日本国憲法」第24条の生みの親で、弱冠22歳でGHQの憲法策定委員会のメンバーとなり、社会保障と女性の権利の条項を担当しました。
10年近く前、職場の仲間たちと、「ベアテの贈りもの」というドキメンタリー映画を観に行きました。藤原智子監督作品。
彼女はピアニストで、後に東京芸術大学の教授になったレオ・シロタ氏の一人娘で、幼い頃に東京に住んだ経験があるので、戦時中の日本女性の地位の低さを実感していたようです。
映画の中で、「今の日本の女性は素晴らしいです。どうかこの憲法を一層生活の中に活かし、今度は世界の女性たちのために働いて下さい」と語っていました。
そして、彼女の最後の言葉は、「日本国憲法の平和条項と女性の権利(9条と24条)を守って欲しい」だったそうです。
ご冥福をお祈りいたします。


2013-02-19

第25回 「多喜二祭」 2/19

小林多喜二没後八〇年 生誕百十年を記念した「第25回 杉並・中野・渋谷 多喜二祭」が渋谷区文化総合センターで開催されていました。
渋谷に15年以上勤めていながら、このような催しが行われていたことを迂闊にも知りませんでした。
偶然に読んだ新聞記事で記念講演の講師が澤地久枝さんであることを知り、早々に実行委員会へメールで申込みました。
友人3人で行く予定でしたが、雪のためちゃま2は断念、ayayaを前から3番目中央の席を確保して待つ中、さくらホールは満席の参加者となりました。
岡部政明さんの「党生活者」の朗読では、素晴らしい声、語り口に聴きほれ、村上弦一郎さんのピアノ演奏・ショパン「24のプレリュード」に魅了されました。
澤地さんはいつもの通り着物をしゃっきと着られていましたが、少し痩せられた感じがしました。
ご高齢にもかかわらず、9時終了の予定を9時半近くまで熱弁!
「大人しい多喜二青年が残酷な拷問にも耐え得たのは、未来を信じていたからに他なりません。私たちも未来のために行動しなければ」と熱く語られました。
戦前出版されたという黄茶色になった「小林多喜二全集」を持参され、伊藤ふじ子さん、田口瀧子さんへの実らなかった取材活動についても言及されました。
ちょうど井上ひさしの「組曲虐殺」を観劇したばかりだったので、実姉のチマさんや実母のセキさんのエピソードがすんなり頭に入ってきました。
今の若い人は、「蟹工船」は知っていても小林多喜二を知らないというお話がありましたが、私は「蟹工船」すらマンガでしかを読んでいないことに気づき、改めて多喜二の人となりを少し勉強してみようと手塚英孝著「小林多喜二」を買ってきました。

協同研・室礼教室 「お雛様」

手のひらにのるお雛様を「室礼教室」で作りました。
講師のIさんがキッドをすべて用意してくださり、私もお手伝いして黒い敷物を織りました。
これはよく見ると銀のラメ糸を横糸に使っているため少々ゴージャスな趣があります。
ちなみに私の作品はセンターをとっています。
家に帰ると、早速、玄関に飾ってみました。