最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2014-09-07

「 京都嵐山鵜飼いと川床料理 夏の涼・贅景めぐりと天空の城竹田城跡 」

こんな長ーいタイトルのツァーに参加しました。ちゃま2のお声かがりで銀行のお客様対象の旅です。
京都旅行と聞いていたものの、メインとおぼしき鵜飼いは前日までの長雨の影響で川の水位が高く危険と判断され中止1400円の返金なり。

伏見稲荷

伏見稲荷
高尾

高尾

高尾 もみじ屋

上賀茂神社

上賀茂神社
上賀茂神社

下賀茂神社
下賀茂神社

竹林

渡月橋

2014-08-02

第60回 日本母親大会・全体会 8/2

パシフィコ横浜・国立大ホールで開催された60回目の「日本母親大会」。
昨年、東京で開催された大会にはポエムが舞台に上がりましたが、今年は神奈川主催ということで、歓迎の合唱や分科会担当とちゃま2とマリドラさんが地元の底力を発揮。
記念講演は、「子どもたちに憲法が輝く明日を」と題して東京大学大学院教授(九条の会事務局長)小森陽一さんのお話でした。
母親大会60年のあゆみのDVD、神奈川の仲間の朗読と合唱、そしてきたがわてつさんの「日本国憲法前文」を久しぶりに聴きました。
全国でのたたかいの紹介では、和光市の新婦人の若い仲間が緊張しながらも頑張って発表。
会場の外では、「三鷹バス痴漢免罪事件」の津山先生がマイクを持って立ち、東京地裁の無罪判決確定を参加者に大喜びで伝え、昨年の母親大会での支援に感謝されていました。






2014-07-25

日本国憲法は自前の憲法だった

子育て真っ最中だった20数年前、わが子に絵本を読み聞かせるために職場で朗読サークルを作りました。指導をしてくださったのは大原穣子先生(方言指導者)。目の不自由な方に赤旗日曜版を届けるリーディングサービス活動の録音の合間に、私たちの職場に通ってくださいました。

朗読の発声練習に「日本国憲法前文」はぴったりと言われ、メンバーで練習をしているうちに私たちの十八番になりました。「いつでもどこでも朗読の出前をします」を合言葉に、定年退職後も「サロン・ド・ポエム」の活動を続けています。

7月20日、演劇後援会と9条の会が中心となり「群読構成劇・われらが日本国憲法」を日本共産党本部大会議場で上演しました。劇中の「日本国憲法前文」の群読は一般公募でポエムもエントリーしました。吉原公一郎の作・構成によるこの作品は、近年明らかにされた資料により、日本国憲法は日本人自身の自前の憲法だったという事実を多くの人に伝えたいと企画されたものです。
敗戦後、鈴木安蔵氏の「憲法研究会」が作った草案と、戦後初代の総理大臣である幣原喜重郎氏の「戦争放棄・軍備撤廃」案をGHQが成文化して、現在の日本国憲法が出来上がったという内容は説得力があり、魅力ある舞台でした。

安倍政権は世論調査でも明らかな「憲法を守れ、九条を守れ」という国民の声から、改憲が難しいと見るや、「集団的自衛権の行使」を閣議決定しました。今こそ日本国憲法を学び、生かし、守っていく時です。


2014-07-20

群読構成劇「 われらが日本国憲法」 7/20

「日本国憲法」は日本人自身の手で作られた草案をもとにGHQが成文化したことをご存知でしたか?
吉原公一郎の作・構成による群読構成劇「われらが日本国憲法」は、明らかになった資料をもとに憲法が成文化される過程を劇化しています。
それに土井大助の詩、池辺晋一郎作曲による、松原混声合唱団の合唱が映像に挿入され、「日本国憲法前文」の群読が加わります。
群読者は一般公募され、朗読サークル「サロン・ド・ポエム」からちゃま2と一緒に参加しました。
前座には、ジェームス三木氏の挨拶、加藤剛氏の詩の朗読というなんとも贅沢な構成です。




2014-06-28

「 いのちと平和と子どもたち 」 川口ぞうれっしゃ2014

埼玉会館大ホールは満杯の観客。第1部は「 TICOBOのガラクタ音楽会 」。
奇妙な出で立ちとガラクタが奏でる音楽に子ども達は魅了されます。
第2部はいよいよ川口ぞう列車合唱団の「ぞうれっしゃがやってきた」
このお話は昭和の始めころから、第2次世界大戦を挟んだ1949年までの間に本当にあった出来事です。
サーカスから名古屋の東山動物園にやってきた4頭の象はたちまち人気者になりました。
でも戦争がはじまり、動物園では悲しいことが次々に起こります。
やっと戦争が終わりましたが、東京の上野動物園には動物が全然いなくなっていました。
東京の子ども議会の代表は沢山の署名を持って、「象を貸してください!」と名古屋の東山動物園の園長さんにお願いに行きます。
そして、象を乗せた列車が東京へ走り出します。

合唱団の子ども達は子どものパートを受け持ち、大きな声で元気に歌います。
お母さんたちの中には小さな幼子を抱きながら歌っている凄いママには驚きました。
元職場の上司の義理妹さんにあたる川口ぞうれっしゃ合唱団の代表・荒木紀理子さんからお手紙をいただき、この日、息子達や孫、地域の友人たち10人で浦和まで出向きました。
新聞に案内された効果で、券は完売の盛況でした。