最近、おもうこと

50歳から始めた”さをり織” 「自分自身を織り上げる」という創始者・城みさをさんのことばに惹かれました。

定年後の第二の人生、2016年7月に「姉妹塾 SAORIKO-UKO」 を和光市で開所しました。

大好きな”さをり織”を、多くの人に伝えて一緒に楽しみたいと思っています。

もうひとつのチャレンジは、10年間続けているネパールの貧しい家庭の子ども達の就学支援、この活動をもっと広げるために、

2017年4月に「ネパール子ども基金・里親の会」のブログを立上げたことです。

里子が自分自身の将来を切り開くために、私たちのボランティア活動が少しでもお手伝いができればと考えています。

そしてこの「SAORIKO日記」を再開しました。

2013-09-10

協同研 9月定例会 「民主主義の源流を求めて~戦争と青い目の人形」

本日はかねてから誘っていたピンヤさんが例会に参加してくれました。
そんな日に限っていつもより参加メンバーが少ないのは残念なかぎり。
いいだしっぺ講師・山口勇さんは新座市の教職員で、教育文化研究所に関わる中で、「青い目の人形」と出会ったと自己紹介されました。
ちょうど私は機関紙協会の「ねっとわーく9月号」に掲載された山口さんの「横瀬小に今も残るカロリン、青い目の人形が見た歴史という」という記事を読んだばかりでした。

第1次世界大戦後の恐慌・経済不況の中、アメリカでは日本人移民を締めだす動きがあり、日米関係は緊張していた頃、宣教師ギューリックは人形を通じて日米の親睦をはかろうと全米に呼びかけるとともに、実業家渋沢栄一に協力を求め、賛同した渋沢栄一は秩父宮殿下を親善大使に立て、外務省・文化省との打合せのもとで、受入れ準備を始めました。
彼らは購入した1万2739体の人形に名前を付け、パスポートを持たせて日本へ送ったのです。
埼玉県内に配布された人形は178体、県は答礼として「秩父嶺玉子」と名付けた市松人形を贈り、人形とのお別れ会は昭和2年10月15日、埼玉会館で1300人の児童が参加して行われたそうです。
昭和16年に始まった太平洋戦争は、人形の立場を一変させ、鬼畜米英思想の元で危機に立たされます。
昭和18年2月19日の毎日新聞には、「叩き壊せ青い目の人形」「青い目をした人形、憎い敵だ許さんぞ」という記事が掲載され、文部省国民教育局久尾総務課長の「速やかに処置を」との談話が載りました。
各地の人形は焼かれたり、竹やりで突かれたりして、姿を消していきましたが、その中でも人形を守ろうとした少数の人がいて、現在県内には12体の人形が残されているそうです。
横瀬と言えば、協同研の「野の文化in横瀬」で20年間米づくりを継続してきた所です。
横瀬小学校のカロリン人形に是非お目にかかりたいものです。












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